記事検索

  • Googleによる全文検索

    ウェブ全体から検索
    サイト内検索
無料ブログはココログ

Tools

« 春はもうすぐヵ | トップページ | 春の遠征二件 »

2012.03.14

名札だけ取る贈与(続)

先日取り上げた札だけ取って献上品は返却する八朔の贈答の事例ですが、史料を繰っているとまた一つ見付けました。


禁中へ御タノムノ大刀[糸巻]進上了、後刻冷(冷泉為満)同進上了、札ヲ付之、言経[上]・言緒[上]如此了、持明院(基孝)ヨリ進了、長橋殿(持明院孝子)マテ進了、則披露、札ヲノケラレ御返トテ被下了、
…     ―『言経卿記』慶長5年(1600)8月1日条(抜粋、[ ]は割注、( )は引用者注)

今度は関ヶ原合戦直前の時期、丁度同じ日に伏見城が陥落し、鳥居元忠が自刃した日。京都も騒然としていたようですが、そんな中、日記の記主である山科言経(ときつね)は八朔として後陽成天皇に太刀を進上しています。後には義理の兄弟(妻の兄弟)である冷泉為満も同じように進上したようです。言経が献上した太刀には札を付けており、そこには「言経上」「言緒上」と書いたとのことです(言緒(ときお)は言経の子)。持明院基孝を通じて長橋局(基孝の娘)に進上した後に天皇に披露され、そこで札を取り、「お返しとして(太刀を)下された」とあります。

ここでは「返却」というよりは「返礼」という意味合いが感じられますが、いずれにせよ名前が書かれた札だけ取って、献上した太刀をそのまま返すという作法がここでも確認されます。

私は今まであまりこの件に関心が無くおそらく読み飛ばしていたのですが、真剣に調べると事例はもっと見つかりそうです。またある程度傾向が窺えるわけですが、このような儀礼はおそらく、織豊期の八朔における公家衆から天皇に対する贈与において見られるものであるということです。(もしかしたら後陽成天皇の個人的な意向である可能性も?)

実はこの儀礼については専論があるかもしれませんが、そこまでは調べていません。論文にする予定も考えていないので、もし先行研究が無かったらネタにどうぞ(笑)。卒論くらいにはなるかも?

« 春はもうすぐヵ | トップページ | 春の遠征二件 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/20022/54219887

この記事へのトラックバック一覧です: 名札だけ取る贈与(続):

« 春はもうすぐヵ | トップページ | 春の遠征二件 »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

Amazon

最近のトラックバック