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2012年7月

2012.07.30

落ち着かない暑中

原稿を締め切りに間に合わせ(安堵)、試験を終え、出張もこなし…といった日々。
今週末まで多忙につき、記事は簡略に。


先週末、戦国・織豊期研究会に参加しました。初めての参加で年甲斐もなく緊張しましたが、知己の方もおられたので、楽しく過ごすことができました。報告会も充実の内容で、刺戟を頂戴しました。(この件については、気が向いたら後に触れたいと思います。)

それにしても、少しでも外を歩くのも辛いほどの猛暑。それだけに歩いた後のビールはまた格別ですが(笑)。
時節柄巡見をする方も多いと思いますが、お互い体調には気をつけましょう。

2012.07.22

久津八幡宮

Kuzuhachimangu_1Kuzuhachimangu_2飛騨編の最後は、久津(くづ)八幡宮。社伝によると、仁徳天皇の時代(377年)の創建とされ、平治の乱(1159)の際に飛騨へ入った源義平(義朝の子)が八幡を勧請したと言われています。(ただ、この時勧請したのは鶴岡八幡とされているようで、やや微妙か。)
飛騨国二宮だそうですので、創建年代は古代に遡りそうですね。

比較的はっきりしてくるのは室町期になってからのようで、応永19年(1412)に白井太郎俊国という人が本殿を再建しており、天正9年(1581)には姉小路(三木)自綱が拝殿を建立したています(ともに棟札が遺っているそうです)。以後、近世においても領主たちに保護されました。また、14世紀に筆写された大般若経を所蔵しているそうです。

右写真は境内の風景ですが、左側に見える2本の大木は「夫婦杉」と呼ばれ、国の天然記念物に指定されています。

Kuzuhachimangu_17Kuzuhachimangu19aこちらは本殿(重要文化財)。上記の通り、応永19年に建立されたものです。いかにも室町期らしい意匠とも言えますかね。

右写真は横側の部分ですが、「ここ」と示した部分は「鳴鴬の蟇股」と呼ばれている意匠で、「鴬が鳴いた」という伝承のある飛騨の匠とされるものです。

Kuzuhachimangu_8Kuzuhachimangu_5訪問時は残念ながら拝殿(重要文化財)は修理中。姉小路自綱が建立したというものです。
とはいえその後何度か修理したようで、右写真の下魚(懸魚)は、享保17年(1732)のものとされています。

左写真は、軒口に彫られている鯉の彫刻で、「水呼ぶ鯉」と呼ばれているそうです。

■岐阜県下呂市(旧萩原町)

2012.07.17

原稿追い込み

先週末の報告を終えました。報告時間をなるべく短くしようと思いながらも、いろいろ説明していると結局長くなってしまい、余計聞きづらくなってしまったのではないかと反省しております。参加されたみなさん、および、ご意見をくださったみなさんありがとうございました。いろいろと示唆を得ることができました。
あとは、それをもとに原稿にするだけです…。

そういや、長らく純粋な?研究報告ってしていないなあ。(といっても、したいわけではありません(笑)。)

夏休み中の予定もだいぶ固まってきました。今年はじっくり腰を据えるというよりは、遠征が多くなりそう。たまにはそういう年もいいかな。

連休中はもう一つ別の研究会に出席。報告を聞いていて、↓の本を読んでみたくなりました。なのでとりあえずメモ。でも、目次をみると結構難しそうだなあ。理解できるかしら。

4585220224歴史GISの地平 景観・環境・地域構造の復原に向けて
川口 洋 石崎 研二 後藤 真 関野 樹 原 正一郎 HGIS研究協議会
勉誠出版 2012-03-30

by G-Tools

2012.07.13

桜洞城跡

Sakurahorajo_1下呂温泉から北へ車で15分ほどの所にある、桜洞(さくらぼら)城跡です。集落よりは少し高い場所にあり、断崖に守られる構造になっています。

…といっても、写真ではどこからどこまでが城跡かよくわかりませんね(笑)。奥の林になっている箇所に遺構があります。実は手前の水田の広がる箇所も城跡であり、かつて発掘調査も行われたものの、今はこのような風景になっています。(下呂ふるさと歴史記念館にて、遺物を見学させていただきました。ありがとうございました。)

桜洞城は、三木(みつき)氏の居城でした。三木氏は飛騨守護京極氏の被官とされ、15世紀後半にこの地域を与えられたことにより、勢力を拡大したと言われています。16世紀に入り、三木直頼が桜洞城を築いたとされています。
子の良頼の代になると、三木氏はかつて飛騨国主(国司ともされるが、事実関係は微妙?)であった姉小路氏の名跡を嗣ぐと称し、名字を名乗りました。良頼は京都の朝廷へ頻繁に献金したとみられ、参議の官位まで上ったとも言われます。朝廷も背に腹を変えられないということでしょうか。

良頼の子の姉小路自綱(よりつな、頼綱とも)の代になると、飛騨の北部へ勢力を拡大し、本拠を松倉城(現高山市)へ移しました。ただし冬は厳しい寒さを避けて桜洞城で過ごしたとされ、桜洞城は「冬城」とも呼ばれたそうです。

しかし秀吉政権に至ると、姉小路自綱は佐々成政を援護したため、天正13年(1585)に金森長近の攻撃を受け、敗れた姉小路(三木)氏は没落。桜洞城も破却されました。

Sakurahorajo_10Sakurahorajo_11城は方形の城館のような形状だったようで、城郭というよりは居館というイメージが近いのかもしれません。
往時を偲ばせる遺構はあまりないのですが、左写真は主郭を囲っていたと思われる堀切。その向こう側は断崖になっています。
右写真は、その傍らにあった標識。だいぶ朽ちていました。

Sakurahorajo_6Sakurahorajo_19左写真は、堀切のすぐ横にある土塁と思しき遺構。写真ではよくわかりませんが…。大きな石がいくつかありましたが、石垣の残骸なのでしょうか。

右写真は、これも堀切と思われる遺構。その奥は鉄道(高山線)敷設時に削られてしまったのだそうです。また、最近まで石垣が遺っていたようですが、水田の整備に当たって撤去されてしまったそうです(と聞いた記憶が)。

なお、こちらのサイトはかなり詳しいですので、ご参照ください。

■岐阜県下呂市(旧萩原町)

2012.07.11

時代遅れの男にはならない

締切を過ぎてしまった原稿、なんとか仕上げました。要求された水準を保っているものかどうかは心許ないですが…。
あとは週末に別の報告をして、それを原稿にすれば落着。

そろそろ期末試験も近づいて少し余裕も出てきたので、徐々に自分の研究を思い出したいと思います(笑)。

ところで、スマートフォンをようやく買いました。いやあ、使い勝手の良さに驚きました。むしろ外での使用はノートパソコン+モバイル通信が理想だと考えていたのですが、パソコンで通信できる必要があまりないですね。
少しでも関心を疎かにすると時代に置いて行かれるので、必死で付いていきたいと思います。

2012.07.04

来るべき愉しみに向けて

現在抱えている締切原稿は2件。どちらも今月末の締切と思い込んでいて、まだ大丈夫と思っていたわけです。ところがふと依頼状を読み返してみると、うち1件は先月末が締切だったことに気づいて泡を食う。まだ一文字も書いてない…。

そういうわけで、急遽引きこもりで原稿を急ぎ書かねばならない。いやはや迂闊でした。字数はそれほど多くはないので、なんとか数日のうちに仕上げたいと思います(関係者のみなさますみません)。

今週末はいろんなイベントがあって、どれに行こうかと嬉しい悩みを抱えていたのだが、全部行けないという悲惨な結果に相成りました(笑)。

ともかくもこの2つの原稿を乗り切れば依頼原稿がなくなるので、好きなことを存分にできるであろう夏休みの到来がとても待ち遠しいです(笑)。今年は避暑もかねて北海道へ行くつもりでおり、ルート探索などを楽しんだり。いや、そんなことしてないで原稿書けよと。
…まあ、宿や飛行機の予約は無事済んだということで(笑)。

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