記事検索

  • Googleによる全文検索

    ウェブ全体から検索
    サイト内検索
無料ブログはココログ

Tools

« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »

2012年8月

2012.08.26

本栖城跡

Motosujo_1Motosujo_28本栖湖の畔の山の上にある本栖城跡です。現在は「城山」と呼ばれている山の上にあります。いかにもな感じです。標高は1056mだそうです(笑)。

この城の来歴はよくわかりませんが、天文・永禄年間(16世紀半ば)に武田氏方の軍勢が在陣していたという記録があることから、武田氏によって城郭として整備された可能性が考えられます。天正年間(16世紀後半)には渡辺囚獄佑という人物が在城していたとも言われています。
詳しい歴史についてはよくわかっていないのですが、武田氏によるなんらかの軍事拠点として整備されたものと考えられます。規模としては物見の役割を担ったような感がしました。

Motosujo_4Motosujo_9麓からは15分ほど登ります(左写真)。上がってくると見えるのが空堀(右写真)。写真ではわかりづらいのですが…。

Motosujo_14Motosujo_21さらに登っていくとこのような光景があります。左写真のものは自然のもののように見えますが、右写真の石は人為的なものかも?

Motosujo_24Motosujo_25こちらが主郭。現地に立ってみると、ほかの城に比べてもあまり広くはないように感じました。やはり城郭というより物見の砦といった方がしっくりくるような感じです。

Motosujo_29Motosujo_33このように、主郭の奥には狼煙台と覚しき遺構があります。街道脇にあることからも、この城の機能というのは防御施設というよりも通信施設というべきなのでしょう。
詳しくはこちらもどうぞ。

■山梨県富士河口湖町(旧上九一色村)

2012.08.19

初の道東旅行

Doto_1Doto_2長年の念願だった道東の旅行に行ってきました。普段の暑さが馬鹿馬鹿しいくらい涼しくて、夏の間はずっとここにいたくなります。

今回は初めてということで、純粋に観光旅行となりました。一日だけ天気の良くない日はあったものの、あとは概ね天気に恵まれて幸運でした。
左写真は知床岬。奥にうっすらと国後島が見えます。
右写真は摩周湖。霧が多くてなかなか見えないことで有名ですが、見ることが出来ました。ただ、見えると結婚できないそうだけど(笑)。

このほか道東の主要な観光スポットはほぼ総なめしました。その分走行距離が半端じゃなくて、車のメーターでは1000km超え(笑)。全部私一人で運転したのでなかなかハードでしたが、道も景色もいいし、なによりも天候がいいので、それほど疲れませんでした。

いや、またいつかとは言わず、毎年行きたいですねえ。避暑には最高です。
行った所の写真は、また機会があれば紹介したいと思います。

2012.08.12

富士御室浅間神社

Omurosengen_17Omurosengen_2続いて河口湖のほとりにある富士御室浅間神社です。本宮は富士山の二合目にあり、こちらは里宮となっています。富士山中で最古の神社で、戦国期には「北室」と呼ばれていました。

社伝によると、699年(文武天皇3年)に藤原義忠によって祀られたとし、延暦19年(800)に坂上田村麻呂が造営したとなっています。
ただ、『日本三代実録』によると、貞観7年(865)、前年に噴火した富士山を鎮めるため山中に宮を造営したという記事があり、この時に建立されたのがこの神社だったとも言われています。

以後、甲斐を支配した武田氏や、この地域の有力者である小山田氏の保護を受けており、武田晴信(信玄)が娘の安産祈願を行ったことでも知られています。

Omurosengen_1Omurosengen_9左写真の門をくぐるとあるのが、右写真の拝殿です。

Omurosengen_5Omurosengen_12左写真は拝殿の奥にある現在の本殿。

右写真は、境内にある本宮の本殿(重要文化財)。慶長17年(1612)に鳥居成次が富士山二合目に建てたもので、戦後にこちらへ移築されました。

Omurosengen_15そしてこちらは、脇にある常在寺。かつては真言宗の寺院でしたが、日蓮に帰依した住持(日授)によって改宗。戦国期段階では神社の別当寺となっていたようです。

この神社に伝わる「勝山記」は、戦国期の甲斐を知るための貴重な年代記です。先に触れた「妙法寺記」とは同じ底本のもので、どちらが原本により近いかで論争がありましたが、現在は「勝山記」がより原本に近い時期に写されたものとされており、『山梨県史』にもこちらが採録されています。
また常在寺では近年「日国覚書」と呼ばれる史料が発見され、これも「勝山記」「妙法寺記」の原本からかなり早い段階に抜き書きされたものと考えられています。こちらは「常在寺衆中記」とも呼ばれています(『山梨県史』収載)。

なお、「勝山記」は神社にある資料館で見ることができるようでしたが、時間等の制約などもあり今回はパス。

■山梨県富士河口湖町(旧勝山村)

2012.08.10

河口湖 妙法寺

Myohoji_1Myohoji_4春先に行った河口湖周辺の史跡です。少しでも涼しくなる画像になるでしょうか(笑)。

まずは妙法寺。法華宗(日蓮宗)の寺院で、日蓮に教えを受けたとする日長が建立した法華堂が草創で、永仁3年(1295)に妙法という人が創建したと言われています。
その後宗派内での対立もあったようですが、近世になると谷村藩秋元氏の保護を受け、幕末には伏見宮家の祈願所になったそうです。

この寺ゆかりものとして有名なのが、「妙法寺記」ですね。15世紀後半から16世紀にかけての記録で、甲斐の政治情勢のほか、社会や風土の様子が事細かに記された貴重な史料です(『続群書類従』収載)。原本は現存していませんが、同じ底本によるとする「勝山記」があり(富士御室浅間神社蔵)、こちらの方が現存のものでは古いとされているようで、現在では「勝山記」を参照されることが多いように思われます(『山梨県史』所収)。
もっともそれも確実かどうかは評価が分かれるようで、結局のところは両者の比較検討の上用いるのが無難といったところでしょうか。

Myohoji_5Myohoji_8今の境内は静かな雰囲気(季節柄かもしれませんが)。左写真は、三十番神堂と呼ばれるもの(写っているのは覆屋ですが)。明治期の築。
右写真は、廻り舞台と呼ばれる建物。これも同じ頃に建てられたようです。地元に伝わる芸能などが奉納される舞台として使われているそうです。

■山梨県富士河口湖町(旧河口湖町)

2012.08.04

猛暑のなかの出張2件

Tahara_208月初頭の時期というのは、一年で最も暑い時季なのですが、授業や試験も終わった直後でもあるので、出張のピークに当たる時季でもあります。

今年は続けて2件の出張。まずは東三河での戦国・織豊期研究会。文書見学、巡見にまる一日使っての報告会と、とても刺戟的かつ勉強になりました。私はかつて名古屋に住んでいたこともあったのですが、その頃はほとんど出歩かなかったので、豊橋や渥美半島に行くのも初めてでした。近くだとなかなか足が向かない生来の悪癖に我ながら呆れる。

この研究会に参加するのは初めてだったのですが、来年以降もできれば積極的に参加したいと思います。
ちなみに、写真は渥美半島にある田原城跡(現愛知県田原市)です。

Kumamoto2012_7もう一つは、九州。メンバーに加えていただいている科研の調査で行きました。九州自体も久しぶりですが、今回行った熊本は確か15年ぶり。そして初めて島原へも行きました。

調査先が熊本県立美術館だったので、ちょうど開催されている「加藤清正」の展覧会も鑑賞しました。文書もたくさんあって面白かったです。
ちなみに、写真は言わずと知れた熊本城。美術館も縄張りの中にあります。

次いでは島原に行って、業界では知られている島原図書館の松平文庫へ。まず一度は行ってみたかったので、個人的にも貴重な体験となりました。今後機会があれば、個人的な調査で来てみたいと思います。


お世話になったみなさまに、改めて御礼申し上げます。

« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

Amazon

最近のトラックバック