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2012.09.20

北口本宮富士浅間神社

Kitaguchihongu_5Kitaguchihongu_10富士吉田の中心に鎮座する、北口本宮富士浅間神社です。富士山の北側からの登山口である吉田口は「北口」という別名を持つことから、この社名が付いたようです。

由緒は勝山の浅間神社と同じく8世紀後半の富士山の噴火を起源としており、最初に富士山を登ったという伝説もある役行者こと役小角(えんのおづぬ)との関係も由緒には記されているようです。後に富士講と深く関わっており、その開祖とされる角行との縁も言い伝えられています。ともあれ、近世に富士講が盛んになると、富士山の登山口として吉田の街の発展とともに大いに栄えたようです。
右写真の拝殿は18世紀初頭の築のようです。奥にある本殿(重要文化財)は、元和元年(1615)に谷村城主だった鳥居成次によって建てられたとされています。

Kitaguchihongu_2Kitaguchihongu_3参道で見かけたもの。左写真は仁王門の礎石。神仏習合を示すものだったため、神仏分離令によって撤去されたそうです。
右写真は「角行の立行石」。慶長15年(1610)に角行が吉田で行った荒行に用いられた石だと言われているそうです。

Kitaguchihongu_12Kitaguchihongu_16左写真は西宮本殿(重要文化財)。文禄3年(1594)に、当時の谷村城主であった浅野氏重によって建てられたとされています。当初は本殿として建てられたものだったようです。

右写真は東宮本殿(重要文化財)。こちらが最も古く、永禄4年(1561)に武田晴信(信玄)が上杉政虎(のち輝虎、謙信)に対する戦勝祈願のために造営したものと伝わっており、こちらも当初は本殿として建てられたものだそうです。
戦国から江戸初期にかけてこの地域の領主がめまぐるしく変わりますが、それに応じて本殿が造営されたことがわかります。領国支配の安定化の上で重視された活動だったのでしょう。

Jogyoji_3こちらは歩いて数分のところにある上行寺。今は小さな寺院ですが、『勝山記』に登場する寺院です。現在も日蓮宗でした。おそらく吉田の浅間神社(北口本宮)の別当寺だったのではないかと思われます。身延山別院とのことですが、『勝山記』を見ると戦国期から身延山との関係が深いことが窺えます。

これでこのシリーズは終了です。

■山梨県富士吉田市

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