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2012.10.26

中山法華経寺

Nakayamahokekyoji_2_2Nakayamahokekyoji_7時期は前後しますが、先日行った中山法華経寺(ほけきょうじ)です。

日蓮の信者だった富木(とき)常忍(日常)が永仁年間(13世紀末)に自らの屋敷を寺院としたことに始まります。当初は法華寺という名称で、2代目の日高の代に、隣接する本妙寺と合体しました。法華経寺という寺名は降って戦国期頃から呼ばれるようになったとされています。現在の境内は、主に本妙寺の敷地だった所のようです。

南北朝期頃からこの地域の有力領主であった千葉氏の氏寺となり、当地の有力寺院として影響力を高めたようです。多くの中世文書を所蔵しており、それらは東国の地域社会の実像を把握する上で貴重な史料として知られています。
なお、法華経寺やその門流(中山門流)の詳しい歴史については、湯浅治久『戦国仏教―中世社会と日蓮宗』(中公新書1983、2009年)が詳しいです。(…と、丸投げ(笑))


左写真は山門、右写真は五重塔(重要文化財)。元和8年(1622)築。本阿弥光室が両親を弔うために建立したものとされ、建立の際には加賀藩主の前田利光(利常)の援助を受けたと伝わっています。

Nakayamahokekyoji_9Nakayamahokekyoji_30そしてこちらが祖師堂(重要文化財)。元禄15年(1702)築。

Nakayamahokekyoji_15Nakayamahokekyoji_12左写真は、祖師堂の裏側にある四足門(重要文化財)。こちらは室町後期のものとされています。元々鎌倉にあったものを移築したと伝わっているそうです。禅宗様の様式で建てられたものです。

右写真が、その奥にある本堂の法華堂(重要文化財)。こちらも室町後期のものとされており、元々は今の祖師堂の建つ場所にあったそうですが、祖師堂が建てられると今の場所に移されました。扁額は本阿弥光悦が書いたものとされています。こちらは禅宗様と和様の折衷。

Nakayamahokekyoji_24Nakayamahokekyoji_29墓地にある本阿弥家墓所とされるお堂の傍らに、左写真の宝篋院塔があります。銘は寛永元年(1624)で、「日侃」の銘も確認できました。日侃といえば、千葉氏出身で保田妙本寺(現千葉県鋸南町)に住した人が知られていますが、この人の没年は慶長6年(1601)とのことで、年代がややずれています。後世の供養塔と見るべきか、あるいは同名の別人か。([追記]宝篋院塔には「頂妙寺」の刻銘もあることや、門流の違いから、保田妙本寺の日侃である可能性は低いようです。京都の頂妙寺から派遣された別人である可能性が高そうです。ちなみに、徳川家康が関東転封後に安土宗論にも参加した日珖を住持として招いています。)

右写真は祖師堂の脇にある無縁仏の中心に、ぽつんとあった板碑(らしきもの)。周辺には宝篋院塔や五輪塔もありますが、どうでしょう、中世まで遡れそうでしょうか。

■千葉県市川市

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