記事検索

  • Googleによる全文検索

    ウェブ全体から検索
    サイト内検索
無料ブログはココログ

Tools

« 館山のやぐら群 | トップページ | 年末進行中 »

2012.12.19

石神井城跡

Shakujii_1_5Shakujii_3_3東京の西郊・練馬の石神井(しゃくじい)公園。この一画が中世の城跡だったことはよく知られています。

中世においてこの地域を支配した豊島(としま)氏の本拠だったとされています。豊島氏は秩父平氏の一族で、周辺の領主である江戸氏や葛西氏とも同族でした。弘安5年(1282)から石神井郷を支配していたことが知られており、この頃から本拠としていたものと考えられています。
中世後期には嫡流が鎌倉公方、庶流が山内上杉氏の被官になったようですが、文明9年(1477)に嫡流の豊島泰経・泰明兄弟が長尾景春に味方したため、太田道灌の攻撃を受けて落城。豊島氏は没落しました。

Shakujii_6_3Shakujii_2_3左写真が主郭にあたる所です。空堀の遺構が確認できるでしょうか。遺跡保存の趣旨から、今は主郭に立ち入ることはできません(事前予約すれば入れるようですが)。残念ですが仕方有りませんね。

右写真は、公園内にある姫塚。豊島泰経の二女である照姫が落城時に池に入水したという伝承があり、それを祀るものです。

なお、公園にはふるさと文化館があり、展示施設もありました。

Shakujii_8_2Shakujii_7_2ここからは周辺の散策。まずは三宝寺。応永元年(1394)に豊島氏によって建立されたと言われています。豊島氏の帰依を受けたことは、公園の池が「三宝寺池」と呼ばれているところからも窺えます。落城後は、公園も境内という位置づけになったのでしょう。

三宝寺は、近世には将軍家の保護を受けており、徳川家光の鷹狩りの際には、休憩所になったそうです。左写真の山門は、家光が来訪したことを受けて「御成門」とも呼ばれています。現在の門は後の時代の再建のようですが。

Shakujii_10_2そして、境内には「守護不入」の石碑が。中世のものではないようですが(笑)。寺の高い格式を示すものとのことです。

Shakujii_9_2次は、お隣にある道場寺。こちらも豊島氏によって開かれたとされる禅宗寺院で、豊島氏の菩提寺にもなっています。その後は後北条氏の保護も受けたようで、発給文書を所蔵しています。

Shakujii_11_2Shakujii_12_2最後は、少し離れた所にある氷川神社。こちらも応永年間(14世紀初頭)に豊島氏によって建立されたとされています。豊島氏没落後はこの地域の鎮守として崇拝されたそうです。
右写真の石灯籠は、元禄12年(1699)に豊島泰盈が寄進した旨が刻まれています。江戸時代には旗本になった一族がいるようなので、その関係者でしょうか。

■東京都練馬区

« 館山のやぐら群 | トップページ | 年末進行中 »

コメント

あ、石神井にいらしていたんですね。
豊島泰盈は旗本で、江戸後期に先祖の顕彰事業を次々と行った、豊島氏研究のパイオニアです(彼が作った豊島氏の系図はおかしな点が多いですが・・・)。


日本史史料研究会石神井公園研究センターで開催される日本史史料研究会の例会にも是非おいで下さいconfident
近くの禅定院には南北朝期の板碑があります。

>御座候さん
行ったといっても、去年のGWの頃でして(笑)。
練馬はこちらからだとちょっと遠くなってしまったので、なかなか気易く行けないのが残念なのですが、機会があれば研究会で顔を出したいと思います。

板碑は見たいですねえ。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/20022/56354076

この記事へのトラックバック一覧です: 石神井城跡:

« 館山のやぐら群 | トップページ | 年末進行中 »

2018年8月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

Amazon

最近のトラックバック