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2013年1月

2013.01.30

島原城跡

Shimabara_33Shimabara_30島原の中心に位置する、島原城跡。元和2年(1616)に入部した松倉重政が築いた近世城郭です。石高の割には巨大な城郭で、その普請に対する苦役が島原の乱の遠因になったとも言われています。
島原の乱(天草一揆)では一揆の攻撃を受けながらも守り抜いたそうです。その後、島原藩の本拠として機能し、最終的には深溝松平氏が藩主となって維新を迎えました。天守閣は破却されましたが、戦後に復元されています。

今は往事の建物は残っていませんが、縄張りや石垣・堀は立派で、小藩の城としては確かにかなり大規模のように感じました。

Shimabara_4Shimabara_27城跡周辺には、歴史的景観が遺されています。左写真は、武家屋敷のあった地区。当時の景観が保存されています。真ん中に水路が通っているのが特徴的。

右写真は、時鐘楼。ただ鐘は戦時中に供出されたそうで、今の鐘は戦後に作られたものです。

Shimabara_10Shimabara_7武家屋敷もいくつか現存しています。こちらは鳥田邸。同家は深溝松平氏の譜代の家臣で、主君の転封とともに島原へ移住してきたそうです。

Shimabara_20Shimabara_17こちらは、篠塚邸。同家も松平氏の家臣で、同じく転封によって移住したそうです。

■長崎県島原市

2013.01.24

島原 本光寺

Shimabarahonkoji_2Shimabarahonkoji_5昨夏の出張の際に行った、島原の本光寺。曹洞宗の寺院で、元は永禄3年(1560)に三河国深溝(ふこうず、現愛知県幸田町)に今川氏の菩提寺として建立されたとされています。その後この地を支配した深溝松平氏が菩提寺とし、寛文9年(1669)に同氏が転封で島原藩主となると、現在地に移転したそうです。

深溝松平氏は、徳川家康の側近として日記を残した松平家忠が有名ですね。家忠は伏見城で戦死しましたが、子孫が大名として取り立てられ、各地を経て島原藩主となり、途中一度宇都宮へ転封になりましたが、再び島原に復帰し、維新まで支配しました。

上の左写真の山門は、元禄3年(1690)築だそうです。多くの文書や文化財を所蔵しており、資料館で見学することができます。特に世界図や日本図などの古地図を所蔵していることで知られています(見学もできました)。

Shimabarahonkoji_7Shimabarahonkoji_8境内には、深溝松平氏歴代当主の墓所もあります。どれがどの人の墓なのかは忘れてしまいましたが…(笑)。

Shimabarahonkoji_10Shimabarahonkoji_11なお、境内は戦国期には城郭があったようです。丸尾城という城で、戦国期にこの地域を支配していた島原氏の砦だったとされています。島原氏の出自はよくわかりませんが、肥前有馬氏の被官だったとみられ、天正12年(1584)に島原へ侵攻した龍造寺氏に対し、薩摩島津氏の救援を得て有馬氏が対抗した際には、この城も有馬・島津方として龍造寺氏と激戦になったとされています。龍造寺隆信が沖田畷(現島原市)で戦死したため、有馬方の勝利となり、島原氏もこの地を守ったとみられます。この頃から有馬晴信の保護のもと、島原でキリスト教が広まったと言われています。

そういや沖田畷には行かなかったなあ…。行ってもなにもないでしょうけど(笑)。

■長崎県島原市

2013.01.18

【受贈】『古河公方と伊勢宗瑞』

則竹雄一『動乱の東国史6―古河公方と伊勢宗瑞』(吉川弘文館、2013年)受贈。ありがとうございます。

本書は中世東国史の概説シリーズの一つで、15世紀後半から16世紀前半を中心に解説されています。つまり、関東の中世史では重要な享徳の乱から、伊勢宗瑞の死去の時期までが対象となっています。

私自身は関東の情勢については詳しいわけではないので、勉強になったとともに、今後いろいろと調べ物をする必要が出た際には重宝しそうです。古河公方や関東管領上杉氏を中心に、長尾景春、太田道灌、そして伊勢宗瑞といった有力者を巡る複雑な情勢がわかりやすく描かれていますが、それにとどまらず、房総や常陸、両毛地域の諸領主の動向も詳細に叙述されています。
もちろん単に政治史や戦乱の歴史だけを追っているのではなく、少ない史料の中から値域社会の動向も触れられております。ここが著者の真骨頂と言うべきでしょうか。

多数の似たような名前の人物(特に上杉氏)が頻出したり、時期的にもあまり馴染みがないので、元々知識の無い人には取っつきづらいかもしれませんが、幕府中心の「中央」とは異なる、東国独特の興味深い歴史の入門書として読まれることを期待します。

4642064451古河公方と伊勢宗瑞 (動乱の東国史)
則竹 雄一
吉川弘文館 2012-12-18

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2013.01.14

山口の調査・温泉・ふぐ

Yamaguchi少し間が空きましたが、昨年末の連休に山口へ行ってきました。(湯田温泉泊)
調査の同行という形ですが、一応? 山口県文書館で新収文書の書き取りをやってきました。自分の研究に活かせるかどうかは微妙ですが…。

このほか、山口市歴史民俗資料館においても、貴重な史料を拝見することができました。メインは明智光秀絡みの史料なのですが、詳しいことはここで触れるのはやめておきます(というか、詳しいことはすぐには思い出せない(笑))。

空いた時間を利用して、山口市内の巡見も行いました。山口自体は二度目なのですが(学部の卒業旅行以来!)、その時には実は瑠璃光寺の五重塔が修理中で(笑)、これがずっと心残りだったのですが、今回やっと実見することが出来ました(写真)。さすがの国宝。堂々たる姿に感銘を受けました。

その後は下関へ行って(実は初めて)、ふぐ(ご存じ現地では「ふく」)を堪能。安くはないけど、同じものを東京で食べたら倍以上はするので、お得感はありました。刺身の身も厚くて満足々々。
あとは周辺を観光しようとも思ったのですが、翌日は体調が優れなかったので、断念して帰京。下関の巡見はまた改めてしたいと思います。

2013.01.06

上ノ郷城跡

Kaminogojo_10Kaminogojo_15蒲郡にある上ノ郷城跡(神ノ郷とも)。素人目にはわかりにくいですが、平坦面の曲輪が連なっている遺構で、中世城郭だったことがわかります。

築城年代ははっきりしませんが、この地域を支配していた鵜殿氏の居城とされています。この鵜殿氏の出自も不詳ですが(一節には熊野をルーツとする説も)、中世後期には三河の国人領主としてこの地域を拠点としていたようで、16世紀になると今川氏の麾下となっていました。鵜殿長持は今川義元の妹を妻としていたそうで、今川氏と強固な関係を築いていました。

それがかえって災いしたというか…、永禄3年(1560)の桶狭間の戦で義元が戦死すると形勢は一変し、松平(徳川)氏と対立。永禄5年(1562)に竹谷松平清善の攻撃を受けて落城。当主であった鵜殿長照(長持の子)は戦死しました。
その後は徳川家康被官の久松俊勝が城主となり、家康の関東転封によって廃城となりました。

右写真が本丸です。かなり広く、居館があったように思われました。

Kaminogojo_14Kaminogojo_25こちらは本丸下の曲輪。

Kaminogojo_7Kaminogojo_31現地には、左写真の手作りの縄張り図がありました。縄張りはわりとシンプルですが、曲輪の規模は大きいように感じました。

右写真は、麓にある赤日子(あかひこ)神社。延喜式内社であり、鵜殿氏の保護を受けたとみられますが、鵜殿氏没落によってしばらく衰退していたようで、17世紀半ばになって再興されたそうです。

■愛知県蒲郡市

2013.01.03

田原城跡

Tahara_20Tahara_16渥美半島にある田原城跡。文明12年(1480)頃に、戸田宗光によって築かれたのが始まりとされています。

戸田氏は、藤原北家流の三条家の末裔を名乗る一族で、中世後期には三河国吉田(現愛知県豊橋市)周辺に拠点を構えており、15世紀後半に渥美半島へ拠点を移したようです。今川氏の影響下にあったと見られ、16世紀前半には松平清康に属したとされています。その後今川氏との関係が悪化し、攻撃を受けて戸田氏は一旦没落。一族の戸田光忠は徳川家康に属し、以後徳川被官となりました。そして慶長6年(1601)に、戸田尊次がこの田原を与えられて大名となりました。

田原城は近世城郭として整備され、寛文4年(1664)に三宅康勝が入った後は、幕末まで三宅氏の居城となりました。

Tahara_5Tahara_81万石クラスということもあってか、近世城郭にしては比較的コンパクトな印象でした。左写真は、二の丸跡に建つ田原市博物館の下の石垣。当時のものなのか、最近積まれたものかは私にはわかりませんでした。
右写真の右側に見えるのは、二の丸の櫓跡。建物は復元です。

Tahara_22こちらは三の丸跡に建つ護国神社。建物がないのでわりと広く見えました。

Tahara_10Tahara_29そして本丸跡には、巴江(はこう)神社があります。田原城が別名「巴江城」と呼ばれたことによるのでしょうか。
今は埋め立てられていますが、当時は城のすぐ脇まで海があったとされており、直接船で出入りすることも可能だったようです。

博物館では、周辺地域で発掘された遺物などが展示されており、中には中世遺跡など興味深いものもありました。

■愛知県田原市(旧田原町)

2013.01.02

謹賀新年2013

明けましておめでとうございます。
更新ペースは落ちましたが、本年もこのブログを宜しくお願いします。

近況などは年末に書いたので、取り立てて書くことはないのですが…。せっかくなのでネット環境について今後の方針をば。
ホームページの方は、更新再開のめどが立っておりません。作成ソフトを買う必要があるのですが(HTML文書を一から書く気力は無い)、そこまでして続ける意味はあるのかどうか云々と、逡巡したままです(笑)。
職場のHPでサイトを立ち上げることも考えているのですが、いろいろとネットワーク面で作業が必要のようなので、面倒がってこちらも先送りしています。

このほかfbやらツイッターやら…。最近はLINEにも登録しました(まだほとんど使ってませんが)。
Skypeにもだいぶ前に登録しながら全然使ったことがなかったり…。ネットワークの選択肢が拡大するのはいいことですが、あれもこれもでは虻蜂取らずですね。ブログも含めて、どれが私に最も適したツールなのか見極めていきたいと思います。

それから、掲示板ですが、今のところはまだシンプルで使い勝手がいいので継続して今の掲示板を使いますが、システムがアップデートされないためか?段々ガタが来ているので、場合によっては引っ越しするかもしれません。というか、より使いやすくて見やすい掲示板があったら、是非ご教示ください。
この掲示板はよく御覧になっている方が多いと聞き及んでいますので、みなさんのご意見を伺って、よりよい形にしていきたいと思っています。

…といったところで。

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