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2013年4月

2013.04.26

今年の連休期間

はや4月ももう下旬。連休期間に入りますが、本業の方は牛歩の歩み。新年度はなかなか集中力が続かないという事情はあるものの…。ともあれ今年の授業は100人を超えるクラスが出なかったので、一安心。

私は連休期間は例年あまり動かないことにしているのですが(そういうことができる業種ともいえるし)、今年は出張がてら少し動きます。
あとは博物館に行ったり、調査に行ったりするつもりですが、人出に浮かれてグダグダにならないよう気をつけます。

…とまあ、最近ネタ切れにつきこの程度のことしか書けませんが、そんなところで。

2013.04.21

【受贈】『鎌倉幕府滅亡と北条氏一族』

秋山哲雄『鎌倉幕府滅亡と北条氏一族』(敗者の日本史7、吉川弘文館、2013年)受贈。ありがとうございます。
シリーズの名前から推測されるように、クライマックスはなぜ鎌倉幕府が滅亡したかというテーマになっていますが、そもそも幕府とはなにかという問題関心から、鎌倉幕府の成立から議論が展開されています。
というわけで通史的な叙述が中心になっていますが、近年の議論を踏まえた上で、「都市鎌倉」に注目した著者のオリジナルな視点も織り込まれており、鎌倉幕府研究の現在を知る上でも貴重な一冊になるのではないでしょうか。

当然、結局の所なぜ鎌倉幕府は滅亡したのか。議論百出なこの疑問にどう答えるのか。それは読んでのお楽しみということで…。

4642064532鎌倉幕府滅亡と北条氏一族 (敗者の日本史)
秋山 哲雄
吉川弘文館 2013-04-15

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2013.04.14

【受贈】『“日本国王”と勘合貿易』(さかのぼり日本史)

橋本雄『“日本国王”と勘合貿易』(さかのぼり日本史外交編7・室町、NHK出版、2013年)受贈。ありがとうございます。

NHKで放映されていた「さかのぼり日本史」の内容をもとに書籍化されたものですが、内容は番組のダイジェストということではなく、日明関係史の概説書として詳細に書き下ろされています。図版も多く採用されており、入門書としてとても有用な一冊ではないかと思います。

ほかに他の専門書にはない特色としては、勘合の復元や、足利義満の明使謁見に際しての新説(実は義満はそれほどへりくだっていなかったという点)など、今後の研究においてもとても資する情報が多く掲載されており、かつ最新の室町期の研究成果も織り込まれています。室町期の対外関係史に興味のある方には是非おすすめしたい一冊です。

ちなみに義満期の明銭「輸入」について、私が以前出した見解とは史料の解釈が異なるところがありました。この点は私見について史料解釈が妥当であったかどうかについて、後日再検討したいと思います。

4140815671NHK さかのぼり日本史 外交篇 [7]室町 “日本国王"と勘合貿易―なぜ、足利将軍家は中華皇帝に「朝貢」したのか
橋本 雄
NHK出版 2013-03-26

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2013.04.06

七尾城跡

Nanaojo_46_2Nanaojo_54_2七尾城跡。国史跡。全国に数え切れないほどある中世の山城跡の中でも、代表的な城跡の一つと言ってよいでしょう。峻険な山の上に築かれた大規模な城は、全国的に見てもとても珍しいものです。

築城年代は明確ではありませんが、14世紀初頭に能登守護となった畠山満慶(満則とも、みつのり)が初めて築いたという説があります。しかし本格的に城郭として整備されたのは16世紀初頭の畠山義元の頃だったと考えられているようです。

そして七尾城が歴史上有名なのは、天正5年(1577)の上杉謙信による攻城戦でしょう。堅固な城郭を誇るため長らく畠山氏は籠城で持ちこたえていましたが、被官の内訌によって内通者が出たことをきっかけとして落城。上杉氏の支配下となりましたが、まもなく謙信は死去し、替わって勢力を拡げた織田信長配下の柴田勝家が支配しました。その後前田利家が支配しましたが、天正17年(1589)に廃城となりました。

左写真は本丸にある石碑。右写真は、展望台から本丸跡を眺めたものです。わかりますかね。

Nanaojo_48_2Nanaojo_38_2そして、左写真が本丸跡。比較的広いように感じました。右写真は、本丸から一つ下がった所にある曲輪。中央の石積み遺構の奥は「遊佐屋敷」跡とされ、手前は「桜の馬場」とされています。
しかしこれらの名称は近世になって付与されたものとのことで、実際にそのような用途であったかは疑問が呈されています。発掘調査によると、被官衆の屋敷は麓にあったようです。

Nanaojo_3Nanaojo_33左写真は、その「遊佐屋敷」跡の曲輪の下にある石垣。とても立派です。
右写真は、桜の馬場から一段下がった所にある、「温井屋敷」とされる一画にある「九尺石」。

Nanaojo_28Nanaojo_32そして、「温井屋敷」跡の先にある二の丸跡とその石垣。比較的広大な曲輪で、そのため「二の丸」とされているのでしょう。

Nanaojo_24Nanaojo_18左写真はその先の三の丸跡。この曲輪が本丸から見て反対側の縄張りの先端に当たるようです。
右写真は、「遊佐屋敷」跡から下がった所にある、「寺屋敷」とされる一画の辺りにある安寧寺跡。畠山氏や被官衆を祀る慰霊碑です。ここに寺院があったとされているようですが、遺構は出たのでしょうか。

なにせ縄張りが広大で遺構もよく遺っており、すべての写真を紹介すると厖大になるので、こんなところで。
私は二度目でしたが、少なくとも一度は行っておきたい城跡ですね。

■石川県七尾市

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