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2013年10月

2013.10.26

志苔館跡

Shinori_1Shinori_13北海道の代表的な中世史跡の一つである志苔(しのり)館跡。個人的に前々から一度行きたいと思っていた所です。国史跡。
函館の市街地から東、函館空港のすぐ海側に位置します。

下の写真にもあるように、海の側の高台に築かれた館で、下北半島と船で繋がっていたと思しき立地です。現地看板によると、ほぼ長方形で、四方には高さ2~4メートル、幅10~15メートルの土塁で囲まれ、その外側には堀が巡っています。

Shinori_6Shinori_9これが正面の入口に当たる所。手前に堀があることがわかります。整備が行き届いていています。

近世の記録に拠るのですが、中世後期の道南には12の和人の館があり、一括して「道南十二館」と呼ばれていますが、志苔はその代表的な館の一つです。小林良景という人物が支配していたとされています。
アイヌとの交易で勢力を築いたと思われますが、康正2年(1456)にはアイヌとの紛争が勃発し(「コシャマインの乱」)、長禄元年(1457)にはアイヌによって志苔は落城。落ち着いた後にも小林氏が引き続き居住したようですが、永正9年(1512)に再びアイヌに攻撃され、陥落。当時の主だった小林良定は戦死したと言われています。
その後小林氏は蠣崎(松前)氏に従い、志苔館も廃城となりました。
(ただし、長禄元年の落城でそのまま廃城になったという説もありますが、発掘調査によって16世紀の遺物も発掘されているそうです。)

Shinori_18Shinori_21こちらが主郭部。建物がないので広く見えます。発掘調査で柱穴等が確認された場所には、それを示す杭が埋め込まれていました。また、井戸跡も見つかっています。

Shinori_22Shinori_24こちらは周辺の景色。海がすぐそばに迫っていることがわかります。

さて、志苔(志海苔)といえば有名なのが、一括埋蔵銭。館跡から海へ向かう道が走っていたとみられ、その辺り(写真の集落には国道が走っていて、その脇)の地中から1968年に約37万枚の埋蔵銭が発掘されました。本州との交易に関わるものと見られており、今でも一括の枚数としては日本最多で、重要文化財に指定されています。現在は市立函館博物館に所蔵されているのですが、私が見に行った時には臨時休館…。是非再訪を期したいところです。
組成は85%程度が北宋銭ですが、最新銭は洪武通宝(14世紀後半)で、おそらく15世紀前半に埋められたものと考えられます。

■北海道函館市

2013.10.20

恒例の京都など

今年も日本史研究会の大会へ行ってきました。
開始時刻が私にとって都合がよく、聴きたい報告はすべて聴けました。
内容については、特に日曜の方は私の専門とは大きく離れているので、耳学問に徹したといったところ。討論の始まる前に辞去したのでその様子はわかりませんが、その後出た方々に感想を尋ねたり。

ついでにといってはなんですが、京都府立総合資料館の「東寺百合文書展」を見学して帰宅。足利直義の偉そうな花押が印象的でした(笑)。
今年は比較的あっさりした出張だったかなあ。月曜にシンポジウムがあるのを直前になって知ったものの、宿を取っていなかったので断念。残念。

さて、今週から来週にかけては比較的時間の余裕がありそうなので(台風がまた来ると振り回されそうで厄介なのだが)、そろそろ原稿を進めたい…。

2013.10.11

松前の寺院(2)

Matsumae_57Matsumae_59続きです。
こちらは法幢寺。藩主松前氏の菩提寺です。創建については諸説あるそうですが、文明2年(1470)に若狭出身の宗源和尚が「大館」で開創したとされています。永正10年(1513)に焼失した後、天文15年(1546)頃に松前義広・季広によって再建されたと言われています。その後の経緯はよくわかりませんが、近世には松前城下へ移転したようです。
明治元年(1868)の戊辰戦争で被災したそうですが、天保9年(1838)築の山門と松前家御霊屋は被害を免れたそうです。

Matsumae_62Matsumae_63そしてその背後にあるのが、松前氏墓所。武田信広に始まる松前氏歴代の墓が安置されています。もっとも、墓の造りからおそらく2代藩主の松前公広が整備したように見えました。

Matsumae_70Matsumae_71右写真が公広の墓です。

Matsumae_74Matsumae_76こちらは寺町から少し離れた所にある専念寺。北海道最古の真宗寺院だそうです。「エゾ御坊」と呼ばれ、松前藩の保護を受けていました。

Matsumae_78そして最後は阿吽寺。こちらも歴史については諸説あるようですが、十三湊にあった同名の寺院が発端という説もあります。安藤氏とともに蝦夷へ移り、蠣崎(松前)氏の保護を受けるようになったとされています。元和3年(1617)頃に現在地に移ったそうです。
こちらの山門は、かつて城の門として使われていたものとされています。

■北海道松前町

2013.10.10

松前の寺院(1)

Matsumae_33Matsumae_36城の裏手には、いくつかの寺院が建ち並ぶ寺町となった区画があります。
まずは龍雲院。2代藩主の松前公広の正室・桂子の発願によって、寛永2年(1625)に建立されたという寺院です。左写真の惣門は嘉永4年(1851)の築。右写真の本堂(重要文化財)は、天保13年(1842)の築とされています。越後柏崎の大工が建てたそうです。北海道では貴重な伽藍の遺構とされています。

Matsumae_39Matsumae_41こちらは、そのお隣にある光善寺。天文2年(1533)の創建とされ、はじめは高山寺という名称だったそうですが、元和7年(1621)に改名。近世に何度も火災に遭ったそうですが、仁王門は宝暦10年(1760)、山門は弘化4年(1847)の築だそうです。

Matsumae_43Matsumae_47左写真が本堂。本尊は平安末期の木造阿弥陀如来立像だそうです。その右側に枝が少し見えますが、これは「血脈桜」と呼ばれるもので、樹齢約300年。「サトザクラ」と呼ばれる種類だそうですが、松前の桜はこれを親木として増えていったそうです。宝暦年間(18世紀半ば)に乙女の姿をした桜の精が住職の枕元に現れ、血脈を授けたという伝説から名前が付いたとのことえす。

右写真は寺町の風景。石畳となっていて風情を感じます。

Matsumae_48Matsumae_51そしてこちらは法源寺。若狭の僧だった伝心随芳という人が武田信広を訪ねる際に奥尻島に漂着し、そこで文明元年(1469)に庵を結んだのを興りとするそうです。延徳2年(1490)に勝山館へ移し、17世紀前半に現在地に移転したとされています。
慶安2年(1649)に火災に遭って再建したようで、左写真の山門(重要文化財)はその際に建てられたものとされているそうです。北海道の寺社建築としては現存最古の部類に属するものとされています。

Matsumae_50Matsumae_52境内の墓地で五輪塔を発見。17世紀以前のものだとは思いますが、どうでしょうか。
右写真は、松前広長墓。6代藩主松前邦広の子で、家老の家を継いだ人だそうです。文武に優れ、多くの書籍を遺したとか。

続きます。

■北海道松前町

2013.10.05

【受贈】『日本の起源』

東島誠・與那覇潤『日本の起源』(atプラス叢書5、太田出版、2013年)受贈。ありがとうございます。與那覇さんとはツイッターを通じて交流がありますので、その縁で送ってくださったものと思います。

現代日本の諸問題を歴史の視点から解き明かす…というのは、本来の歴史学が持つ社会的役割の一つでもあることは、大学に入って最初に歴史の概論で聞いたりするわけです。とはいえそれを実践することはなかなか難しい。本書はまさにその難題に正面から取り組んだ実践の書ということになるでしょう。
直接お話ししたことはないので噂で耳にしていただけですが、とりわけ東島さんの博識ぶりが本書を通してよく伝わってきました(もちろん前著でもそれはよく伝わってきたのですが)。

本書では古代から近現代まで、通史的にサーベイして新たな「日本論」を構築しようとするわけですが、それは容易なことではありませんし、勇気の要ることでもあります。(しかもお二人ともまだ「大御所」という年代ではないからなおさら)。
「日本論」というと中世史の人間としては真っ先に網野善彦さんの名が浮かぶわけですが、本書もその影響を受けたと思しき箇所がいくつか見られました。といってももちろんそのまま踏襲したわけでは当然ない。近年の日本における様々な問題を踏まえて(特に與那覇さんが最近議論を巻き起こした「中国化」というキーワードなども盛り込んで)、まさに“今”の「日本論」として仕上がっています。

内容については人それぞれ感じるところが違う部分もあるかもしれませんが、なぜ歴史を学ぶのかという疑問に答える本として、おすすめしたいところ。とりわけ歴史学(特に日本史)を大学で勉強したいという大学生や受験生に、読んでもらいたい一冊。私も積極的に学生に紹介していきたいと思います。

477831378X日本の起源 (atプラス叢書05)
東島 誠 與那覇 潤
太田出版 2013-08-29

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2013.10.01

房総城跡めぐり

Mangijo_6Sakatajo_8いろんなものに追われてなかなかタイトなスケジュールでしたが、巡見地が房総だということで、先日出身ゼミの巡見旅行に参加してきました。

今回はほぼ城に特化というか、寺院や博物館にも行きましたが、多くは城跡の巡見でした。まだ行ったことのない所もあったので、とてもいい経験になりました。

そのうち、左写真は万木(万喜)城跡。大多喜城の近くにあり、知名度はそれほどでもないですが、遺構をいくつか確認できました。一部は公園になってしまっていますが、なかなかです。
もう一つは、右写真の坂田城跡。こちらもほぼ無名ですが、主郭周辺は比較的よく遺っていました。しかし、季節が季節なだけに藪だらけ(笑)。ここは冬場に来た方がいいですね。

二泊しましたが、いずれの宿も魚づくし(当然)。伊勢エビやらサザエやら鰹やら、贅沢三昧でした。リフレッシュしたところで、年末まで頑張りたいところ…。

Tanjoji_15小湊の誕生寺のそばにある港には、こんな標識が。赤穂浪士が切腹した年に来た地震です。

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