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2014年2月

2014.02.28

シンガポール旅行

Singapore_2Singapore_1先週末から五日間、シンガポールへ旅行で行ってきました。今回は出張でもなんでもなく、純粋なプライベート。
当然ながら常夏の地なわけであって、暑い。暑さに堪えながらも、まんべんなく観光してまわることができました。その分、凄まじい出費になったけど(笑)。

今回はお大尽旅行でしたが、また機会があれば今度はリーズナブルなプランで行ってみたいとも思います。博物館にも行けなかったし、シンガポールでは著名なホーカーズという屋台村もあり、こちらで飲み食いすれば安くつきそう(今回は暑くて外で食べるのは厳しいと思い、食事はすべて屋内で済ませました。)

ほかに対岸のジョホールバルに行ったりもするなど(例のスタジアムの横はタクシーで通った)、充実した旅でした。リフレッシュして、現実に向き合いたいと思います(笑)。校正とかもろもろ、春休みも残り一ヶ月…。

2014.02.19

二月逃げていく

春休みに入ったところですが、色々とドタバタしております。

せっかく時間の余裕が少しはできたものの、研究方面では少々怠慢気味なのですが、月末締切の校正やらなんやらと、それなりにやるべき事がないわけでもないので、気を引き締めて取り組みます。

この春休み中に何か史料を繰ってみたいとは思うものの(候補はある)、なんとなくまだ気が乗らないというか。モチベーションが高まってくるのを待ちつつ、今はどちらかというとインプット(=積ん読解消)に努めたいと思っているところです。

さて、私事ながら来週まで所用が立て込んでいますので、次の更新はまた先になりそうです。
相変わらず中身のない近況報告でした。

2014.02.11

【受贈】『関ヶ原合戦と石田三成』

矢部健太郎『関ヶ原合戦と石田三成』(敗者の日本史12、吉川弘文館、2014年)受贈。ありがとうございます。

豊臣政権期から関ヶ原の合戦を経て江戸幕府が成立するまでの流れを、政治史の側面から通史として編まれた一冊。本書の特色は「家格」に基づく権力内部の秩序形成が豊臣政権を規定する大きな要因であったとするものであり、そのキーワードとして、著者がこれまで注目してきた「清華成」があります。従来の「五大老」「五奉行」という区分では秩序を表現する概念として適当ではないことが明確化されているように感じました。

そして中でも重要なのが、豊臣秀吉の死が近づくにつれて問題化する後継者問題であり、すなわち官位の秩序では徳川家康に劣る豊臣秀頼をいかに政権の頂点として安定的に継承させるか、でした。末期の秀吉はこれに執心した結果、秀吉個人という権力に依存する秩序から「豊臣家」というイエに由来する秩序の構造を生み出した、としています。しかしその構想は秀吉死後にもろくも崩れ去ったわけですが…。

また、関ヶ原の合戦は家康と石田三成という二項対立に帰するものではなく、前者を「維新軍」、後者を「正規軍」と位置づけ、それぞれに相応の「正当性」を位置づけて述べられています。これはとりもなおさず、三成側という「敗者」の視点を当時の政治事情に明確に反映させるべきである、というモチーフによります。

さて、もう一つ注目すべき論点は、近年話題になりつつある豊臣秀次の切腹を巡る経緯ですね。こちらも著者の新視点をもとに叙述されています。その適否についてはこれから議論になると思いますが、一つ疑問というか知りたいと思ったのは、秀次に切腹を迫ったと思われる人物(誰かは実際に読んでください)に対して、おそらくなんらの処罰がされなかったのはどうしてなのか、というところですが。

あたかも推理小説を読むかのような、「謎解き」を思わせるような叙述になっていて、一気に読み通すことができました。史料をそのまま引用した箇所もありますが、読み飛ばしても特に問題はないので、初心者でも安心して読み進められると思います。広く読まれることにより、当該期の最新成果に多くの方が触れて貰えたらなあと思います。

4642064583関ヶ原合戦と石田三成 (敗者の日本史 12)
矢部 健太郎
吉川弘文館 2013-12-12

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2014.02.08

山口(4) 八坂神社(築山館跡)

Tsukiyama_2Tsukiyama_4龍福寺の北隣に当たる場所にある八坂神社。この一画は大内教弘の居館跡とされ、その跡地に建つ神社です。
この八坂神社は南北朝期に大内弘世が京都から勧請したのが始まりとされ、永正16年(1519)に大内義興が高峰山麓(現在の山口県庁の西側)に伊勢神宮を勧請した大神宮を建立するとそこに移されていました。近世末期に毛利氏が現在地に移築し、現在に至っています。
右写真の本殿(重要文化財)はこの永正年間に建立されたものだそうです。

Tsukiyama_8Tsukiyama_915世紀半ばに大内教弘がこの地に築いた居館は「築山館」と呼ばれ、教弘以後の当主の居館として継承されたそうです。現在は国史跡。
右写真のように、一部に土塁らしき痕跡が遺っていますが、近世に庭なども埋められてしまい、居館跡の様子を伺うことは難しいのが現状でした。

■山口県山口市

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