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2014年5月

2014.05.27

まつりの季節2014

5月下旬となると、この業界恒例の?まつりがあるわけですが、私の場合今年は少々勝手が違っていました。

と言いますのも、パネルの討論者として参加する予定だった社会経済史学会の大会ともろに日程が被ってしまい(例年は一週ずれていたのですが)、いかんともしがたく歴研の大会報告はすべてキャンセル。土曜の午後に会場を覗いて本を買った後、そのまま新幹線で京都へ。

参加したパネルは「私札・手形にみる中近世日本信用取引史の新地平― 「アプローチ接続」の視座に立脚して ―」というタイトル。組織者のCさんの周到な準備と綿密な打ち合わせにより、つつがなく終えたのではないかと思います(私だったら、当日適当になんとでもなるでしょ、というノリで臨むことになるので(笑))。
私は単にコメンテーターですけれども、フロアのそうそうたる方々から有益なコメントを多くいただき、とてもいい機会になりました。また、今後の展望も拓けたのではないかと思います。
(まあ、原稿やらなんやらとかあるわけですが…)

その後東京へ戻って歴研の中世史部会懇親会へ。そういえば報告者とは話しませんでしたが(笑)、楽しいひとときを過ごせました。報告者のみなさんお疲れさまでした。

さて、これでいよいよ夏休みまでルーチンの続く日々…。暑いのが苦手な私にとってはより滅入ってくるのですが、なんとか乗り切りたいものです。

ちなみに、私も寄稿した書籍が新たに刊行されましたが、それまはまた後日。

2014.05.18

山口(8) 凌雲寺跡

Ryounjiato_7Ryounjiato_8山口シリーズの最終回。山口の市街地を見下ろす山の中腹辺りにある凌雲寺跡。中世寺院の遺跡で、国史跡に指定されています。

凌雲寺は大内義興を開基とて永正4年(1507)頃に建立された寺院(禅宗か)で、開山は了庵桂悟という僧侶とされています。ただ関連する文献史料はほとんど遺っておらず、詳しいことはよくわかっていません。廃寺になった時期も不明とのことですが、おそらくは大内氏の滅亡によるものと考えられているようです。

Ryounjiato_10このように立派な石垣が遺っています。惣門の遺構と伝えられており、場合によっては城郭としての役割を担う様子を伝えるものとされています。

Ryounjiato_2Ryounjiato_4こちらは遺跡の入口付近に建つ石塔。大内義興の墓と伝わっているそうですが、様式からすればそれよりも古いとされているようです。ただ詳細は不明。

近年発掘調査が進められており、多くの遺物も見つかっているようです。調べてはいないので、所蔵や展示の状況についてはよくわかりません。

■山口県山口市

2014.05.11

山口(7) 乗福寺・今八幡宮・平清水八幡宮

Yamaguchijofukuji_2Yamaguchijofukuji_6訪問順は前後しますが、まとめて三箇所を。
まずは乗福寺。元応2年(1320)に大内重弘が築いたとされ、後に周防国安国寺に指定されたとされています。一度荒廃したものの、享禄年間(1530年頃)に大内義隆が復興させました。大内氏滅亡後は衰退したそうで、塔頭だった正寿院を乗福寺として細々と続いたようです。幕末には坂本龍馬が来訪したとか。
今も塀がかなり心配な状態に見えましたが…。
左写真は、本堂奥にある琳聖太子供養塔。奥には右側に大内重弘の墓、左側に大内弘世の墓があります。
琳聖太子はご存じ大内氏の祖とされる人物で、百済国王子でしたが、611年に周防国佐波郡多々良浜(現山口県防府市)に到来し、土着したとされています。
大内重弘は鎌倉後期の当主で、弘安の役に活躍したとされる人でもあります。元応2年死去。弘世は南北朝期の当主として有名ですね。康暦2年(1380)に没。先に見た正寿院は弘世の院号であり、菩提寺です。

Imahachimangu_1Imahachimangu_4次は市街地にある今八幡宮。起源はいつかはわかりませんが、鎌倉後期にはその名前が確認されているそうで、現在の社殿(重要文化財)は文亀3年(1503)に大内義興が築いたものです。楼門を拝殿のようにした形式は山口地方独特の様式だそうです。社殿は近世に入って度々修理を受けているようです。大内義隆の側近だった相良武任が天文14年(1545)に記した「名籍番文」を所蔵しています。

Hirashimizuhachimangu_2Hirashimizuhachimangu_4そしてもう一つは、山口大学のそばにある平清水八幡宮。社伝にりょうと、大同4年(809)に宇佐八幡宮を勧請したのが始まりとされています。鎌倉期には存在が確認されており、本殿(重要文化財)は室町期のものとされています。この頃は地名を取って吉田八幡宮とも呼ばれていたようで、弘治2年(1556)に大内義長が発給した別当寺の神宮寺職補任状を写したものが遺っているようです。

■山口県山口市

2014.05.05

『日本中世史入門』刊行

秋山哲雄・田中大喜・野口華世編『日本中世史入門―論文を書こう』(勉誠出版、2014年)が刊行されますが、私も一部を執筆しました。実際に書いたのはいつだったか…ですが(笑)、私の担当した文章は、中世経済史の研究史をわかりやすくまとめるという課題に取り組んだものです。

紙幅と私の能力の問題によりすべての研究を適切に紹介できたかは心許ないですが、大学生くらいの初学者を対象としたものとしてはまずまずかなと思います。

中世史では経済に関する分野はすっかり低調になってしまい、最近はあまり研究が進んでいない感がします。私の文章ではあまり貢献は出来ないかもしれませんが…、何かをきっかけとしてこの分野にチャレンジする若手がたくさん出てくることを期待したいと思います。

同じ版元からはまた別の論集に寄稿しましたが、それについてはまた後日。

4585220798日本中世史入門―論文を書こう
秋山哲雄・田中大喜・野口華世編
勉誠出版 2014-05-09

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