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2014年8月

2014.08.29

初中国―上海へ

Shanghai_2Shanghai_1お恥ずかしながら、人生で初めて中国へ行ってきました。上海の大学に就職したゼミの後輩に会いに行き、観光案内をしてもらいました。
中国はやはり英語がほとんど通じず、特に地下鉄に乗るたびにあるセキュリティチェックで揉めると厄介なのですが、ネイティブの後輩に案内してもらってとても助かりました。

それだけに、いろんな所に行けて充実した旅となりました…が、夏休み中なためか凄まじい人の多さで、それゆえマナーもやや問題があり、その辺はちょっと疲れました。夏場は空気が比較的良いのでこの時期に行ったのですが、時期は考え物です。

天気もあまりよくなかったものの、その分涼しくてかえってよかったかもしれません。基本的には観光なので、市内の中心部(外灘Bundから見た浦東のビル群、左写真)や、明代に造られた庭園である豫園(右写真)などへ行きました。

Shanghai_4そしてこちらは上海博物館で、特に貨幣の展示を興味深く見て回りました。撮影可だったので、貨幣の展示は全部撮影してきました(笑)。珍しいものでは、鈔の銅版があるところでしょうか(日本ではお目にかかれない)。

Shanghai_3うち一日は蘇州へ。写真は中でも代表的な拙政園。ほかの庭園も含めて世界遺産に指定されています。こちらも明代の庭園で、とても広大な敷地を誇ります…が、こちらもすごい人でゆっくり見ることはできませんでした。

そんなこんなで若干消化不良なこともあり、寧波や杭州、南京へも行く事を見据えてまた近いうちに来たいと思います。あと、想像していたが、SNSがほとんど使えないのにはやはり閉口。

2014.08.23

【受贈】『明智光秀の乱』

小林正信『明智光秀の乱―天正十年六月政変 織田政権の成立と崩壊』(里文出版、2014年)受贈。ありがとうございます。最近刊行された論文集をベースに、改訂を加えて平易に書かれたものとのことです。
タイトルの通り、いわゆる「本能寺の変」と呼ばれる事件(本書では「天正十年六月政変」と呼んでいます)へ至る経過について、明智光秀の経歴に注目して論じられています。

この事件を扱った書籍は多いですが、本書は多くの史料や先行研究を参照して丁寧に論じられており、その上で明智光秀の出自について独自の説を提示しています。それについては、本書をお読みになってみてください。

本書の特徴の一つと私がお見受けしたことに、幕府の吏僚の動向について詳細に分析がされていることです。政治組織というのはトップの人物の意向によってのみ動くわけではなく、当然ながら事務手続きを執行する多くの吏僚の存在によって成り立っています。足利義昭を追放した後の幕府吏僚たちが織田信長政権とどのような関係を結んだのか(あるいは没交渉になったのか)については、この時代の政治史を考える上でも重要なテーマだと思います。本書はこの点に注目した点で重要な成果と言えるのではないでしょうか。

ある歴史的事件を主題にするとしばしば生産的ではない議論に陥りがちですが、本書は史料に基づいた冷静な議論で叙述されている印象を受けました。今後の冷静な議論の糧となることを期待します。

4898064175明智光秀の乱―天正十年六月政変 織田政権の成立と崩壊
小林 正信
里文出版 2014-06

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2014.08.14

もう立秋が過ぎ

8月に入って待望の夏休み。
前半はあまり予定を入れず、来月末締切の原稿に取りかかる。…が、これが難航。書いては消し、書いては消しの繰り返し。毎度の事ながら、なかなかすいすいとは行きません。
英語の勉強も並行してぼちぼち進めているが、身に付いているのかどうか試す機会がないので実感はなし。
こちら方面も来月末までに文章を1件でっち上げる?必要があり、苦労しそう…。

後半になるとわりとあちこちへ出かける予定なので、前半のうちにめどを付けたかったが、さすがに難しかった。
旅先で原稿を書くということになるのは避けたかったのだが…。

ともあれ、今年の夏は去年ほど暑くはならないようで(今のところの予想では)、この点はありがたい。
しかしそれでもすっかり夏バテ気味で、ビールを飲み過ぎる毎日。
こうして今年も夏休みは過ぎていきそうです。

2014.08.02

臼井城跡

Usuijo_7Usuijo_10こちらは臼井城跡。印旛沼のほとりに築かれた、千葉氏の支配下にあった城郭です。

千葉氏一族の臼井氏は鎌倉期から御家人として名前が見られるそうで、この地域に居館があったと考えられています。築城は15世紀後半と推定されており、享徳の乱との関係があったとみられていますが、臼井氏との関係ははっきりしないようです。
臼井城の存在が確認されるのは文明10年(1478)で、馬加千葉孝胤が太田道灌との合戦に敗れ、この臼井城に籠城したという記事があります(『鎌倉大草紙』)。馬加千葉氏が本佐倉を本拠とした後には臼井城は臼井氏が拠ったことがわかり、その後原氏が入りました。

16世紀になると安房里見氏との対抗拠点として機能したようですが、永禄4年(1561)には関東へ侵攻した上杉政虎(謙信)に呼応した里見義弘によって攻撃を受けて落城。永禄7年(1564)の第二次国府台合戦で里見氏が敗れて原胤貞が復帰したものの、今度は永禄9年(1566)に上杉謙信の攻撃を受けました。しかしすんでの所で北条氏の支援も受けて守り通しています。その後も里見氏との交戦で何度も戦場となったようですが、天正18年(1590)まで原氏が守り抜きました。同年に原氏が滅亡すると酒井家次が入り、慶長9年(1604)に酒井氏が上野高崎へ移封して廃城となりました(廃城時期は異説あり)。

Usuijo_27Usuijo_26手前の第2郭部分から主郭部分へ繋がる細い土橋。現地看板によると、後に盛り土はしているようですが、わりとよく遺っています。上杉謙信が攻めた時はここで激戦になったという話も?

Usuijo_13Usuijo_14こちらは主郭内部。現在は公園になっていて結構手が入っていると思いますが、それなりに雰囲気があります。

Usuijo_16Usuijo_11左写真は土塁の遺構か。右写真は主郭から眺めた印旛沼。現在は干拓で遠くなっていますが、おそらく当時は城の麓まで沼が来ていたのではないでしょうか。
太田資忠の墓が近くにあったようですが、見逃しました…。

Usuijo_1そしてこちらは主郭の麓にある円応寺。寺伝によると暦応元年(1338)に臼井興胤が創建したとされ、臼井氏の菩提寺だそうです。文禄2年(1593)に焼失し、その後再建されたと伝わっているそうです。

Usuijo_3Usuijo_4境内には臼井氏歴代の墓所があり、わりと古い石造物も。臼井氏忠臣岩戸五郎胤安の墓があるとされていますが、これだったかな? 右写真は臼井氏の碑です。

Usuijo_32なお、京成臼井駅を挟んで反対側の住宅街の中には、上杉謙信が臼井城を攻めた際に陣所としたとされる場所があり、石碑が建っています。「一夜城」とありますが、その辺のことはよくわかりません(笑)。

■千葉県佐倉市

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