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2014年12月

2014.12.28

【受贈】『関ヶ原合戦の深層』

谷口央編『関ヶ原合戦の深層』(高志書院、2014年)受贈。ありがとうございます。

テーマは言うまでもなく関ヶ原の合戦ですが、耳目の集まるその戦況についてがメインテーマではなく、関ヶ原の合戦に至る歴史的経緯を掘り起こすとともに、なぜかかる戦争に帰結したかについて分析を行う内容となっているものと理解しました。そのため、タイトルが「真相」ではなく「深層」なのでしょう(語呂を合わせたわけではないと思いますが(笑))。
なお、その対象は、いわゆる西軍に与同した諸大名らが主となっています。

関ヶ原の合戦についてはあまたの研究がありますが、その原因が偶発的・突発的なものではないことは、すでに多くの研究で指摘されてきたところです。ただし、おそらくその中でも分析の主流となってきたのは豊臣秀吉死後の政治情勢であり、とりわけ徳川家康のプレゼンスの増大をめぐる諸将の動向が注目され語られてきたと思います。
もちろん本書もそれを否定するものではないと思いました。しかし、秀吉死後の政治情勢に限定するのではなく、それ以前からの豊臣政権の政権構造そのものの帰結として捉えようとする論考が多いように感じました。この点において、新しい視点を提示しようという意欲があったものと理解しました。

このように、歴史上有名な戦争の背景について、政治情勢が中心となりつつも、社会構造まで深く切り込む研究が最近では時代を問わず主流になりつつあるように思います。本書もその流れに沿った一冊と評価できるのではないでしょうか。

4862151426関ヶ原合戦の深層
谷口 央編
高志書院 2014-11-15

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2014.12.23

実感なき年末

とにかくタイトルが今の実感。

ああ、そろそろインプットしないと置いて行かれる…。

仕方の無いことなのですが、仕事(校務と授業)が生活の中心としてどっかり座っており、なかなかのんびりと研究に頭を切り換えることができなくなってきました。
今年はなんとか論文2本+αをものしたものの(実に7年ぶりに雑誌に依頼原稿ではなく投稿した論文が載りました(笑))、この数年は低迷状態でなんとも情けない限り(もちろん数を書けばよいというものでもないが)。

来年は一念発起して海外で英語で報告しようと思い、エントリーの結果待ち。その準備もぼちぼち進めていかねばならず、今回は少し長い冬休みもほぼそれに費やしそうです。(あと英語の勉強も…)

とりあえず今年もなんとか健康で生きてこられたのがよかったです。…とかいうセリフを口にするトシになりました(笑)。

2014.12.07

【受贈】『名前と権力の中世史』

水野智之『名前と権力の中世史―室町将軍の朝廷戦略』(歴史文化ライブラリー388、吉川弘文館、2014年)受贈。ありがとうございます。このところ名古屋時代にお世話になった方々の出版ラッシュで、私もそのおこぼれに預かっております。私も奮起しないといけません…。

さて、本書は副題にある通り室町期の将軍権力が多用した偏諱授与を手がかりとして当該期の公武関係を検討するもので、一般向けに平易に解説されています。もっとも古代以来の名前の歴史から説き起こしていて、古代史はまったく門外漢の私にはとても興味深かったです。

そもそも権力者の間で「偏諱」を与えるという行為がなぜ始まったのか。あるいは、それと関連して単なる養子ではなく「猶子」という関係がどうして生まれたのか、はたまた中世日本にとって「名前」とはどういう意味を持つのか、そしてそれが家制度とはどのように関係しているのか…。様々な「名前」にまつわる問題が議論され、解説されています。

いわば「名前からみた政治史」といった叙述となっていて、一般的な歴史的事件も「名前」にまつわる人間関係から見直すと、また違った像が描けるのだなあ…などと思いながら読み進めました。

室町から戦国期にかけての政治史あるいは権力論は専門家のみならず一般のファンの間でも議論が盛り上がっているところかと思いますが、本書もそれに一石を投ずるものとなるのではないでしょうか。

4642057889名前と権力の中世史: 室町将軍の朝廷戦略 (歴史文化ライブラリー)
水野 智之
吉川弘文館 2014-10-20

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2014.12.02

韮山城跡

Nirayamajo_1Nirayamajo_14もうかなり前ですが、韮山周辺へ行ってきました。そしてそのメインがこの韮山城跡。

ご存じ「北条早雲」こと伊勢宗瑞(盛時)の居城として知られていますね。明応2年(1493)に当地を侵攻して制圧した宗瑞が築いた城とされ、関東へ進出した後も北条氏の重要な拠点として維持されました。北条氏滅亡後は徳川領国となって内藤信成が城主となりましたが、慶長6年(1601)に駿府へ移ったため韮山は廃城となりました。

Nirayamajo_7Nirayamajo_8現在は韮山高校があり、その敷地やテニスコートが城の中にあります。グラウンドは三の丸に当たるような場所で、居館はここにあったような印象でしたが、どうでしょうか。

Nirayamajo_9Nirayamajo_10二の丸の辺りと堀切のような遺構。

Nirayamajo_16Nirayamajo_17本丸周辺(だったと思う)。

Nirayamajo_28Nirayamajo_32本丸の辺り、そして奥の曲輪(出丸?)へと繋がる遺構。

Nirayamajo_24本丸からはこのように富士山と沼津平野が一望できます。この城の防衛拠点としての重要性がよくわかります。宗瑞もここから富士山を眺めたのでしょうね。

■静岡県伊豆の国市(旧韮山町)

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