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2015年4月

2015.04.21

長浜城跡(伊豆)

Izunagahamajo_6Izunagahamajo_29沼津の市街地から南へ海沿いに進むとある長浜城跡。典型的な浦の城です。国史跡。

築城年代ははっきりしませんが、後北条氏勢力下の天正7年(1579)頃に築かれたようで、いわゆる水軍を率いる梶原氏が拠点としたと考えられています。
天正18年(1590)に豊臣方によって山中城が攻め落とされると、この城も自落したようです。

これより約10年ほど前に来た時はまったく整備されていなかったのですが、このように整備されると見違えるようでした。右写真は主郭(第一曲輪)から海を眺めたものです。

Izunagahamajo_16Izunagahamajo_18麓から登ると左写真のような堀切を経て、右写真の第三曲輪へと出ます。

Izunagahamajo_22Izunagahamajo_24そして第二曲輪へ登り、曲輪を隔てる空堀の跡が遺されていました。

Izunagahamajo_30Izunagahamajo_33左写真が主郭周辺。規模はかなり小さいですが、浦を守る見張り台のような機能を有したのでしょう。港の城としてはよくある立地です。右写真のような眺めで、集落(内浦)が見渡せます。

■静岡県沼津市

2015.04.13

国清寺

Kokushoji_1韮山の中心から山裾の方へ向かうとある国清寺(こくしょうじ)。康安2年(1362)に畠山国清が開いたとされ、その名が寺名となっていますが、実際には上杉憲顕が建立しました。憲顕の父である上杉憲房の追善供養のために建てられたともされ、以来上杉氏の庇護を受けて伊豆随一の禅宗寺院として栄えました。関東の十刹にも列しています。享徳の乱の折りには、足利政知が陣を置いたとされています。
しかし15世紀末に伊勢宗瑞が韮山へ進出すると寺勢は衰え、円覚寺の末寺となったそうです。

Kokushoji_2Kokushoji_5こちらは堂舎。

Kokushoji_7Kokushoji_8そしてこちらが境内にある石塔群。実際に銘を確認できなかったのですが、この中には貞和4年(1348)の銘のあるものがあり(中央右側の五輪塔の下にある宝篋院塔の基台のようです)、この頃には寺院が既にあったことがわかります。

ちなみに上杉憲顕は鎌倉府初期の関東執事(管領)で、観応の擾乱では直義方となりその後もしばらく反尊氏方として活動したものの、貞治元年(1362)に足利基氏のもとで関東管領に復帰。その間平一揆に当たるなどの活動があり、応安元年(1368)に死去。この国清寺が菩提寺となりました。

■静岡県伊豆の国市(旧韮山町)

2015.04.03

変化のない新年度

Img_8020ついに新年度が始まってしまいました。
もっとも私にとってはあまり大きな変化がありません(学内業務的にはちょっとありましたが…)。ただ、来月には初めての海外での報告を控えており、しばらくはそれに気を取られそうです。夏休みになると締切原稿も迫ってくるので(まだ準備をなにもしていない)、それも考えないと…。

実は今年は厄年なのですが、まあそんなことも気にせず、のんびりやっていきたいと思います。
ただ、今のところ健康ですが、不摂生気味なので要注意。運動はしたいけど、なかなかそれに気持ちが切り替わらないのが困ったところです。

写真は、先月末に宮崎の都城で撮った西生寺跡の石塔群。ここのは圧巻でした。状態も良く、全国的にもかなり貴重な石塔群ではないかと思いました。
余談ですが、宮崎県は初めてで、これで未踏県がなくなりました。現地でお世話になったみなさん、ありがとうございました。

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