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2015年7月

2015.07.26

【受贈】『天下統一とシルバーラッシュ』

本多博之『天下統一とシルバーラッシュ―銀と戦国の流通革命』(歴史文化ライブラリー404、吉川弘文館、2015年)受贈。ありがとうございます。

近年の中世日本の貨幣史で交わされてきた議論は、専門家の間では徐々に認知されてきたと思うのですが、まだその成果を反映した一般向けの書籍がありませんでした。これが課題だったのですが、ようやくそれに応える一冊が出ました。

タイトルの通り主に石見銀の流通とそのインパクトに焦点を当てた内容になっていますが、戦国期の貨幣流通の実態についても近年の研究成果を反映して叙述されており、やや複雑化している議論の概略を知る上でも便利になったのではないかと思います。

石見銀ははじめ東アジア世界で通貨として受容された一方、日本列島内での普及は遅れたことも強調されています。これは研究者の間では常識に属する話で、私もなぜそうだったのかいろいろと考えるところもあったのですが、なかなかその要因がつかみきれないでいました。本書で得た示唆を今後の思索に活かしたいと思います。

また、織豊政権期のいわゆる南蛮貿易の発展と日本の貨幣との関係など、私自身も最近は関心を寄せているテーマについても近年のご研究を受けて詳述されており、大いに勉強になりました。私であればどのような違った視点で叙述できるのか、今後いろいろと考えたいと思います。

今後もこの分野の一般書がぼちぼちと出始めるような予感がしています。それによって、議論がより活性化していくことを期待します。

4642058044天下統一とシルバーラッシュ: 銀と戦国の流通革命 (歴史文化ライブラリー)
本多 博之
吉川弘文館 2015-06-22

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2015.07.20

葛山城跡

Kazurayamajo_24富士山の麓、箱根峠の駿河側の麓に当たる地域にある葛山(かずらやま)城跡。「境目の衆」として知られる国衆の葛山氏の居城として知られています。

葛山氏は同地を発祥とする大森氏の一族で、鎌倉期は御家人として駿河国駿東郡に拠点を構えたとされます。室町期には幕府奉公衆になったとされ、駿河国守護だった今川氏からは独立した領主として存在していました。しかし戦国期になると徐々に今川氏の影響を受けるようになり、15世紀末期の葛山氏時は伊勢宗瑞の実子だったといわれています。

16世紀半ばには今川氏の影響を強く受けたようで(実質的に被官化?)、今川氏の没落後は北条氏と武田氏との境目(「半手」)の地域の領主として両者を立ち回ることとなりますが、最終的には駿河を支配下に置いた武田方に属することになり、武田氏から養子信貞(信玄の実子かどうかは異説もあるようで)を迎えたました。
葛山信貞は天正10年(1582)の織田信長の武田攻めによって甲斐善光寺(現甲府市)で自害し、葛山氏は滅亡しました。

Kazurayamajo_1Kazurayamajo_3城の麓には葛山氏の菩提寺である仙年寺があり、ここから登ります。本堂の裏側には墓所があり、最後の当主が武田から入ったこともあってか、武田氏の家紋がありました。

Kazurayamajo_8Kazurayamajo_13比高は大したことないと思うのですが、延々上り坂なので結構きつい登山道を上って縄張りへ。

Kazurayamajo_15Kazurayamajo_17主郭の周辺。いかにも戦国期城郭という遺構。

Kazurayamajo_28Kazurayamajo_29こちらは麓にある居館跡。平時はここに居を構えていたとされ、土塁と一部に石垣も遺されていました。かなり広大な敷地でした。居館遺構がはっきり遺っているのは比較的珍しい感がします。

■静岡県裾野市

2015.07.13

【受贈】『戦国時代戦争経済論』

久保健一郎『戦国時代戦争経済論』(校倉書房、2015年)受贈。ありがとうございます。本書はタイトルにもある通り、戦国期の「戦争経済」をキーワードとして、戦乱下の社会において特徴的に現れる「経済」的事象について、その意義を検討しています。

具体的には、「兵粮」と「徳政」に大別して議論しているものと理解しました。兵粮については、冒頭でも指摘される通り正面からその徴発や運搬といった運用全般に関する分析があまり進んでいるとはいえず、それを受けて本書では主に関東の大名を事例として具体的に分析されており、大いに勉強になりました。

私も経済史を勉強する端くれとして、戦国期の兵粮の問題は当時の日本経済においても無視できない意味を持っていることは、以前から考えてはいたのですが、いざどのように考察するかとした時、手を拱いていたのが正直なところです。本書の分析に学び、特に16世紀後半に米が貨幣史的にも社会史的にもクローズアップされる背景について、私なりに考えていきたいと思います。

ところで読んでいて気になったのは、北条氏の事例で大名から兵粮を支給する際、銭建てから米建てに換算して支給している事例があるのですが、どうもその比率は銭1貫文=米1石で固定していたように見受けられます。つまりこれは実勢相場とはかけ離れた固定相場で換算して支給していたことが明らかなわけですが、それがどのような意味(経済的にというより政策的に)があるのか気になりました。

徳政については、割符の議論と同様の印象でして、かなり精緻でなかなか立ち入りがたいというのが読後感だったのですが、個人的には筆者も示唆するように、基本的には新たな負担を強いる対価として権力側が実行する(場当たり的な)宥免策としての性格がやはり強いのではないかと思いました(すべてではないのは当然ですが)。この点何の根拠も挙げられないので、単なる印象論ですが…。

ついでながら、最後に触れておられた撰銭関連の史料については、知りませんでした。北条氏の貨幣政策として有名な「永楽銭」重視政策がありますけれども、この「永楽銭」が永楽通宝を指すであろうことは間違いないことが、この史料を読んで確信できました。実は、ほんとは永楽通宝ではないかもしれないという可能性も浮かんでいたのですが、その疑念を払拭できました。

4751746200戦国時代戦争経済論 (歴史科学叢書)
久保 健一郎
校倉書房 2015-05

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2015.07.04

興国寺城跡

Kokokujijo_1Kokokujijo_2興国寺城跡へ。戦国期には幕府管国と関東との「境目の城」の一つであり、かつ重要な拠点となった城として知られています。

いつから始まったかはわかりませんが、長享元年(1487)頃に今川氏親の擁立に寄与した伊勢新九郎(宗瑞)が富士郡のうちに所領を得たことによって、この興国寺城に入ったとされています。宗瑞が韮山へ移った後はしばらく記録に表れないようですが、天文18年(1549)に今川義元が整備をさせており、この頃は直轄化していたようです。

今川氏の没落後は武田氏と北条氏との間で争奪戦となり、その後は武田氏の支配下に置かれました。武田氏滅亡後は徳川氏の支配下となり、牧野康成が入りました。徳川家康の関東移封後は中村一氏が支配し、関ヶ原合戦後は天野康景が入ります。慶長12年(1607)に天野康景は改易となり、その後は廃城となったとみられます。

Kokokujijo_3Kokokujijo_11この時は二回目の訪問でした。本丸と二の丸の周辺が城跡として整備されているようで、三の丸は宅地化が進んでいるとされています。写真は中心部の本丸に当たる場所で、背後に高い壁がそびえています。(現在はその後ろ側に新幹線の線路が走っています。)

Kokokujijo_6Kokokujijo_9現地には石像物や、一部石垣らしき遺構もあります。

Kokokujijo_12Kokokujijo_15周囲の空堀もかなり深くなっています。この地域はローム層なので、深く掘ることができたようです。
右写真のように、なんらかの遺構の跡?と思しきものもありました。

率直に言って、ほかの城に比べるとかなり変わった遺構になっていて、なかなか当時の状況を想像することは難しいですが、東海道が視界に入る立地になっていて、地理的には要衝であったことは現地に立つことで想像できました。

■静岡県沼津市

2015.07.01

パソコン更新(6年ぶり)

自宅のデスクトップが故障。6年ものだったので、よく持った方かもしれません。
そこで新たに買い換えたわけですが、当然ながらデータ移行に手間取る。幸い旧パソコンのHDDは健在だったので、データの救出には成功しました。

半月ぶりの記事ながら、こんなことしか書けず…。もう少し更新ペースを上げたいとは思うのですが(史跡ネタが溜まってるし)。まあこれからもぼちぼちと覗いてください。

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