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2015年12月

2015.12.31

2015年総括

締切原稿に追われていたこともあって、あまり実感もないまま大晦日を迎えました。
何はともあれ、今年も無事に年越しを迎えることができてよかったです。

研究面ではそんなにさぼっていたつもりはないんですが、蓋を開けてみると、形になったものはあまり多くはありません。もっとも今年出たものは、実際には去年までにやったものなのですが。
ただ、今年は初めて海外で“英語で”報告する経験ができたのは収穫でした。これきりにせず、来年以降も機会を追い求めていきたいと思います(来春に次の計画をしていたものの、それは残念ながら実現しませんでしたが)。

また、今年書いたものが出るのはこれからですが、それらを書いたことで今後に取り組むべき課題もいくつか見えてきたので、とりあえずは相応に順調だったと思うことにします。

去年以来、今年も海外へ行くことが増えました。行けるのは今のうちという思いもあるので、来年もなるべくいろんな所を見聞したいと思っています。

そして来年は大きなイベントがあり、その準備を年明けから始めないといけません。その点では不安いっぱいですが、なんとか人前に出せるような内容に仕上げられるよう努力したいと思います。

今年も多くの方々にお世話になりました。ありがとうございました。
どうぞ良いお年を。

2015.12.23

【受贈】『一揆の原理』

呉座勇一『一揆の原理』(ちくま学芸文庫、筑摩書房、2015年)受贈。ありがとうございます。三年前に刊行された単行本の文庫版ですが、前著にはあった副題はカットされたんですね。前著はすでに読んでおり、感想を書いたつもりだったのですが、今確認したら書いていませんでした。

日本中世史には長年注目されてきた事象・事件がありますが、「一揆」はその一つといえるでしょう。近世の一揆とはまた別に、中世のそれは戦後歴史学の中で重視された階級社会における民衆闘争(いわば「下克上」の一環として理解される現象)として位置づけられてきました。もちろんそれは戦後社会における社会運動の理想と密接なものであったことは、よく知られているところです。

本書はこの戦後歴史学によって定着した一揆に対する理解を批判的に検討し、むしろ「人のつながり」の中世的なあり方として表れたものだったとしています。その上で、数々の一揆の実態が取り上げられていきます。

一方、本書の特徴の一つは、現代社会の諸現象との関係と比較検討することです。とりわけ近年発達したSNSに注目しています。これは前著においても同様であり、実は私自身は時事ネタをあまり入れない方がいいのではないかと思っていたのですが(編集者も同様の感想を持ったらしい(笑))、文庫版のあとがきで著者の意図が語られたことによって、その意味づけは理解できました。

中世でいう「契約」あるいは「縁」といった、一揆にまつわる人間同士の関係(「つながり」)をどのような理念型として捉えるべきか(現代的な感覚とは同一視できないであろう)、これまた歴史学の重要なテーマの一つだと思いますが、なお考えさせられます。

4480096973一揆の原理 (学芸文庫)
呉座 勇一
筑摩書房 2015-12-09

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2015.12.14

近況と現状

はや年末となりましたが、個人的にはあまり実感もなくといったところです。
というのも、来年に向けていろんな課題が目白押しで、かつ原稿の締切が迫っていたりと、(もちろん授業などの日常もあるわけですから)なかなか落ち着きません。

そうしたなか、いくつか依頼もいただいており、とても光栄なことです。しかし現状では、当面は受諾した依頼でいっぱいいっぱいな状態です。

依頼していただくことはとてもありがたいことだと思っており(また、依頼する側になったこともあるので、経緯を想像するとなかなか断りづらいのもある)、これまで基本的には依頼を断らないようにしてきたのですが、さすがに私自身の能力では限界の状態になっており、この先半年以内のものは、これ以上引き受けるとかえってご迷惑をおかけすることになる(つまり締切までに書けないのが確実)と思います。

具体的には、来年7月までに締切の来る依頼については、基本的にお引き受けすることはもうできない状態です。
個別にいただいた依頼についてはもちろん個別に対応しますが、念のためここでお知らせしておきます。

8月以降についてはまだ何も依頼を受けておりませんので(笑)、私にできる内容であれば前向きに検討いたします。

というわけで、月末締切の原稿がまだ終わってないので、このへんで…。

2015.12.04

三嶋大社・宝鏡院

Mishima_7Mishima_11すっかり間が空きましたが、三嶋大社へ。詳しく説明する必要はないですね。伊豆国一宮で、鎌倉期には箱根神社や伊豆山神社とともに幕府から篤い保護を受けた神社として知られています。
また、独自の暦である三島暦を作成していたことでも知られており、中世後期の関東ではこの暦が広く用いられていました。
右写真は楼門で、左写真は幣殿(重要文化財)。現在の社殿は幕末維新期に再建されたものだそうです。

Mishima_8Mishima_5こちらは拝殿(重要文化財)。奥には本殿(重要文化財)がありますが、様式は権現造。本殿の大きさは出雲大社に匹敵する規模だそうです。
右写真は、おなじみ? 頼朝と政子の(伝)腰掛け石。

Mishima_13Mishima_14そしてこちらは少し歩いた所にある宝鏡院。臨済宗の寺院ですが、足利義詮と足利政知のものと伝わる墓があります。

Mishima_15で、義詮のものとされるがこれ。見づらいですが、下にある大きめの墓石がそれではないかと。この寺院は義詮が建立したとされており、その由縁によるものと思われます。

Mishima_16Mishima_17政知の墓というのはわからなかったのですが、これらのうちのどれかでしょうか。政知は義政の弟で、関東公方に抜擢されて下向しようとするも鎌倉には入れず、結局は伊豆堀越を本拠とし(堀越公方)、延徳3年(1491)に没。このお寺との関係はよくわかりませんが、足利氏との縁をしのんだものでしょうか。

■静岡県三島市

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