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2018.08.24

国府台城跡

Konodai_1久しぶりの史跡ネタ。江戸川沿いにある国府台(こうのだい)城跡。かなり前に行ったので詳しい様子は忘れましたが、写真を紹介します。

はじめは15世紀半ばの享徳の乱の折に、千葉氏の内紛に際して宗家の千葉実胤・自胤が拠ったとされていますが、あえなく落城(宗家は武蔵に逃れて武蔵千葉氏と言われます)。
その後しばらくは拠点としての機能を失っていたようですが、文明10年(1478)に千葉自胤を助けた太田道灌が下総国奪還を目指して進軍した際に、陣を築いて再興させたと言われています。その翌年には太田道灌の弟の資忠らが城郭として整備したともされています。

16世紀になると度々争奪戦となり、二度の大きな合戦に巻き込まれたことで知られています。最初(第一次国府台合戦)は、天文7年(1538)に、古河公方足利高基の後ろ盾となった北条氏綱を主力とする勢力と、上総国の真里谷武田氏や安房国の里見氏らの助力を得た小弓公方足利義明の勢力とが激突。小弓方がこの国府台に拠りましたが、結果は敗北。足利義明は戦死しました。これが北条氏の飛躍の一つのきっかけにもなります。国府台も北条氏の影響のもとで千葉氏(庶流家)被官だった小金城主高城氏が支配しています。

第二次合戦は、永禄6年(1563)から翌年にかけて、房総半島で勢力を拡大した里見義弘が攻略。対する北条方は反撃し、大規模な合戦となりました。戦争の経緯については議論があり、私も詳しくないので言及するのは控えますが(笑)、結果的には北条方が優勢のうちに終結し、上総国の一部にまで進出を果たしました。(その後里見氏とは和睦)

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現在の江戸川左岸(東側)に位置し、河口の先にある江戸とともに、上流域の古河などの北関東方面にも通じる、要衝といえる場所でした。戦国期にあっては、江戸湾の東部沿岸部を抑えるための重要な拠点になったと思われます。

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今は里見公園と呼ばれる公園になっていて、どれが遺構なのかは、門外漢だとよくわかりません。それでも、城らしい雰囲気のするような場所があります。

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■千葉県市川市

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コメント

市川市に住んでいるので、何度も行きました。遺構の跡は乏しく、あまりお城らしい面影はありませんね。かえって、松戸市や柏市の山城のほうが、良い感じで残っています。

>渡邊さん
知らないで行けば、ただの公園にしか見えませんよね(笑)。
小金城は行きましたが、柏の方は行ったことがないので、機会を見付けて行ってみたいと思います。

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