岩殿城跡

これからしばらくは、先日行った山梨の郡内地域です。
まずは山梨県大月市の岩殿城跡(岩殿山城とも)。大月市の中心部北側にそびえる岩殿山が要塞化した城です。
もともとこの山は修験の道場として山頂に「岩殿山円通寺」が建立されていたとされており、三重塔・観音堂・僧房などがあったと言われています。元来、現在の大月の市街地も、この門前町として形成されたとも。
戦国期になると交通上の要衝を抑える観点から、郡内の領主であった小山田氏が影響力を拡げ、小山田氏が武田氏の麾下に入ると、ここに城を築いたようです。天正10年(1582)に武田氏と小山田氏が滅亡すると、変わって支配をした徳川氏にも継承されたようですが、近世初頭に廃城になりました。
ちなみに円通寺は近世まで山麓にあったようですが、明治の廃仏毀釈によって廃寺となったそうです。
この城、登山道が正面の崖を縫うようにして登る長い坂道と階段しかなく、相当疲弊します…。どうも当時の登山道は現在とは異なるようですが、当時の道は整備されていないみたいです。
左写真はその道を八分目まで登ったあたりにある城戸跡。もっとも、自然の岩場を活用したような感じですが。
登り切ると辿り着くのが右写真。遺構というには少々インパクトに欠けるというか…。

左写真は頂上付近の風景。かろうじて曲輪に見える…?
右写真のように、井戸が今も残っています。

そして左写真が頂上。風情ゼロ(笑)。かつてここに円通寺の堂舎があったとのことですが、その痕跡はまったくありませんでした。
城郭施設の遺構も当然ながらなし(空堀の跡はわずかながら確認できましたが)。案内標識には「狼煙台」と書かれていて、実際のところ、この城は麓(右写真参照)に居館があって、山は非常時の詰めの城としての機能を持っているものの、通常はやはり通信施設だったということなのでしょう。今も通信施設が建っているのには、なんとも感慨深いところです。
ちなみに麓の地名は「太刀」と言うそうです。「たち」の音から、「館」に通じるのではないかと。山と市街地を隔てる崖は、桂川(相模川)が流れています。
正直な感想としては、相当な体力を費やすことになるものの、得られる感動はあまりないといったところでしょうか…(笑)。達成感はありますが。
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史跡はこれでおしまい。次回は最終回のおまけです。




いよいよ北端に到達。あと少しです。







参考文献:

























































