2009.02.10

トフティーさん釈放

大きなニュースにはなりませんが、NHKでは取り上げていました(新聞記事はこちらなど)。

こういうことがあると、権力とはいったい何なのか。考えさせられます。
少なくとも、歴史学に不寛容な国家は国家として未熟か、もしくは失格だと思います。

まだ自由を得たとは言えないようですが、一刻も早く思う存分研究に取り組める環境が回復されるよう願っています。

なお、詳しくはこちらをどうぞ。

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2008.12.11

最後の砦も

いよいよJR東もホーム禁煙ですか…。

ついにという感もありますが、これで運賃の高いJR沿線に住むインセンティブも無くなったなあ(あとあるのは終電が遅いことぐらいしか…いやそれは重要か(笑))。

時代の流れと言ってしまえばそれまでかもしれませんが、それなら不平等税制の極みである国鉄の借金返済分くらいは値下げしろとは言いたくなりますわ。
増税するならたばこから、という安易な議論がまたぞろあったりして、喫煙者としては肩身が狭い限りです(笑)。ほんとはすでにたくさん税金納めているから感謝されてもいいのに。

ま、全部ひがみです(笑)。吸わない人に迷惑かけてる部分があるのも確かだしなあ。喫煙者からみても、マナーのカケラもない輩を見ると腹立ちますしねえ。

各紙が今回の話を「分煙」の徹底と書いているのは、語弊があるんじゃないかな? 棲み分けようなんて発想はもはや崩壊した段階のように思いますが。

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2008.09.27

単一民族幻想

なぜか職務とは無関係な国交相が発言して物議を醸していますが(ま、この人の文科相時代の言動を考えればさもありなんって感じですけど)、総理大臣閣下もこういう発言してるので、全然驚きません。
この辺の閣内の意思統一は完璧というべきでしょう(笑)。

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2008.09.15

ガイシ神話崩壊

「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことはり)をあらはす。おごれる人も久しからず。唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊、唐の禄山、是等は皆、旧主先皇の政にもしたがはず、楽みをきはめ、諫をもおもひいれず、天下のみだれむ事をさとらずして、民間の愁る所をしらざしかば、久しからずして、亡じにし者ども也。」


有名な『平家物語』の冒頭の一節ですが、私はこれがどんな歴史書よりも優れた普遍的叙述だと思っております(事例として挙げられた人々が実際に「暴君」だったかどうかはともかく)。

日本は政治も経済も「USA依存」が習い性になってますが、少なくとも経済面では嫌が追うにも「自立」せねばならない時期がやってきたかもしれません。豪華客船に乗っていたつもりが、タイタニック号よろしく轟沈したわけで、しばらくは騒がしくなりそうですね。
少なくとも、これで「ガイシ」神話は終焉といったところでしょうか。就職先の希望で「ガイシ」が羨望された時代が「春の夜の夢」のようです。ほんの数年前だったはずですが。

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2007.09.26

「教育再生」のゆくえ

このところ政治方面ではいろいろありましたが、気になるのは「教育再生」(ってか、教育がいつ死んだのかよくわかりませんが)問題。このところなんだかやや迷走気味ですが、頭目が変わってこれからどうなるんでしょうかねえ。

ちなみに、ここ数年、ドクターの入学者数がかなり減っている傾向にあるようです。大学によっては、定員を大幅に下回っているところもあります(かくいう私の所属大学も…)。いわゆる「重点化」で大学院の定員増がなされたわけですが、当然ながらその先の将来が不透明なため、一般企業への就職状況の好転も相まって思いっきり大学院が敬遠されはじめています。
このような傾向は、個々の将来設計を考えれば、当たり前の話です。引く手あまたの就職先を蹴ってまで、職が得られるかどうかわからない(しかも経済負担も大きい)大学院進学を選択する余地は、よほどの覚悟が無いとまずあり得ない選択です。

そこで問題なのは、本当は研究を目指したいのに、進学を断念する人が増加することです。おそらく既にそういう人は少なくないでしょう。事実、私のまわりにも居ます。
その結果、このままでは、とりわけあまり存在意義に対する理解の進んでいない文系は、研究人口の減少が今後深刻になる可能性が出てきます。そうすれば「ポスドク」問題の自然解消に向かうではないか、という考えもあるでしょうけれども、やはり研究の進歩という観点からすれば、そんなに楽観できる話でもないように思います。研究人口の減少が進めば、今後いろんな面で弊害が出てくる可能性があります。

といっても、ドクター進学については、なかなか勧められないのも現実なわけで…(笑)。

「教育再生会議」は、これから大学・大学院の将来について議論する段取りになっていたかと思います。個人的には、イデオロギー先行が目立つこの会議そのものにあまり期待するものは無いのですが、世間に対する影響力は大きいので、今後の議論の展開によっては大学院の諸問題が輿論の俎上に登ることを少しは期待していたものの…。それすら期待薄となってきたわけですが、はてさてどうなるでしょうか。

現在の「ポスドク」問題も重要ですが(私はそのまっただ中にいるわけで…(笑))、その後、研究分野によっては深刻な「後継者不足」が予想される事態になりつつあります。これからはそこまで見据えた議論もする必要があるようにも…と感じている次第です。

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2007.04.24

そこのけそこのけ「改革」が通る

政府の教育再生会議は23日午前、第3分科会(教育再生)を首相官邸で開き、大学・大学院改革について、国立大学の大学院生に占める同大学の学部出身者(内部進学者)を最大3割程度に抑えることなどを柱とする素案を大筋で了承した。
―http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070423it02.htmより引用


これって憲法違反じゃないの?
しかしまぁこの手の発想は相変わらずやね。で、今までの「改革」で少しは「活性化」したんですかね?

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2007.02.19

独裁者リスト

おそらくあまり日本人には馴染みのない(お恥ずかしいことに私も知らなかったのですが…)、この前亡くなったトルクメニスタンのニヤゾフ大統領、びっくりするぐらいの独裁者ぶりだったようですねえ。我々には近隣の国の人についてはよく情報が入ってくるわけですが、少し離れると極端に情報をほとんど耳にしなくなってしまうので、同時代に生きながら、意識しないと知らないままで終わってしまうものがいかに多いかを感じます。

"Parade"っていう雑誌があるそうですが、そこで毎年「独裁者リスト」ってのを作ってるそうです。
今年のリストはこちら

1) Omar al-Bashir, Sudan
2) Kim Jong-il, North Korea
3) Sayyid Ali KhamEnei, Iran
4) Hu Jintao, China
5) King Abdullah, Saudi Arabia
6) Than Shwe, Burma (Myanmar)
7) Robert Mugabe, Zimbabwe
8) Islam Karimov, Uzbekistan
9) Muammar al-Qaddafi, Libya
10) Bashar al-Assad, Syria
11) Teodoro Obiang Nguema, Equatorial Guinea
12) King Mswati III, Swaziland
13) Isayas Afewerki, Eritrea
14) Aleksandr Lukashenko, Belarus
15) Pervez Musharraf, Pakistan
16) Choummaly Sayasone, Laos
17) Meles Zenawi, Ethiopia
18) Hosni Mubarak, Egypt
19) Paul Biya, Cameroon
20) Vladimir Putin, Russia

皆さんどれぐらいご存じでしょう? かつては、ニヤゾフ氏も当然ながら常連だったみたいです。
キューバのカストロ議長はもう入ってないんですね。
ただ、このランキング、アメリカの雑誌によるものであるということを意識する必要がありますが。それにしても中国の嫌われっぷりは相変わらずですね…(笑)。

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2006.12.29

15世紀的状況?

社会の安定によるバブル絶頂→政治不安と世情不安で景気縮小→既得権者の財政悪化→構造改革→格差拡大(今ここ)→貧困層の暴動→政権上層へ拡大→内乱→地方の独立政権化

あくまでこじつけですが、今と似てる気がしてきました(笑)。

15世紀の日本は、足利義満の政治的卓越性と積極的な対外交易の推進で、まさにバブル絶頂と言って良い形で迎えました。しかし義満の死によって足利義持が政権を握ると、その個人的偏執性もあってか中国(明)と断交、関東とも険悪化。おおむねバブルの余韻に浸る治世でしたが、関東の内紛にも足を引っ張られて、徐々に退勢化。
そんな中、社会基盤であった荘園制が制度疲労で衰退期に入り、領主層の財政悪化。そこで取った切り札が「代官請負」。守護(およびその被官)のみならず、果ては商人にまで年貢徴収を請け負わせるようになる。まさに「民間にできることは民間に」(笑)。
基本的に当時の為政者は経済政策に無関心で、実質的には民間が好き放題にやっていた結果、15世紀半ば頃になると、有徳人と呼ばれた富裕層が増加する一方、貧困層の増加が徒党化を招き、頻繁に暴徒化してゆく。これは実質的には地域の小領主層(中間管理職?)が煽動しており、中央の派閥対立に乗じて上層を巻き込んで、結果的に内乱(応仁の乱)を招きました。その後は、中央政権の国家的統制力はほとんど喪失してしまい、各地で排他的な権力が乱立し、100年にわたって紛争を繰り返すことになります。

当時の歴史はもちろんこんなに単純なものではありませんが、おおまかな流れとしては、こんな感じかなぁ、と。現代の政治的状況にあえて似せてエピソードを選んだ向きもありますが(そういう意味で「こじつけ」)、安定的な経済状況からやや退勢的な状況になると、極端な保守層と極端な革新層(というか、革命主義)の二極分化になりがちなことは、わりと超時代的に見られることかもしれないなぁ…という気がします。となると、15世紀後半は、そのような状況が結果的に内乱を招来した格好に見えなくもない…。

もっとも、当時においては武力を使ってでも「自分の財産は自分で守る」(自力救済)のが当たり前で、人々の国家権力への依存度は相対的に低かった点で今とは違うわけですが、今の年金問題を見ると、着実に国家に対する不信感が拡大しているわけでして、そこからすると、「500年以上も昔の話をされても」と一笑に付すわけにもいかないかも。
もちろん現代人は国家によって手厚い保護が加えられている一方、当時の人々とは違って、自力救済の手段がほとんど与えられていないとも言えるわけで、さすがにただちに暴徒化するとは思えませんが。ま、さしずめ今は「刀」ではなくて「投票用紙」ですかねえ。一つ言える事は、庶民を敵に回した政権は、長生きできないってことでしょうか。

気が向かない限り(笑)、年内の書き込みはこれでおしまいです。みなさん良いお年を。

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2006.12.15

教育基本法改正

いよいよ成立したそうで…。とりあえず備忘記録。

論点はいろいろあれど、やっぱり国家権力の誤謬可能性を否定したのが気にかかるなぁ。これからは性悪説に立つべしという論調が席巻している中、国家権力に対してのみ極端な性善説に立っていいのかどうか…。
私は心配性なのかもしれませんが。

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2006.11.18

教育基本法の件

もちろん関心が無かったわけではないんですが、表立っては触れずにきました。ここで個人的な見解を述べることはもちろん自由なんですが、巷間にあふれている賛否両論に対して、あんまり気の利いたことは言えないしなあ…で。
ただし、かなり熱心に「改正」(というか実態は「現行法廃止・新法制定」)を目指す自民党の目的はどこにあるんだろう…?というのは少し気になってはいたので、自民党のホームページにある一節を読んでみました(以下引用箇所は斜体字)。

(基本法改正は自民党結党以来の悲願)
(制定以来改正なし 社会状況や教育環境が大きく変化)

賛否はともかく、この2点については、主張として明快だと思います。

(教育全般に様々な問題)
3. また、近年、子どものモラルや学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の低下など教育全般に様々な問題が指摘されており、若者の雇用問題も深刻化しています。

前2点は、私は教育現場にコミットしていないので正確なことはわかりませんが、実態としてはそうかもしれません。
ただ、最後の「若者の雇用問題も深刻化」というのは、なんか唐突な気がするんですが…。ここはいわゆる「ニート」とか「フリーター」の問題を念頭に置いておられるのでしょうか。でも、それって具体的に現行教育のどの点に問題があるのでしょう…?

(「公」軽視の戦後教育)
4. 更に、戦後社会や教育現場においては、個性の尊重や個人の自由が強調される一方、規律や責任、他人との協調、社会への貢献など基本的な道徳観念や「公共の精神」が、ややもすれば軽んじられてきました。
 その結果、ライブドアの決算粉飾事件や耐震偽装建築問題に代表される拝金主義やルール無視の自己中心主義が、日本社会や日本人の意識の中に根深くはびこり、日本の将来を危うくする事態に陥っています。特に人口減少社会の進行、アジア諸国の台頭・発展などを鑑みれば、こうした問題に一刻も早く手を打つことが、我が国の存立のための喫緊の課題といえます。

ここは難解で、詰まりました。現状認識としての、「「公共の精神」が、ややもすれば軽んじられてき」たことは、まあそうだということにしましょう。ただ「その結果」として続く具体例が、「日本社会や日本人の意識の中に根深くはびこり、日本の将来を危うくする事態に陥ってい」るというのは、読解力に欠けるのでしょうか、私には全然因果関係がわからん。
21世紀に差し掛かる頃、グローバリゼーションが叫ばれて世界的な資本主義市場が形成されるという社会認識にあったはずで(というか、今もそうでしょう)、それに即応した世界戦略として、むしろ政府主導の形でこのような「世界標準」としての自由主義志向が奨励されていたように思うのですが。その理解が間違っていなければ、政権党である自民党さんはその戦略が誤りであったとお認めになるということなのでしょうか…?
そもそもホリエモンやアネハさんやオジマさんに代表されるという「拝金主義」や「ルール無視の自己中心主義」が現代「日本人」の典型例だとすれば、「おいおいそれはどうよ」と言いたくなるんですが…(「株で一儲けしたい」などとのたまう小学生をもてはやしていた一時の風潮を見ると、この反論は少し自信を失うところですが(笑))。私には危機感足りませんかねえ?
しかもその後に続く社会的課題の対策として、どれだけ教育基本法が寄与するのかが、私には全然わからんです。わかる人、教えてくださいませんでしょうか。

確かに60年も経てば時代環境も変わっているわけだし、実情に合わせた変更をすることは必要である、というのはわかります。ただ、各論になるとどうも飛躍が見られるのは気のせいでしょうか。自民党を支持していないからわからないんだ、というのではなく(笑)、その辺もうちょっとわかりやすく諭していただければと思うんですがね…。(あと、全体的に日教組攻撃の論調が主題と言わんばかりに頻出しているのは、単に日教組を潰したいだけの「改正」と誤解してしまうので、お節介ながら印象としてあまり良くないと思います。)

ついでながら、特に重視されている「わが国の伝統や文化」が具体的に何を指すのかが、やはり重要に思うわけです。今後「伝統」や「文化」として教育現場で推進されるものが、実は「伝統」でも「文化」でもなかったら困りますからねぇ。まぁこれについては個々の考え方の違いももちろんありますから、あんまり厳密にあれがどうとか議論しても詮無いことかもしれません。しかしそうであれば尚更、一字一句の厳密性が要求される法律論議にそのような曖昧な論点を持ち出すのもどうかと思うわけですが、いかがなもんでしょ。

<追記>
そういやこれ↓まだちゃんと読んだことないな…ってことで、自分用メモ。

創られた伝統創られた伝統
エリック ホブズボウム テレンス レンジャー


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2006.10.06

「歴史家」人気の到来?

「日本版ポリティカルコンパス」というサイトがあるのをこちらで知ったので、私もやってみました。

政治的な右・左度(保守・リベラル度) -2.4

経済的な右・左度(市場信頼派・政府介入派)  -2.78

あなたの分類は リベラル左派 です。

だそうです。まあ自覚していたので驚きませんが。

新首相就任早々、国会はさながら近代史討論会になっている感がありますね。その内容についてはとやかく言いませんが、「歴史家」という単語が頻発しているところから、歴史学への注目が集まるのではないかという期待感が…。妄想かな(笑)。
首相におかれましては、昔とは違って「歴史家」の真摯な取り組みを評価してくださっているものと勝手に理解しておりますが、「歴史家」の下した結論をそのまま受容していただけるのかといえば、やっぱりそうでもないような気も…(もちろん一朝一夕に結論が定まるわけではありませんが、議論自体は既に積極的に進められており、一定度の達成を見ているわけでもあるようにも思うわけで)。

まぁそれはそれとして、ここで学界としては、個々の意見の中身はともかく、社会的役割を周知してもらうために「歴史家」がバンバン露出するという戦略を採るのも一手かなあとも思うわけですが、言うは易く行うは難し、ですかね…。政治は歴史をまとわなくとも成立する余地はあるんでしょうけど、歴史は政治をまとわずに成立する余地がまず無いからなあ。
個人的には歴史への関心が国民的に高まること自体は喜ばしいことですので、一緒に「考える」ような風潮が広がればいいですね。もちろんそこでは「大人の議論」に徹するという担保が必要ですが。そのためには、論壇が二項対立を煽るような流れになってしまうのはもっとも避けたいところですが…。

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2006.08.23

歴史的悲劇のエネルギー源

うさたろうさんのところで話題になっている靖国問題。
せっかくなんで、こちらに書いたコメントを改訂して転載。

根拠に乏しい話ですが、20代までの若者にとって、おそらく自らの人生において身近に存在した権威的存在というのは、教師だけだっただろうと思うわけです。社会的にドロップアウト気味な層にとっては、彼らの不遇の責任を社会に求めようとした時、具体的に浮かぶ「巨敵」というのは多分、戦後民主主義、時には左翼的思考を説く教師になってしまう側面もありそうに思えます。
すべての人がそうだとは思いませんが、彼らが「巨敵」に対して「自虐」をキーワードに攻撃することによって、自らを不遇に貶めた社会に対する“レジスタンス”になぞらえて陶酔している面もあるのだろう、と思います。

この話、先日の某新聞に同じようなことが書いてあってふと浮かんだ感想です。とはいえ私らの世代でも、せいぜい未成年のうちは同じ環境だったと思うわけですが、なぜ今と昔は違うのか、という問題を考える必要がある点で、この「説」はまだ難ありです。社会環境の違いなのか、家庭環境の違いなのか、…色々要素はありそうですが、専門家ではないのであまり突っ込んだ分析は出来ません。結局ネットのせいになっちゃうのかなぁ。安易にそこに理由を求めるのは、やや抵抗もあるんですが…。

ちなみに私自身は、特に高校生の時は教師の持つ「権威」にはあまり不快感を持っていなくて(わりと仲が良かったためでもあるでしょう)、横並び主義的な同級生の雰囲気を極端に嫌悪していました(単純に仲が悪かったせいもあるでしょう(笑))。
そういう意味では、おそらく深層ではネチズンの悪弊に対する懸念が強い方だと思うわけで、歴史的には帝国主義的状態よりも、ファシズム的状態の方がより悪質で不幸である、という一種のイデオロギーが私には根付いているようです。その点では、政治家の排外主義的言動よりも、それを直接的にしろ間接的にしろ、支持してやまない大衆動向の方が、より危険に感じています。

戦争問題に引きつけて言えば、日本国民はA級戦犯が責任を被ることで、国際社会から免罪されました。それをいつまでも引きずって良いのか、という批判は批判としてありだと思います。しかしA級戦犯を東京裁判の妥当性の有無にまで遡及した上で罪から解放してしまうことは、自ら歴史の精算を拒否するということであり、代わりに国民が自らその責任を負うことの表明であるという自覚をせねばなりません。
かの戦争は軍部の暴走という視点が重視されており、確かに契機はそうなんですが、それを下支えしたのは明らかに「国民感情」の存在であったことを、決して忘れてはいけないと思います。

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2006.08.16

反「国益」ナルシスト

祖父も親父も国会議員で、自らも40年国会議員をやっていて、あの間抜けな言動の数々は…。
一体どういう脳みそしてるんでしょうかね。真の意味でのバカじゃないの?

まじめに論評する気にもなれない。

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2006.07.21

歴史学の出る幕は無いのか

話題にした時点で既に思惑にはまっているんでしょうけど、にわかに沸騰している靖国神社のA級戦犯合祀に対する昭和天皇の発言問題ですが、既に指摘もあるように、該当箇所のメモは後から手帳に貼り付けた線が濃厚のようで、もうちょっと綿密な史料批判を経る必要があるように思いますねぇ。筆跡からするとメモ自体が捏造というわけではないようですが、いつどこでどのような状況で書かれたものなのか、メモにある代名詞が誰を指すのかは、やや曖昧さを残すようです。読み方によっては、松岡洋右と白鳥敏夫の二人に対する遺恨が主題だと読めなくもないし、その辺でもおそらく評価の分かれるところです。

そういう点では、「専門家による綿密な検証を経る必要があるのでは」という趣旨のコメントをした谷垣財務相の発言が一番冷静かなという感じ。ほかの閣僚諸氏は、無関心を装うコメントがかえって「腫れ物に触りたくない」感を出していて、いかにも無責任らしさが出て反応としてはペケですね。まぁ確かに「今更」感があるのも事実ですし、時期的に考えてこのネタのリーク自体になんらかの意図がありそうな気はしますから、うっかりしたことが言えないのはわかりますが…。もっとも、ほんとに関心が無いのかもしれませんがねぇ(笑)。
いずれにせよ、昭和天皇が言ったからどうこうといったところで、かかる問題が根本的解決を見るわけではないと思うので、一時的に議論が百出しつつも、肝腎の来月の15日にはもう忘れられているような気も…。

ともかくも、こういう時こそ史料批判の必要性を世間に周知してもらう良い機会なわけですが、マスコミが真っ先に冷静沈着な歴史家(啓蒙家っぽい人はダメ)に相談が行っていないようであるのはちょっと気になるところです。やっぱ歴史家ってあんまりあてにされてないのかなぁ?

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2006.06.02

1.25

学生身分を消失したので、先日久しぶりに年金を払いました。月13860円也。一ヶ月の食費分くらいあります。

ところで今の年金制度は、「2007年度に出生率が1.306で底を打ち、2100年には1.73になる」のを前提に作られていたはずです。数年前、いわゆる「厚生族」議員が得意気に話していたのを思い出します。
ここで言われている通り、確かに中長期的には努力次第で変化させることは可能と言えます…が、単なる「努力目標」を「推計」に化かしたのは、明らかに作為的ですね。当然ながら、国会で審議されていた頃から出生率の推計が甘すぎることは散々言われていたのに、与党は聞く耳を持たず押し通しました。
結果、去年は1.25ですよ。当ての外れた「推計」を基準に算定されているので、すなわちこのままでは確実に破綻することになります。はてさてどうするのか見物ですね。せめて、このいかがわしい「推計」を採用した官僚は獄門ものだと思いますがね。ここを見ると、何をかいわんや。

「自国の民族が滅亡するような低い出生率は、どの国も想定していない」

いい言葉ですね(笑)。返礼として、「公僕が国家百計を語るなかれ」という言葉を謹呈したいです。
そしてなぜか社会保険庁は、不祥事が出れば出るほど首の皮が繋がるのですね。不可説々々々。

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2006.05.18

僭越ながら…

こちらを読んで、私も「ああ、やっぱり」と嘆息。
やはり政府は確実に嘘を吐きました。「財政再建」という目標は確かに果たされるのかもしれませんが(これとて少々雲行きは怪しいですけど)、そのためには国会で堂々と嘘を吐いて良いなんてことは、決してない。目的は手段を正当化しないのである。
どうせこの事実を突きつけたところで、返答は、「もう民間になったのだから関係ない」でしょうね、おそらく。詭弁どころか、こういうのはペテンと言うのではないか。

竹中平蔵総務相の困ったところは、「学者出身」という肩書きが世間に浸透している部分。政治家が詭弁を弄するのは今に始まったことではありませんが、「なんだ、学者も同じことやってるのか」と世間に冷たい目で見られるようになると、学問に対する風当たりが一層きつくなりかねない。まぁそこまで考えるのは大袈裟かもしれませんが…。
しかし私が言うのもおこがましいけど、なまじ専門家なこの人は某都知事以上に「母校」の面汚しですわ。ほんといい加減にしてくれ。

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2006.03.19

国立博物館・美術館の「改革」

今国会で、文部科学省は「独立行政法人に係る改革を推進するための文部科学省関係法律の整備に関する法律案」というのを出しています(中身はここにあります)。アホ野党とスキャンダルばかりを追うマスコミのお陰で法案審議にまったく世間の目が向かなくなってしまったこともあってか、私の知る限りこれについてのマスコミ報道は皆無なので、一言。

まぁ要するに、例の独法改革の文部科学省版です。至近では17日に衆議院で審議がされていますが、それを見る限り、青年の家関係の統合問題が主要議題だったようで、この中にある国立博物館・美術館の「改革」についてはほとんど触れられずじまいだったようです。
具体的には、これらを「特定独立行政法人」から「(特定ではない)独立行政法人」にする、というものです(違いなど詳しくはこちら)。要するに、職員を非公務員化するってことで、それ以外は法的には明確にはされていないのですが、現実的には、採算性重視の「経営」を行うよう無言の圧力がかかることになると思われます。
私の見た限りでは、わずかに保坂展人議員(社民党)だけがこの問題を取り上げていて、小坂憲次大臣は、採算性重視によって設置趣旨を損なうことはあってはならない、という旨の答弁をしてはいましたが…、どうでしょうかねぇ? 「独法化」によって変わった点について役人は、コンサートホールとして使えるようになったとか、そういうことを言っていましたが…。少なくとも学芸員の勤務実態に配慮した発言だとはとても思えませんし、あくまで一例だとしても、その中のとっておきの代表例が、美術館でコンサートができるようになった程度のことなの? かつてホリエモンがフジテレビを買収してどんなメリットがあるかと問われた時、真っ先に「女子アナのブログを開設できる」なんて言って失笑を誘ったものですが(笑)、それと同じレベルだとしか思えない。まさに「理念無き改革」ではないか。

実際の審議では、特定ではなくなった独法の役員がほとんど天下りで占められている点が指摘されていました。すなわち非公務員化なんてのは詭弁である、と。また、法人の執行役員が全部(元)役人になっていて、どこに「民間の手法」を導入する余地があるのか甚だしく疑問だ、というわけです。それを追及するのはもちろん重要なことです。
職員の身分を公務員とするか非公務員とするかという話については、それはどっちが良いのかはわかりません。しかし現に天下りは止まっていないし、かえって「採算性」ばかりが言われ(そもそも独法の理念に「独立採算」などと謳ってはいない)、結果として国民の利益を著しく損なうようにならないことを、切に願うばかりです。
博物館や美術館を有効利用することは大いに結構だと思いますが、"小難しい"展示が撤去され、そのスペースは"体験学習"と称した単なる遊戯施設となってしまい、さらには企画展スペースが単なるイベントホールと化して、「ほら、改革の成果が出てきている」と言うのは勘弁願いたいです。

なお、残念ながら法案は委員会採決で可決しました。このまま行けば、平成19年度から国立博物館と美術館から「特定」が外れることになるようです。

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2006.02.12

国会図書館の独法化案について

昨今は時事ネタに溢れていますが、どれも食指が動かず、というか…。大して奇抜な提言ができるわけでもないし。
そんな中、ふと気になったのは、国会図書館独法化の動きがあるそうで。既にこちらこちらで話題に上っていますが、その動きを懸念する国会図書館側の意見もネットで公表されています(こちら[pdfファイル])。
自民党がどのような理念のもとに独法化しようと考えているのかは今のところわからないので何とも言えませんが、独法化したことによって国会図書館の機能が縮小するのであれば、個人的にはあまり賛成できません。
いち国民としては結果的に国会議員の立法能力を損なう結果になってはもちろん困りますし、しかも国会図書館のいう「納本図書館」としての機能が損なわれることは、研究進展にとって大きな阻害要因となるので、個人的にはこちらが非常に問題です。
おそらく独法化の目的は「効率化」にあるものと思われます。もちろん「ムダを省く」という意味における「経費節減」という理念そのものは今や「国民の総意」と言って過言ではないでしょうから、それそのものについては、私が抗ったところで仕方のないことでしょう。しかしそれが「収益性」という言辞にすり替わり、結果として図書収集という基幹的業務に経済効率のみが優先されると、極端にいえばそこらの本屋と変わらない発想に陥る懸念が高まります。「不経済」な書籍は元々採集されないか、既にあるものが将来的には廃棄されることも考えられます。
言い方は悪いですが、「こんな本誰が見るんだ」というようなものも、遺漏無く採集するような図書館が国に一つくらいは必要ではないかと思うのですが…。で、そんなのはもちろん民間にはできません。

つらつら思うに、国会図書館って、そもそもその存在意義が「経済性」と相反するもののようにも思うわけですが…。国会図書館に行くと、時折国会議員の方々がまじめに調査されている姿を見かけますが、こういう方々はいかがお考えなんでしょうかね。

なんかまだあんまり考えがまとまってないので、さしあたり問題提起ということで…。

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