2009.11.04

いざ鎌倉

KamakuraekiYuigahama_1二日間かけて鎌倉へ行ってきました。
鎌倉はかれこれ十数年ぶり。東京に来て以来行かずじまいでしたが、一念発起してやっと訪問できました。

偶然だったのですが、円覚寺と建長寺では、「風入れ」で宝物を公開していたのが幸運でした。しかも円覚寺では舎利殿の近くまで行けたのが収穫(撮影禁止だったのは残念でしたが…)。公開していた円覚寺の文書は圧巻。尾張国富田荘の絵図が目に入った時は、思わず感嘆の声を出してしまいました(いかにもアヤしい人な風情)。満足。

初日は北鎌倉をくまなく回って、扇谷を経由して鎌倉駅まで歩く。写真の駅の風景は、その際の暮れなずむ時間帯のもの。その後は近隣のお仲間のお宅にお世話になり、宴会(ありがとうございました)。そして宿泊。

二日目は鎌倉駅から由比ヶ浜まで歩き(右写真)、さらに大町周辺と二階堂の方を廻りました。鶴岡八幡宮と大仏はパスするというマニアックなコース。もっともこれらも久しぶりに見に行きたかったのですが、時間の都合によりまた今度、ということで…。

二日間で結構歩きました。筋肉痛が辛い(笑)。それにしても、鎌倉はとても一日二日では廻りきれません。また近々再訪したいところです。
どちらかといえばオフシーズンなものの、凄い人出でした。特に小町通りは昔から有名とはいえ、すっかり雰囲気が一変したような気もしましたが、どうなんでしょう。混み合う鶴岡などは避けて正解だったかもしれませんねえ。

さて、心機一転したことで、性根を入れて本業をがんばります…。

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2009.10.12

日本史研究会大会と大徳寺

今年も日本史研究会大会に出席しました。
テーマについては、私はまったくの門外漢でしたが、それゆえにかえって知らないことが多かったので、楽しく拝聴できました。内容も理解しやすく、勉強したなあという感じです。

討論を聞いていると、残された課題はあるようですが、課題はある方がモチベーションも高まるものというものです。今後の展開を期待しております。(なんか偉そうですが(笑))

昼休み中は会場に近い大徳寺に行ってきました。初めて行ったので、じっくり見て回りました。目当ては総見院の期間限定公開だったのですが、寺宝の「曝涼」(虫干し)を一年で一日だけという触れ込みでやっていたのが収穫。しかし、唐門って写真撮れないんですね…。ここが少々残念。
このネタは例によって追々ということで。

おかげで本を見て回る時間がなくなり、終了間際に慌てて購入予定のものを買い込む。
ドタバタしつつも、充実した二日間でした。というか、学会に行ったというより、京都に遊びに行ったという感がしないでもないですが(笑)。ともあれ、運営に携わったみなさん、ありがとうございました。
(今年も、たくさんの方に「ブログ見てます」と言われました…(笑)。)

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2009.09.19

旅行で名古屋へ

Inuyama_1Nagoyajoこの時期恒例の、出身ゼミの旅行に同行。
今年は名古屋周辺となりました。なかなか行きそうで行かない地域でもあるということで。

私自身は、かつて住んでいたにもかかわらずちゃんと見て回っていなかったので、いい機会になりました。
よくあることですが、住んでいるといつでも行けるから、となるんですが、結局行かないわけでして…。

左写真は今回の目玉、現存最古の天守閣とされる国宝の犬山城。ここは二度目の訪問。木曽川に架かる橋(かつて電車と車が一緒に走っていた所。こちら参照)から撮りました。窓越しなので写りは悪いですが…。

右写真は、お馴染み名古屋城。こちらも中に入ったのは二度目です。三の丸跡からの眺め。
手前の銅像は、加藤清正像。

Gofujo_panそして、岐阜にも行きました。岐阜を観光するのはほぼ初めてで、岐阜城にも初めて登りました。
写真は、岐阜城天守閣(再建)から南西方向の眺め。もやが掛かっていて、ややいまいち。下に見える川は長良川。

多少のトラブルもありましたが、尾張の史跡をだいぶ見て回ることができました。
また追々紹介してゆきたいと思います。またしても、忘れた頃になりそうですが…。

これで今夏のイベントも終わり。これからは腰を据えて本業に…といきたいところですが、仕事も段々増えてくるので、どこまでできるやら…。

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2009.09.05

横浜三渓園の古建築

Sankeien_1Sankeien_10少し時間が経ってしまいましたが、盆休み期間中に横浜は本牧にある三渓園へ行ってきました。
理由は、園内のすべての建物を全面開放していたためです。もっとも、そのお蔭ですごい人出。写真を撮るのに相当苦労しました…。まあ途中からはもう諦めて人が入るのもお構いなしになりましたが(笑)。

近代に生糸貿易で財を成した原三渓が、京都や鎌倉から古建築を移築して展示した公園で、中世から近世初頭にかけての建物も多くあります。

Sankeien_23Sankeien_39左写真は、月華殿(重要文化財)。慶長8年(1603)に徳川家康が伏見城に建てた、諸大名控え室の建物です。伏見城廃城の後は三室戸寺(みむろとじ)金蔵院(京都府宇治市)に移築され、1918年に三渓園に移されました。

右写真は、春草廬(重要文化財)。月華殿に附属して建てられた茶室とされています。月華殿と同じ経緯で三渓園に移築。織田有楽斎が建てたものとも言われています。

Sankeien_33Sankeien_4左写真は、天授院(重要文化財)。慶安4年(1651)築。元は鎌倉の建長寺の側にあった心平寺という寺院の地蔵堂とされています。かつて堂内にあった仏像は、今は建長寺に安置されているとか。

右写真は、旧原家住宅。鶴翔閣と呼ばれ、原三渓の旧居です。

Sankeien_56Sankeien_52こちらは、臨春閣(重要文化財)。慶安2年(1649)に、紀州藩初代の徳川頼宣(家康の子)によって、現在の和歌山県岩出市(旧岩出町)の紀ノ川沿いに建てられた別荘です。かつては「巌出御殿」と呼ばれ、後に将軍となった徳川吉宗がここで育ったんだそうです。
桂離宮(京都市西京区)とともに、数寄屋風書院造として貴重なものです。現在の大阪府泉佐野市に移築された後、1917年に三渓園に移築。庭園の風景と合わさって、なかなか風流です。中には襖絵や豊臣秀吉ゆかりの調度品もありますが、じっくり見るには人が多かったです…。

残り(実質メイン)はまた別途。

■横浜市中区

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2009.08.28

2009年サマーセミナー御礼

2009summer2009summer_2先日書いた某イベントの顛末ですが、恒例の中世史サマーセミナーに参加してきました。
例年以上になかなかハードな日程でしたが(笑)、それだけに非常に充実した旅となりました。お世話になったみなさん、ありがとうございました。

場所は高野山。世界遺産にもなっている「町石道(ちょういしみち)」の一部を歩くのがメインテーマといったところでしょうか。左写真は、その「町石」の一つです。高野山の登山道に、一町(約100メートル)ごとに設置されたもので、文永年間(13世紀後半)のものが多く遺っています。

お恥ずかしながら、私は初めて高野山に行きました。かねてより一度行きたいと思っていたので、またとない機会ということで参加したわけですが、満足々々。山上では真田家ゆかりの蓮華定院に宿泊。真田信之・信繁(幸村)兄弟の書状もそれぞれ拝見することができました。

文書も紀州の有名なものから新出に近いものまでいろいろと拝見し、眼福でした。
ただし一点、写真を撮影する際にフラッシュを焚いている方が何人もおられたのはとても気になりました。一人二人だけなら個別に声掛けをするのはやぶさかではなかったのですが…。この辺は、事前のアナウンスがあってもよかったのではないかな、という気はしました。(もっとも、フラッシュを気にする必要はない、という意見もあるかもしれないのですが。)

サマーセミナー終了後は、昵懇の方々とオプションで高野山をさらに見て回りました。右写真は、その際に撮った奥の院にある織田信長墓。なぜか横には筒井順慶の墓が…。
戦国から近世初頭にかけて活躍した人たちの墓が特に多くて、興味深かったです。ただ、いかんせん蚊がすごくて難渋。さすがに涼しかったのですが、落ち着いて見るなら夏場は避けた方がよさそうですね。

2009summer_1その後は吉野方面にも足を伸ばしました。こちらも初めてだったので、大いに楽しませていただきました。予想以上に山がちで、各地にあるいわゆる「平家落人の里」を彷彿とさせるような立地でした。

とまあ、とても有意義な日々を過ごしたのですが、最終日に財布を落とすという大失態を犯してしまいました…。同行の方々には大変ご迷惑をお掛けしてしまいました。申し訳ありません。
結局、今日になって見つかったとの連絡が警察よりありました。いろいろと手続を既に済ませた後でしたが、とにかく今はほっとしています。これを反面教師として、皆さんも重々お気をつけ下さい。

かくしてまた史跡ネタが増えたわけですが(笑)、まだしばらくどたばたしますので、落ち着いたらいつものようにのんびり紹介していきたいと思います。

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2009.07.28

秩父の板碑

先日は所用があって秩父に行ってきました。
そのついでに、秩父市内の板碑を見てきました。

大型のものを二つ見たのですが、どれも見つけるのに苦労しました…。地元の方に尋ねてやっと場所が特定できたのですが、ちゃんとした案内板があると有り難いです。

Chichibu1こちらは寺尾地区にある板碑。「光正寺青石塔婆」と呼ばれるもので、延慶3年(1310)の銘が刻まれています。
銘には「中村四郎時光」「長田次郎入道元■」「長田丹内右衛門入道」などの名が見えます。

中村氏は秩父郡大宮郷中村(現秩父市)を本拠とした、丹党の嫡流と言われる一族です。今に伝わる系譜によると、中村時光は時重の子で、兄の家時が嫡流を継いで上中村氏と称しています。また弟の時賢は下中村氏と称して、所領の播磨国宍粟郡三方西郷(現兵庫県宍粟市[旧波賀町])に下向したそうです。下中村氏は、播磨の国人領主として中世を生き抜いています。「中村文書」という家文書があるようですが、未確認(『兵庫県史』に入っているかも)。

一方の上中村氏は北条氏の御内人になったとされ、鎌倉幕府滅亡時には戦死者を出していますが、室町期には鎌倉府足利氏の被官となったようです。しかし上杉禅秀の乱で禅秀方に荷担して敗れて所領を失い、その後は今川氏の被官となりました。今川氏没落後は池田輝政の被官となり、そのまま近世に鳥取藩池田氏の家臣となったようです。

Chichibu2_3その中村氏の本拠とされる中村地区には、中村氏墓所とされる墓地があるようなんですが、これまた見つけられず。その近辺のお寺には、板碑がありました。さすが埼玉。
この近くの蕎麦屋さんで昼を食べた際に見つけました。

Chichibu2_5もう一つは、堀切地区にある板碑。「観■卯辛」の銘があり、観応2年(1351)のものと考えられています。途中で折れてしまったようで補強がしてありますが、高さが約2メートルあり、堂々としています。

銘からは供養対象となった人物ははっきりしませんが、由緒ある人物の供養塔として建てられたものと考えられています。

Chichibu2_8こちらは、その近くにある旧大田村高札場。わりと凝った装飾が施された、貴重なものだそうです。今ものどかな周辺の風景に合っていて、風情がありました(後ろのコンテナがやや残念ですが…)。

秩父といえば、長瀞にある日本最大の板碑(5メートルくらいある。こちら参照)が有名なんですが、さすがにそこまでは行けませんでした。秩父にはまだほかにも板碑はありますので、またいずれじっくり見て回りたいところです。でも、もうちょっと見つかりやすいようにしてほしいのですが…。

■埼玉県秩父市

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2009.06.10

黄金を学ぶ

Daizenji_4先日、山梨県立博物館の企画展「金GOLD 黄金の国ジパングと甲斐金山展」を見に行きました。

歴史に関する展示は手堅い感じ。悪く言えばありきたりかなあという気もしましたが、モノがモノだけに(笑)あまり実物を見られる機会はないので、いい機会になりました。
金の利用に関する化学的な説明が多く、こちらがかえって勉強になりました。

博物館の方から伺った話では、まとまった文書群として知られる「市河文書」を購入し、企画展の準備をされているとか。こちらも楽しみです。でも、来るのが大変なのが玉に瑕…。
先日話題にした「山本菅助」の文書の翻刻を掲載した研究紀要も発行されてました。ぱらぱら見てみましたが、私の翻刻とは多少違っているようですね…。興味のある方はご参照ください(所蔵図書館は少ないようですが…)。

その後、例によっていくつか史跡をまわりました。特に、これまで行きそびれていた大善寺(山梨県甲州市[旧勝沼町])に行けて満足。写真がその本堂(薬師堂、国宝)です。

着々とネタ集めをしておりますが(笑)、なかなか紹介が遅々として進まずで。ぼちぼちとやっていきたいと思います。

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2009.03.27

鞆・尾道と小早川氏を訪ねて

HirosimakenpakuTomo_1昨日まで、広島県東部海側の史跡を巡る旅行に行ってきました。天気に恵まれたものの、風が強くやや肌寒かったです。
メインは鞆の浦・尾道・竹原。鞆の浦は二度目でしたが、ほかはすべて初めて行ったので、大いに楽しめました。

手始めに、広島県立歴史博物館の企画展「毛利氏vs(と)天下人」を観覧。「毛利家文書」をはじめ、展示も多く充実していたと思います。村上氏関連の展示には、なんだか懐かしさを感じました(笑)。
常設展は二度目ですが、やはり印象深い草戸千軒の復元展示。ここは撮影可だったので、写真を撮ってきました(左写真)。銭を持ち上げるコーナーもあったりしましたが、あれって本物なんですかね? 一応そう見えたんですが、本物にしては新しすぎるかなあ。

そして鞆の浦はみっちり見て回りました。ご存じの通り最近は複雑な問題もありますが、それゆえ、持ち前の静寂感はやや薄れた感じ。別に物理的に騒々しいわけではなかったのですが。

Onomichisenkoji_1尾道には初めて行きました。以前から行ってみたかったので、ようやく念願が叶った感。こちらも半日かけてほぼすべての寺に行ったと思います。

Kimurajo_20そして竹原小早川氏の故地へ。なかなか行きづらい地域なので、心残りのないようしっかり見て回りました(笑)。写真は本拠の木村城跡(広島県竹原市)から見た風景。

Beisanji_12こちらは米山寺(べいさんじ、広島県三原市)の、沼田(ぬた)小早川氏墓所にある宝篋印塔(重要文化財)。中世の建築物や石造物がこの地域には多く遺っているので、なるべくすべてに当たってみました。

Nutatakayamaこちらは小早川隆景が築いた新高山城跡(広島県三原市[旧本郷町])。時間がなくて登れませんでした。今が「山城シーズン」(笑)だっただけに残念。またいずれ。

MiharajoMiharajo_2最後はJR三原駅より帰京。城をぶっ壊したことで悪名高い駅なわけですが、こちらがその三原城跡(広島県三原市)。三原城は海水を堀に取り込んだ「海城」として知られています。今は海側も埋め立てられていますが。
駅前には小早川隆景像がありました。いかにも隆景というか、地味…(笑)。本丸には駅構内から行けるようになっているんですが、その連絡通路が工事中で行けませんでした。

とまあ、ほとんどここのネタを仕入れるために行ったような感もありますが(笑)、例によって訪問地は追々紹介していきたいと思います。なお、今回の旅にあたって、こちらのブログを大いに参考にさせていただきました。

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2009.03.02

那須への旅

Kurobane_6Kurobane先週末は栃木県最北の那須へ行ってきました。天候に恵まれ、想像していたよりもかなり暖かく、厚手でかさばる上着を着ていったのはかえって失敗でした。

写真は黒羽城跡(栃木県大田原市[旧黒羽町])。三の丸跡にある黒羽芭蕉の館(右写真)にて、「大関家文書」の一部を拝見。大関氏は那須(上那須)氏の被官でしたが、近世には黒羽藩主として大名になった家です。
戦国期のものと、関ヶ原合戦前後のものを数点見ることができました。ご厚意に感謝。

Ionojo_12Ionochogenji_2そしてさらに奥へ。写真は伊王野城跡とその麓にある伊王野氏の墳墓群(栃木県那須町)。伊王野氏は那須氏の一族です。

このほか那須与一伝承館や那須町芦野地区にある那須歴史探訪館にも行きました。後者は高名な建築家の方が設計したらしく、洒落た造りでした。でも、維持費は大丈夫なの?という声がちらほらと…(笑)。

予定ではもっと行きたいところがあったのですが、やはりうまくはいかないもので、予定の半分をまわれたくらいでしょうか? まあ、また機会があれば行けなかった所をまわってみたいですね。

行った所はまた追々紹介したいと思いますが、これまただいぶ先のことになりそうです…。

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2009.02.17

近くて遠いを克服する

このところ引きこもりがちで不健康なので、近所を散歩することにしました。
テーマは、まだ行ってない武蔵国分寺に行く。これまで各地の国分寺に行ってるのに、一番近い所はまだ未踏というのはいただけない(笑)。というのがコンセプトです。

20090216スタートは見慣れたこちらから。これも一応登録有形文化財です。
なんでも、最近“医学部”(笑)キャンパスとしてドラマで使われたそうですけど…。

20090216_1しばらく歩くと坂がお出ましです。国立市と国分寺市の境目にある地元では有名な「たまらん坂」。由来は諸説ありますが、ネーミングがいかしてます(笑)。
この名前で思い当たる節のある方もおられますでしょうか。かつてこの側に忌野清志郎が住んでいたことがあって、ファンの聖地として知られていました。RCサクセションの歌に「多摩蘭坂」という歌があり、この坂の名前に漢字を当てたものです。今はバス停も漢字表記がされています。
20090216_2この坂を脇に入ると、←の看板にあるような小さい坂道もあります。

20090216_3さらにしばらく歩くと、府中街道と交叉します。かつての鎌倉街道上道です。この少し先の恋ヶ窪は、畠山重忠にまつわる逸話がもとになって付いた地名です(こちら参照)。

20090216_620090216_7さらに歩くと、いよいよ武蔵国分寺跡に到着。こちらについてはまたいずれ単独でご紹介をば。

宅地化してるので仕方ないかもしれませんが、意外とこぢんまりしてるのと、意外と寂しいなあ、という印象(笑)。
これから史跡公園として整備する予定のようで、現在は発掘作業が行われています。


20090216_8一旦引き返し、府中街道とJR武蔵野線を越えるとあるのが国分尼寺跡。
こちらも一部が史跡として整備されていますが、大半が宅地化しているようです。

20090216_4そして引き返し、遺跡の北側にある現在の国分寺へ。これもまた別の機会に。

20090216_1120090216_12またしばらく歩くとあるのが「真姿の池湧水群」。「名水百選」にも挙げられている場所です。武蔵村山から世田谷にかけて延びる「国分寺崖線(がいせん)」と呼ばれる(「ハケ」とも言います)、多摩川の河岸段丘の崖下の湧き水です。詳しくはこちらをどうぞ(横着(笑))。

20090216_1020090216_14この湧水を水源とするのが「野川」ですが、それに沿って整備された小道である「お鷹の道」があります。ここは今でもホタルが舞う所として地元ではよく知られています。
写真にある通り、この地域がかつて尾張藩の鷹場だったことから名前が付いています。

20090216_15そして、JR西国分寺駅まで歩いて終了(その後さらに自宅まで20分ぐらい歩きましたが(笑))。ざっと2時間ほど歩いたので、距離にすると5~6kmほどでしょうか。いい運動になりました。既に筋肉痛の徴候が…。

また機会を見つけて、都内の未踏の史跡を潰していきたいと思います。

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2009.02.15

赤塚諏訪神社の田遊び

Itabashittaaosbi_31Itabashittaaosbi_29珍しい神事があるとのことで、赤塚諏訪神社(東京都板橋区)の田遊びを見に行きました。
この祭りの始まった時期は不明だそうですが、19世紀前半の『新編武蔵風土記稿』において大昔から行われているという記述があるそうで、起源は中世に遡るとも言われているようです。
この諏訪神社は15世紀半ばに千葉自胤(よりたね)が信州の諏訪大社を勧請したのが始まりと伝わっています。

Itabashittaaosbi_15Itabashittaaosbi_16いざ行ったら結構な人出でして…。ほとんどまともな写真は撮れませんでした。なので、写真を見てもなんのことやらほとんどわからないと思います(笑)。次第については、こちらこちらなどをどうぞ。

私は行くまでは田楽の一種か?なんて思っていたんですが、全然違ってました。田遊びとは元々小正月の頃の行事で(左義長も同時に行っているあたりがそれっぽい)、稲作の生産過程を模擬的に辿ることによって、豊作を祈願するものだそうです(「予祝」と言います)。近世までは各地で行われていたようですが、現在まで残っているのは非常に珍しいとのことで、国の重要無形民俗文化財に指定されています(しかも最初に指定を受けたらしい)。

Itabashittaaosbi_35Itabashittaaosbi_47この左写真がメインの田遊びを行っている場面。…なんですが、祭りの中ではむしろ地味(笑)。場面々々で天狗をはじめいろんなキャラクターが登場してくるので、2時間ほどかけてやるのですが、見ていて飽きません。

これだけの祭りを村で行うためには相当な負担が必要だったはずで、この地域はかなり裕福な所だったのかもしれないなあ、などと感じました。大都市江戸の近郊で、中山道の板橋宿に近いという地理的条件のゆえでしょうか。
江戸時代にもこの祭りは江戸で結構話題になっていたそうで、当時の文人たちもこの田遊びを記録しているとのことです。

折口信夫氏による田遊びの文章が青空文庫にありました。ご参考までに。

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2009.02.04

松山で同窓会

200901ehime200901ehime_1先日、学部時代のゼミの同窓会に誘われて松山へ行きました。
前回からおよそ1年半ぶり。このところはなんだかコンスタントに行っている感じ。

同窓会は、古株組では私の代の出席者が突出して多かったです(笑)。特異な世代だということなんでしょうけれども、こうして今でも時折会えることは喜ばしいことです。
時間はあっという間に過ぎ去り、残念ながらあまり話せなかった人もいたけど、また集まる機会があることを期待いたします。

久しぶりに大学にも行きました。住んでいた頃はごく見慣れた風景だったわけですが、今となると懐かしいというか、新鮮な感覚。

200901ehime_2今回はこれだけのために行ったようなもので、その後の予定もあったため、観光は一切なし。
ちなみに写真のJR松山駅は、私が居た頃はもっと殺風景な駅舎でした(笑)。受験するために初めて松山へ来た時、駅舎と駅前の寂しい風景を見て大きな不安に襲われたのを思い出します。駅前の寂しさは相変わらずでしたが…。

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2008.11.25

初冬のみちのくへ

先の三連休は東北へ出張でした。

で、その空き時間を利用して、仙台市博物館で開催中の特別展「平泉~みちのくの浄土~」を見に行きました。

いやあ、圧巻でした。金色堂の仏像もお目見えで、平泉にまだ行ったことがない(笑)にもかかわらず、実際に行くよりずっと近くでじっくり拝観できた気になってます。
この展覧会は遠征してでも一見の価値ありだと思います。

出張中は仙台で一泊したわけですが、牛タンやら牡蠣やら堪能させていただきました。ついでに仙台っ子ラーメンも。

仙台もいいですが、そろそろ松島にも一度は行きたいなあ…。温泉付きで。

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2008.11.21

品川湊と後北条

Kanagawakenpaku中世をテーマにした企画展が終了間近だったので、あわてて行ってきました。

まず一つ目は品川区立品川歴史館の特別展「東京湾と品川―よみがえる中世の港町―」。
90年代後半に太平洋海運の研究が熱を帯びましたが、その際、品川の史料が大きく注目されました。船名などが書き上げられた14世紀末頃の史料と思われる「湊船帳」というやつです(称名寺所蔵)。今では議論が下火になった感もありますが、まだその史料の位置づけについては決着していませんので、再び議論が高まるといいですね。

ほかに今も品川に残る寺社の所蔵物などが展示されて、なかなか見応えがありました。図録も非常によくできていて、今後なんらかの役に立ちそうです。実際に品川を一度歩いてみたいものです。

そしてもう一つは神奈川県立歴史博物館の特別展「戦国大名北条氏とその文書―文書が教えてくれるさまざまなこと―」。
こちらは既に行った人から感想を聞いていたのですが、思ったよりも展示が多くて、結局最後は時間切れになってしまいました。まあ、文書を一点一点読んでるからそうなるんですが(笑)。館蔵文書が中心ですが、個人的には天正18年(1590)以後(つまり小田原開城後)の北条氏関係史料が面白そうだったなあ。この辺時間がなくてほとんど見られず残念。図録で我慢します。

去年はこれでもかと関東の中世をテーマにした企画展がありましたが、今年はその反動か、おとなしめでしたね。
来年はどこでどんな企画展があるか、愉しみに待ちたいと思います。

ちなみに写真は現在は神奈川県博の一部になっている、旧横浜正金銀行本店本館(重要文化財)。明治37年(1904)築。
県博周辺ではガイドブック片手に歩いている方を多く見かけましたが、私は見終わるとそのままさっさと帰宅しました。我ながらそっけない(笑)。

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2008.11.11

ありまひょうえの…

わけあって現在は近世文書と格闘中。
いやはや、少し時代が降るだけで用語が全然わからんというのは、いけませんわ。もっと勉強しないとなあ。

それにしても1600年代の前半というのは、単に権力者や社会システムだけじゃなく、使う言葉から文字の形まで、なんでこんなに劇的に変わったんでしょうかねえ。この変革(ちぇいんじ)の度合いはすさまじい。2000年代の前半はどうなることやら。


沖縄から帰って、すぐさま先週末は帰省。父親の還暦祝いということで有馬温泉へ行きました。有馬に前回行ったのってもう20年以上前かもしれない(いつだったか記憶にない)。関西の方ならCMの歌が浮かぶであろうあの旅館。宿泊はしませんでしたが、入浴。

実はこの旅館、『蔭凉軒日録』に登場するとされる有馬でもきっての老舗です。つまり季瓊真蘂が入った湯。彼は失脚寸前にここで懇意の浦上則宗らとどんちゃん騒ぎをやってましたが、その様子を思い浮かべつつ…なんてはずはなく(笑)、入っていた時は太閤さまの気分で。

その後、東京へとんぼ返りして友人の結婚式二次会へ。楽しませていただきました。

とまあ、わりと充実してる感はあるんですが、自分の仕事は全然やってません…。ここでさぼると半年後、一年後に響くんだよなあ…。まずいなあ。ちょっと焦りも感じる今日この頃です。

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2008.11.04

ハイサイ琉球・沖縄

Nakijin_13Shuri_36昨日までの三連休の間は、沖縄へ行ってきました。
私にとってまったく初めての沖縄入り。今でこそ同じ日本とはいえ、持っている歴史と文化はまさしく「異国」。ふとしたことにもいろんな違いが見えて、とても面白かったです。

とある研究会の開催に合わせてでしたが、同時に代表的なグスクをいくつか巡見しました。残念ながら天気があまり良くはなくて当初予定していながら行けなかった所もありましたが、最も美しいとも言われる今帰仁(なきじん)城(沖縄県今帰仁村、左写真)に行けたので充分に満足いたしました。
右写真は、今や代表的な観光スポットの首里城(那覇市)です。

研究会そのものの内容についてはここでは詳しく触れませんが(別に秘密というわけではないです)、たくさん刺戟をいただきました。
しかしながら、今回とんだ失態を犯してしまって一部の報告を聞くことが出来ず、大いに悔いを残してしまいました。この件に関しては、関係者のみなさまにご迷惑をおかけしてしまいました。お詫び申し上げます。

ともあれ、是非ともまた沖縄に行きたいと思いながら東京へ帰ってきました。次回は個人的な旅行の形で、とことん史跡を廻り尽くしてみたいな、と。いつになるかはわかりませんが、行くならむしろ近い内かな…。
行った所は例によって追々詳しく紹介しようと思いますが、これも例によって(笑)かなり先になります。

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2008.10.04

上州の文書と石碑

Tago_4先日、群馬県立歴史博物館の企画展「戦国武将からの手紙―博物館にとどいた中世文書―」を見に行きました。館蔵の中世文書のうち、書状を中心に展示する企画でした。
余計な演出は排して、文書を見せることに徹するというようなコンセプトに感じました。一般受けするかどうかは微妙なところですが、私にとってはこういうスタイルの方が好きです。
図録も写真が鮮明で非常に有益な内容でした。といっても発行は半年前。どうやら企画展に合わせて図録を作ったのではなく、先に中世文書をテーマとした冊子を作ってから企画展が準備されたようですね。

いろんな文書がありましたが、上杉謙信の書状が比較的多く展示されていました。土地柄もあるでしょうけれども、この辺は来年の大河ドラマをやや意識したのでしょうか(笑)。

この博物館には初めて行ったので、常設展も観覧。かの有名な『長楽寺文書』がここに寄託されていることを知り、ふむふむ、と。さらにいろいろ眺めていると、この地域には古代の石碑がいくつかあるらしい…。

というわけで、見に行きました(笑)。
その一つが写真の「多胡碑」(群馬県吉井町)。詳細はまた改めて記事を立てたいと思いますが(いつになるやら…)、和銅4年(711)に上野国多胡郡が設置された経緯が刻まれています。『日本書紀』にほぼ同様の記事があるらしいですが、8世紀後半の建立とされているそうで、石碑が造られた経緯はよくわかりませんが、よく現代まで残ったものだと感心しきりです。

この地域についてはあまり詳しくないのですが、古代には既に開発が進んだ地域だったようで、古代遺跡や古墳も多く遺されているそうです。もっとも浅間山の被害も深刻な地域であったわけで、天仁元年(1108)の大噴火が古代の繁栄を無に帰してしまったのかもしれません。新田義貞が去来したとはいえ、中世では上州が「草刈り場」になったのも、そういう影響かなぁ…などと根拠もなく空想したり。
ちなみに山名氏の故郷でもありますが、それもまたのちほど。

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2008.09.12

会津と山形をあるく

Aizutsurugajo_25Yonezawajo今夏の長期旅行第3弾。東北へ行って参りました。山形県を中心に、会津と秋田県の一部も訪問。山形と秋田は未踏でしたので、初訪問となりました。

左写真は「鶴ヶ城」として知られる会津の若松城(福島県会津若松市)。中世は黒川城として葦名氏の居城でした。会津といえば白虎隊をはじめとする幕末期が話題になりがちですが、一応中世史跡として(笑)訪問。宿は近くの東山温泉。伝統的な温泉地の雰囲気があってとてもいい所でした。

そして米沢へ。右写真は上杉博物館(山形県米沢市)。米沢城跡の中にあります。こちらも時節柄?米沢藩上杉氏との関係に注目が集まりますが、かつては最上氏や伊達氏が支配した中世城館跡でもありました。常設展示のみを見ましたが、デジタル系を駆使して関心を呼ぶように工夫がされている様子が見て取れました。「上杉本洛中洛外図屏風」の世界をデジタル画像で再現する展示は、私も結構楽しめました。

Yunohama_1Haguro_21山形県の特に置賜・村山地方(南部)は、「石造物の宝庫」と言ってもいいぐらい、中世の石造物がたくさん遺っている地域のように感じました。今回いくつか実見しましたが、それもごく一部。
特に板碑が比較的多く遺されているのは面白い。板碑の多い地域として東北地方では松島周辺が有名ですが、置賜の方は意外と知られていないような気がします。単に偶然残ったのか、元々信仰を石造物に表現する文化が盛んな地域だったのかはわかりませんが、興味深いところです。

ただ、多く遺っていても、アクセスするためのガイドがもう一つで、探し回るのにかなり時間がかかってしまいました。この辺も知名度によるのでしょうか。山形は総じて案内標識や看板などが極端に乏しい印象を受けました。そういう所にお金を掛けないという土地柄なんでしょうか…?

宿は上山温泉(山形県上山市)で一泊。そして庄内へ出て湯野浜温泉(山形県鶴岡市)で一泊。上山はいい宿に当たりました。特に上山市内に石造物がたくさんあるようなので、また行きたいです。左写真は湯野浜の宿の近くで撮った夕日。
そして個人的にメインにしていたのが、羽黒山(山形県鶴岡市[旧羽黒町])。右写真の国宝五重塔です。南北朝期の建立で、山形県では唯一の国宝建築物。いやはや圧巻でした。

というわけで、史跡ネタがまた増えました。遅々として進んでいませんが、追々ご紹介したいと思います。

これで今夏の遠征はようやく終了。そして現実へ…。
今夏の連続遠征で未踏県は3つも減って、あとは青森・宮崎・沖縄だけになりました。
そして、今年中についに沖縄訪問を果たせそうです。そんなことしている余裕はあるのか、というツッコミはご寛恕のほどを…。

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2008.08.29

相模マニアックツアー

Tsukuijo_29_2Dokandozuka_2_2長期旅行に続いて短期旅行を。かねてよりあまり馴染みのない旧相模国の内陸部をまわってみたいと思っていたところ、同志を得たので決行。
思ったよりも史跡はあるもんだと思いつつも、やはり都市化が進んだ地域なので移動に手間取り、行きたいところすべてを見ることはできませんでした。
左写真は津久井城跡(神奈川県相模原市[旧津久井町])。思ったより比高が高く、登るのに時間がかかってしまいました。右写真は太田道灌胴塚の傍らにある石造物群(神奈川県伊勢原市)。中世のものに見えます。胴塚そのものを含めて、行った所はまた追々ご紹介したいと思います。

Ishigakiyama_2今回の宿は箱根の仙石原。箱根には初めて行きました。というわけで、箱根の史跡も是非見たいと思っていたんですが、朝から土砂降り。とても外を歩くことはできず、泣く泣く諦めました。強く再来を期す。
この写真は麓の「秀吉一夜城」として知られる石垣山(神奈川県小田原市)。まさにシャワーのような雨で、写真を見てもおわかりいただけるかと。

帰ってきたら、各地で豪雨になったようですね。ニュースでは8年前の名古屋の豪雨が引き合いに出されているようですが、私はまさにその時名古屋に住んでいたものの、この時、降っていた1時間ほどの間は熟睡してました(笑)。うちの周辺でもかなり降ったようですが、夜中なこともあって今回もぐっすりと夢の中。
どこも夜中だっただけに、逃げ遅れた方も出たようで、いたましく思いつつも、人事ではない気もしました。

8年前といえば、修論書いてたなあ。などと不謹慎ながら懐かしくも。当時の記憶がそれしかないのも、なんとも寂しいものですが…。

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2008.08.27

鹿児島県初来訪

Shibushijo_25Kagoshimajingu_1博多からJR「つばめ」で鹿児島へ。要するに一部開通した新幹線にて。私は今まで熊本市以南には行ったことがなかったので(海外もない)、最南端踏破記録更新です。
現在の新幹線の起点である新八代駅は、ちょうど戦国期の相良氏に関する記録『八代日記』の舞台となった地域です。発車してしばらくの間は、その風景を楽しんでいましたが、すぐにトンネル(相良氏の八代での拠点となった古麓城跡の辺)へ。そのまま鹿児島まで、ほとんどトンネルでした…。速いのはいいのですが、あまり景色は楽しめません。

そして鹿児島入り。天気はあまりよくありませんでしたが、初めての地なので感慨深いものがあります。余裕があれば鶴丸城跡あたりにでもと思ったのですが、天気もすぐれないので、駅で昼食を摂ってサマーセミナーの会場である国分へ。

先日の明清史合宿@島根で大言壮語をした手前(内容はひみつ(笑))、あまり大きな声では言えないのですが…、サマーセミナーは3年ぶりです。今年は(も?)たくさんの方がおいででした。関東からも見知った方がちらほらと。
初日は研究報告会、2・3日目は巡見というスケジュール。行った所はまた追々。すべての方とお話しすることはもとよりできませんでしたが、いろんな方々といろんなお話ができて充実したひとときを過ごせました。実行委員会のみなさまには御礼申し上げます。
左写真は志布志城跡、右写真は鹿児島神宮(正八幡宮)です。

帰りの空港では、上海へ向かうというE氏(パワフルだなあ)と別れ、「とらひこ」さんと昼食がてら琉球について情報交換。大変有益な情報をいただきました。最近自分の研究についてはやや停滞気味だっただけに、燃料補給をしていただいた感じです。

そして飛行機なわけですが…。対馬の時もそうでしたが、なんのアナウンスもなく定刻より15分程度遅刻して羽田着(多分滑走路の混雑で東京湾上空を一周したか)。緻密なようでこのいい加減さがあるので、やはり飛行機(特に羽田発着)は気に食わぬ。荷物受取の時間や空港から自宅までのアクセスも勘案すれば、よほどの遠方か、JRより格段に安くない限り飛行機を選択しないでおきたい。

ちなみに、来年は和歌山とのことです。

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2008.08.26

九博へ初訪問

Dazaifutenmangu今夏の長期旅行第2弾は九州。春先に対馬へ行く際に福岡を経由しましたが、それを除けば九州へ行ったのはおそらく9年ぶり。年を経て東へと移動している私にとっては、九州は随分遠い存在になってしまいました。

今回の目的は二つ。最近できた九州国立博物館へ行くことと、中世史サマーセミナー(@鹿児島)への参加。
まずは九博へ行くために太宰府へ。太宰府自体は2,3回来ていましたが、街中は天満宮と政庁跡ぐらいしか行っていなかったので、今回は、午前中に自転車を借りてほかの史跡をまわってきました。さすがに暑かったですが、風が心地よく、起伏も小さいのでわりと快適でした。調子に乗って水城まで行ってきました。

午後はいよいよ九博へ。平日にもかかわらずすごい人出で驚きました。いやはやたいした人気です。
もっとも、「篤姫」にまつわる特別展「島津の国宝と篤姫の時代」に集客力があったようです。東大史料編纂所の工事の影響で貴重書が九博に避難している機会を捉えた企画ですが、幕末に関わる展示は三分の一ぐらいな感じ。あとの三分の一は「島津家文書」中心、あとの三分の一は史料編纂所所蔵の中世史料(『薩戒記』や『実隆公記』など)中心といったところでした。「篤姫の時代」というタイトルながら、最初に展示してあるのが源頼朝発給の下文だったのがなんともシュールというか(笑)。私は中世史料がたくさん見られて良かったのですが。

時間が余ったので麓にある九州歴史資料館にも寄ってきました。こちらは以前行ったことがありましたが、展示自体はその時と変わってないかも…? それにしても、九博とは打って変わって閑古鳥が鳴いていたのはやや気がかりでした。
九博が建ったことでこちらが寂れてしまうのではなく、相乗効果を発揮するようなコラボレーションの方向性がもっと前面に出ると喜ばしいのですが。もっとも、既にそのような方向性が検討されていることとは思いますが。無料ですので、九博へおいでの際は是非こちらもどうぞ。

その後福岡で一泊して鹿児島へ向かいますが、そちらはまた改めて。

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2008.08.08

石見&佐渡

Iwamiginzan_19Iwamiginzan_36この一週間、立て続けに著名な鉱山を巡見してきました。
まずは石見銀山(島根県大田市)。言わずと知れた、世界遺産に指定された銀山です。今回は出雲市で東アジア世界と銀の関係をテーマとしたシンポジウムが開催されることを受けて、行ってきました。

一度学部時代に行くチャンスはあったんですが、その時は結局行けなかったので、恥ずかしながら今回が初めてでした。オプションツアーで最近公開された「大久保間歩(まぶ)」も見学(左写真)。
ただあまり見て回る時間が無く、くまなく見て回ることはできませんでした。まあまた行く機会もあるだろう、ということで、再来を期す。

TokiSadokinzan_15そして佐渡へ。こちらは4日間かけてじっくりと廻ってきました。日差しは厳しかったですが、風が爽やかで気温もそれほど上がらず、思ったより快適でした。いつもこんな気候なのかはわかりませんが、意外と過ごしやすいので夏の佐渡はおすすめかも(海水浴もできるし)。左写真はベタにトキを。一度は見ておかねば、ということで。右写真は佐渡金山で最も有名な「道遊の割戸(われと)」です。

巡見地の紹介はまた例によってシリーズ化してやりたいと思います(笑)。いつものごとく、のんびりとやってるので終わるまでには数ヶ月かかるとは思いますが…。

この夏はまだ各地を歩き回る予定があるので、史跡ネタがたっぷり溜まりそうです。ちなみに佐渡では日本酒の品評会で高い評価を得ているらしい「真野鶴」を買ってきました。忘れていなければ、サマーセミナーに持参しようと思います。

盆休み期間中は一転して予定もないので、自分の仕事に集中して取り組まねば。ああ、嫌がおうにも引き戻される現実の辛さ。

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2008.06.19

対馬 おまけ

NishidomariNishidomari_1最後におまけ画像です。
こちらは北端部にある上対馬町西泊近くの海。この海の先が日露戦争の日本海海戦の戦場になった海域になるそうで、それを記念?して、日露友好の石碑が建っていたりしました。

Asowanこちらは中央部の多島海である浅茅湾の風景。…なんですが、天気が悪く霞んでしまっていたので、こんな写真になってしまいました。残念。
天気がよいとこんな風に見えるそうです。

Shimizuyama_18Shimizuyama_19最後は厳原の清水山城跡の山頂(本丸)の写真。大したものではありませんが。本丸自体は非常に狭くて、とても軍勢が駐屯できるような施設があったようには思えませんでした。狼煙台があった程度でしょうかね。

対馬には「ヤマネコ注意」の標識があったり(こちら)、やはりハングル表記の看板が多いなど、やはり独特の雰囲気が感じられました。
というわけで、対馬シリーズはこれにて終了です。

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2008.06.06

史跡写真の目次

史跡関連の記事がかなりたまってきましたので、一念発起して目次を作りました。→こちら
左側の関連リンクの欄にも掲示してあります。

掲載しているのはほとんどがこの2,3年の間に行った所で占められますが、随分偏っている感がしますね。
というか、京都とか、メジャー所がほとんどない…。

今後ともいろんな所へ行けるといいんですが。以前に一度行った所にも再び写真を撮りに行きたいな、とか(笑)、いろいろと妄想が膨らみます。

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2008.05.14

深大寺

Jindaiji_8Jindaiji_1今年のGW中に、深大寺(東京都調布市)に行きました。予想以上の人出で少し面食らいましたが、なんか人並みの休日を過ごせた感じです。
メインはそば、じゃなくて(いや、それもメインですが(笑))、深大寺城跡。16世紀前半に扇谷上杉朝定が後北条氏対策のために築いた城で、都内では珍しくわりと遺構が遺っているところです。詳しくはこちら参照。

Jindaiji_5Jindaiji_21左写真は一の郭(本丸)と二の郭を隔てる堀の跡。結構しっかり遺っています。右写真は二の郭。腰掛けのように利用されている(笑)杭のようなものは、柱穴跡です。

Jindaiji_29もちろん深大寺にも参拝。写真の山門は現存する最古の建築物で、元禄8年(1695)築とされています。ほかの堂舎は幕末に焼けてしまいましたが、この山門だけは遺ったそうです。
本尊は奈良時代のものとされる銅仏(重要文化財)で、ガラス越しに見ることができました。梵鐘(重要文化財)が永和2年(1376)鋳造だったそうなんですが、見逃した…。無念。

ちなみに、わりと有名な?鬼太郎茶屋は素通り。

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2008.05.02

郡内地域散策

Iwadono_16Tsuru_8なんだか恒例化したかのように、今年の春も山梨へ行ってきました。今回は郡内地域をということで、比較的東京寄りの所へ。
メインは岩殿山城(山梨県大月市)。左写真のような断崖の脇を登るわけですが、これがまたきつかったです。気温も高く、途中で熱中症になりかけました…。

その後は小山田氏の本拠地、都留市(昔は「谷村(やむら)」)へ。菩提寺(右写真は伝・小山田信澄の墓)や勝山城跡などへ。私はこの地域について実はあまりイメージがなかったんですが、有名な史料の「勝山記」の勝山ってここのことなのかと同行メンバー間で話していたものの、実は違うらしい(笑)。所蔵している富士御室浅間神社(山梨県富士河口湖町[旧勝山村])とは場所が離れてますしね…。

この地域では富士吉田のうどんが有名ですが(こちら参照)、都留市内で入ったうどん屋もその系統だったのか、すさまじくコシが強くて美味でした。そういや写真撮るの忘れてたなぁ…。

例によって写真を撮ってきたので、紹介は対馬の後に。数ヶ月先になるかもしれませんけれども…。
ちなみに、富士山はまったく見えず。なんとか見えるという人もいたようですが。日頃の行いの違いでしょうか(笑)。

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2008.03.28

移動距離数千キロ

SendaiSendai2先週末は初めて仙台に行きました。
といっても調査で行ったのでくまなく観光するわけにはいかなかったんですが、合間を縫って仙台城跡と仙台市博物館へ。お馴染みの伊達政宗像にやっと出会えました。
今回の調査では、仙台藩についてたいへん勉強させてもらいました。わからないことはまだまだ多いそうですが、今後は私も性根を入れて勉強していきたいところ。

Sasuna_1そしてその後は対馬へ。こちらも巡見調査。知られた史跡はほぼ総なめといった感で、非常に充実した時を過ごすことができました。
こちらは私がしばらく研究対象として手を出すことはないと思いますが…、史料も豊富なので、これからのさらなる研究の進展に期待したいところですね。

対馬へ行く前は開花もしていなかった桜が、帰ってくるともう満開になっていてびっくりしました(笑)。今年の桜は随分とせわしないですね。

そんなこんなで、この一週間で半端じゃないほどの距離を移動しました(笑)。刺戟に満ちた日々でありがたいことです。
しかしこの週末は新年度の準備に追われそうで、非常に地味な日々が…。

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2008.03.13

再び真壁へ

去年の年末に続いて、再び真壁へ行ってきました。
それにしても、つくばエクスプレスはほんと速いですねぇ。最速だと、都内のうちからよりつくばからの方が秋葉原に早く着けるとは…。

今回は単純な巡見ではなく、調査のお手伝い。真壁を流れる桜川の右岸は「谷戸田」型の農耕地域だったそうで(「谷津田」とも。詳しくはこちら)、その耕作状況の聞き取り。
いわば歴史系における現地調査の王道のような感じですが、私は経験が少ないので、たいへん勉強になりました。聞き取りのノウハウを磨いておくことが、調査を成功させる最大の要因ともいえるので、こういう経験ができることは私にとっても財産となります(そういう意味では、今回はほとんど役立たずだったわけですが…)。

ただ、それを自分の研究に活かすためには、自分自身の主体性も必要になってきますが。その際には“交渉力”が必要なわけで、引っ込み思案気味でその辺の能力がいまいちな私には、次なる障壁もまた明確になりました…。

↓この本欲しいんですが、すごい値段がついてますねぇ…。

4404023197景観にさぐる中世―変貌する村の姿と荘園史研究
服部 英雄
新人物往来社 1995-12

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2008.02.27

三浦半島で春一番

Uraga_6Miura_7先日初めて三浦方面へ行ってきました。少し風が強かったですが、天気に恵まれてよかったです。舟盛りも堪能できて満足々々。でも、むしろ煮魚の方が感動的でした(笑)。
帰りに土産を買ったら、業者の所在地が「沼津」…って、いいのかよそれで。
帰りは横浜で昼間っからがっつり酒盛り(笑)。それにしてもよく飲んだなぁ。
廻ったところはまた後日。ちなみに左写真は浦賀の塔明堂跡(神奈川県横須賀市)。

ようやく試験の採点も終わり、これからは半月ほどは自分の時間を確保できそう(今週はまだやや多忙だけど)。というわけで、原稿に取りかかっているわけですが。少しは進んだものの、まだまだ荒削りというか…。我ながら論理展開が荒っぽい。これから洗練するのがむしろ難儀かなぁ、といった感じ。完成できるのかなぁ? すでに枚数を大幅に超過しているのが最大の問題…。

今週はこの後、いろんな人の研究に学ぶ期間といった感じ。どんどん吸収したいところです(パクるというわけではない(笑))。

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2008.02.19

再び武蔵嵐山へ

Ookura11Sugiyama去年に引き続いて埼玉県嵐山町の埼玉県立嵐山史跡の博物館へ行ってきました。企画展「後北条氏の城―合戦と支配―」を見るためです。
そのついでに(というか、こっちがメイン?)、また周辺史跡巡りと相成りました。前回は徒歩だったので行ける所は限られていたのですが、今回は車でまわれたので、新たにいくつか行くことができました。そのうちの一つが、右写真の杉山城跡。

左写真は大蔵館跡にある板碑。「あれ?前に来た時はこんなのあったっけ?」と思って撮ってきたんですが、しっかり前回行った時の写真に収まっていました(笑)。ちなみに元徳3年(1331)の年号が入っています。

道中は二度も交通事故をみかけたりと、なかなか波乱含みというか…。ま、我々は無事でなによりでしたが。
新たに行った所はまた改めて紹介したいと思います。

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2008.01.26

厳しき鞆の浦問題

折から問題になっている鞆の浦(広島県福山市)の埋め立てと架橋の件について、下記のようなメールが届きました。


みなさま

寒さ厳しきおりから、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。いつもご支援いただき誠にありがとうございます。
毎回ご報告させていただいております「鞆港埋立架橋問題」ですが、早ければこの2月にも国の認可及び県の許可を受け、春にも工事が着工してしまうおそれがあるという、非常に厳しい状況を迎えております。
そのため、このたび再度署名活動を開始いたしました。今度は、「証拠書類」として裁判所へ提出することも予定しております。裁判官より適切な判決を仰ぎ、裁判の勝利を勝ち取るためにも、この問題の重要性を訴える大きな世論の後押しが必要です。これは、支援くださるみなさまのお力をお借りしなければ達成できません。
お忙しいなかとは存じますが、よろしければ今一度、鞆の浦の奮起にお力添えいただけましたらと存じます。
100万人を目指すこの署名に、ぜひご協力をお願い申し上げます。
ご協力いただける方は、用紙をお送りいたしますのでお申し出下さい。また、下記アドレスより様式をダウンロードしていただくことも可能です。

また、2月3日(日)午前10時より、福山駅前で該当署名活動を行ないたいと思っております。お近くにお住まいでご協力いただける方は、ぜひご参加くださいますようお願いいたします。

NPO法人 鞆まちづくり工房(以下略)

(1)署名用紙のダウンロード
 http://www.vesta.dti.ne.jp/~npo-tomo/syomei/index.html#top
(2)署名送付先
 〒720-0201 福山市鞆町鞆5 NPO法人鞆まちづくり工房事務局(※FAX番号略)

経緯については、こちらが詳しいです。利便性の向上を求める地元の要望も少なからずあるようなのでなかなか難しい問題なのですが、数百年来の「美観」を賞されてきた景観が今消えようとしているというのは、やはり忍びないわけで…。

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2007.12.16

真壁の史跡

Makabe1Makabe2Makabe3_2先日、茨城県桜川市(旧真壁町)の桜川市歴史民俗資料館で展示されていた中世文書を見に行きました。目玉は二つの文書群でした。
まずは「加茂部文書」。同市内(旧岩瀬町)にある鴨大神御子神主玉神社(長い…(笑)。読みは「かものおおかみのみこかみぬしたまじんじゃ」らしい)の宮司家に伝来した中世文書群で、中世前期の官宣旨案が含まれていました。ほかに永享12年(1440)3月4日の足利持氏の子・安王丸代官景助なる人物の奉書案がありましたが…、なんだか怪しげ(笑)。
もう一つは「真壁長岡古宇田文書」。長岡氏は常陸平氏一族の真壁氏の一族で、長岡郷(現桜川市[旧真壁町])を本拠とした一族だそうです。中世文書は全部で35点。生の中世文書を見るのはやはり楽しい。

その後昼食を取り、近くの真壁城跡へ(写真)。現在は国史跡に指定されており、発掘作業が進められていました。
言わずと知れた真壁氏の城館です。真壁氏は常陸平氏の大掾(だいじょう)氏の一族で、大掾多気直幹の子である長幹が真壁郡真壁郷に住んで真壁氏を名乗ったとされています。中世を通して常陸の在地領主として生き抜いた存在として、研究面でも注目され続けた一族です。戦国期には佐竹氏と後北条氏との間で巧みに生き残りましたが、結果的には関ヶ原合戦の後、佐竹氏とともに秋田へ移住しました。
かなり大規模な城館遺跡です。遺構自体は17世紀にかかるかもしれません。なお真壁氏移封後は、浅野長重(長政の子)が数年の間居城としていました。その後は稲葉正勝の居城となりましたが、寛永5年(1628)に転封となり、廃城となったそうです。

Makabe4こちらは城の近くにある真壁氏の墓所。五輪塔の規模が大きく、立派でした。

Makabe6荘園となっている地域(真壁荘)の本木という所(桜川市[旧大和村])に、大規模な中世居館遺跡があります。その先に見えるのは筑波山。…天気が良ければ絶好の眺望だったんでしょうけどねぇ。
Makabe5Odajoそして石造物たち。左写真は祥光寺(同市[旧大和村])にある多宝塔。建仁2年(1202)の年号が確認できました。
右写真は真壁氏のライバル?小田氏の本拠であった小田城跡(つくば市)にある五輪塔。小田城といえば北畠親房が『神皇正統記』を書いた所として有名ですが、ここへ来た時はもう日が暮れていたので、この写真だけ撮りました。ぱっと見ではよくわからないと思いますが、かなり巨大で、高さは2mを越えています。

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2007.11.28

忍城と成田氏をまなぶ

Gyoda1Gyoda2先週、行田市郷土博物館の企画展「忍城主成田氏」を見てきました。成田氏に関係する文書が多く展示されていて、見応えがありました。丁度大河ドラマで成田氏が登場したらしく、平日にもかかわらずわりと多くの方がおいででした。
忍(おし)城跡に行くのは今回が初めてでした。城跡の方は…まあ仕方がないか、という感じ。立派な復元?天守閣あり、公園あり、ではありましたが。
最近、行田名物として話題?の「フライ」「ゼリーフライ」を食べたかったんですが、下調べもなにもしていなかったので、店を見つけられず。ゼリーフライの店は公園のすぐ脇にあったんですね…。残念。

その後、成田氏関連の史跡をいくつか廻りました。左写真は熊谷市にある龍淵寺の成田氏墓所。忍城からは少し離れていますが、かつてはこの辺りが成田氏の本拠地だったようです。
右写真は行田市(旧南河原村)の観福寺にある板碑群。ほかに、13世紀の年号のある2基の巨大な板碑(こちら)が覆屋の中にあり、一括して国史跡に指定されているようです。

中世ではないですが、あとはさきたま古墳群に行くべき感もありましたが…、時間がなくパス。またこんど。

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2007.11.26

金山遺跡探訪

Img_0674Img_0673この三連休は岩手の金山開発関連の調査に行ってまいりました。やはりの雪景色。一応無事ではありましたが、一度見事に車をスピンさせる恐怖体験もしっかりやってしまいました。やはり慣れない雪道は恐ろしい…。

そのさなか、一日だけ金山遺跡調査に同行させていただきました。地元で熱心に活動されている産金遺跡の研究会の方々に案内されて、いくつかの金山遺跡を探訪。写真はそのうちの一つで、岩手県大船渡市にある盛富金山遺跡です。詳しくは右写真の案内看板をどうぞ。

私は発掘された後の行方(貨幣)にのみ関心が行っているわけですが、こうして鉱山での産出活動の様子を実見できたことは望外の喜びでした。しかも素人が見ただけではとても発掘の痕跡とはわからないものばかりで、地道に活動されている当地の研究会での活動の意義の大きさも教えられました。調査自体としても当然でしょうけれども、私自身としては、鉱山開発に関して今後いろいろ勉強してみたいなぁという思いに駆られるひとときでした。
ちなみに、調査の様子が地元の新聞・東海新報で取り上げられました(2007.11.25付)。ネット上にも掲載されています(いつまで公開されているかはわからないので、記事へのリンクは張っていません)。ただこの記事、「中世移行期」となっているのは少し問題です…(笑)。


しかしそれにしても、忙しすぎる…。抱えている原稿にちっとも着手できません。まずいまずい。なんとか年末には建て直したいところですが。

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2007.10.10

川越へ

Kawagoe1先日の連休中、川越に行きました。街中を歩くのは初めてだったんですが、観光地としての盛況ぶりは凄いですね。人が多くてびっくりしました。写真は川越城の本丸御殿。

目的は川越市立博物館の企画展「後北条氏と河越城」。複製や写真パネルが結構多かったのはやや残念でしたが、本物の文書がたくさん展示されていて勉強になりました。この秋は関東各地の博物館で中世の企画展が目白押しで、個人的には嬉しい限り。できれば全部行けたらなぁと思うのですが。

Kawagoe2Kawagoe3こちらは城下町の喜多院にある中世の板碑。左側が暦応年間(1340年頃)、右側が延文年間(1360年頃)のものです。市博の常設展に同じものがあってどっちが本物か区別がつきませんでしたが(笑)、さすがにこっちが本物でしょうか。

Kawagoe4これは道すがらあった板碑の残欠。「…州古尾谷庄」の字が読めるので、中世のもので間違いないでしょう。さすがに埼玉は板碑が多いですね。

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2007.09.24

苦楽の秋

Shiga暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので。彼岸の中日からとても過ごしやすくなってありがたい限りです。
いやはや、なんとか〆切仕事のめどが立ちました。うち一つは〆切を一ヶ月勘違いしていたので、その精神的重圧がきつかったです。

といっても、まだ心は晴れません。授業の準備が全然手つかず…。不安ばかりが先に立つのですが、それもこれも、見合った準備を全然していないため。この半月ほどは、精神的にもやや不安定な感がしています(自覚しているだけましかもしれませんが)。ケセラセラと行きたいところではありますが…。

一方でこの半月にかけては、いろんなことがありました。そのうちの一つが、恒例のゼミ旅行。今年は滋賀県方面とあいなったわけですが、私の好みでルート設定をさせてもらったため、行くところがマニアックに(笑)。同行者にご満足いただけたかどうかは心許ないですが、私は大変充実した旅となりました。訪問地はまた追々ブログで連載していきたいと思います。…なんだかすっかり史跡紹介がメインになってしまってますが(笑)。
ちなみに写真は小谷城跡(滋賀県湖北町)から見た琵琶湖と竹生島です。

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2007.09.04

初めての岩手と宮城

Honedera1Honedera2なかなか東北へ行く機会が無かったのですが、このたび初めて岩手と宮城に足を踏み入れました。

といっても調査に付いていったので、ほとんど観光はできませんでしたが…。運良く教育委員会の方に、岩手県一関市の骨寺村荘園遺跡を案内してもらいました。いい景色でした。 今は平泉と一緒に世界遺産登録を目指しているとのことで、熱心に運動をされているようです。先日、イコモス(国際記念物遺跡会議)の人がやってきて、見学していったそうですが…、はたして。

その後は近くの厳美渓に行ったんですが、団子とお茶が籠に乗って降りてくる所って、ここだったんですね。テレビでよく見るんですが、場所がどこだかよく覚えていなかったもんで(笑)。ほかの人が買ってるのを見ましたが、私は買わず。

調査地がこれまたすごい山奥で、車で30分近く走らないと何もないという所でした。何日もいるとその環境に慣れてしまい、東京へ帰ってきたら人の多さに閉口する始末。田舎暮らしは大変だと思うけど、のんびりしてて羨ましかったです。 連泊した気仙沼に近い海沿いのペンションでは、季節柄、サンマがたくさん出てきました。まあ美味かったですが、ほかのいろんな魚も食べたかったなぁ、という感も…。

宿の人がこれまた熱狂的な楽天ファンで、いろんな意味で某球団は惨敗だな、と思い知らされた次第です。口が裂けてもどこのファンかを言えなかったほど(笑)、それはすごい迫力でした。地域密着も言うのは簡単ですが、なかなか定着させるのは難しいでしょうから、この浸透ぶりには素直に感心しきりでした。

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2007.08.08

真夏の四国

先週末は松山へ行って参りました。学部時代のゼミのOB会のため。でも、遠方からのこのこ出かけていくのももう私くらいしかいなくなったのかもなあ…などとちょっと寂しさも(過去ログを読み返してみると、前回行った4年前[2003.10.10条]も同じようなことを書いているな…)。
それはさておき、懐かしい話を交えながら、楽しく過ごさせていただきました。今度は是非どこかで泊まりがけの大宴会をお願いしたい(笑)。

01manno途中寄った満濃池(香川県まんのう町[旧満濃町])。ちなみに満濃池は、中世では上賀茂神社領でした(史料上も、「~庄」ではなく「万濃池」と書いてあります)。どういう所領経営をしていたのかはよくわからないんですが。水利権とかだったりしたら面白いけど、一帯の地域を所領とする普通の荘園だったんでしょうかね。

46yuzukiこれは松山市の湯築城跡。今回は道後に泊まりました。旅館の湯は本館と違ってぬるめで良かったです(笑)。私、本館の湯は熱すぎてダメなんですよねえ。

15amazaki今回は初めて「しまなみ海道」を通って帰りました。写真は大三島から見た甘崎城跡。一度渡ってみたいんですが、機会に恵まれません。干潮になると道ができるという話もありますが、実際のところどうなんでしょうか。天智天皇の時代からあるとされますが、中世では海賊衆の今岡氏や来島村上氏の支配した城だったようです。

例によって?ほかにいろんな所に行きましたので、追々ご紹介したいと思います。ラインアップとしては↓の予定(変更あり)。

(1)善通寺・弥谷寺(2)本山寺(3)伊予国分寺(4)道後 宝厳寺・石手寺(5)菊間 加茂神社(6)大島の石塔(7)大山祇神社(8)生口島の史跡(9)因島・金蓮寺(水軍城)

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2007.06.17

パックツアー侮り難し

昨日の某旅行番組でパックツアーの話をやっていましたが、意外と使えるんだなぁと感心しました。
実際パンフレットは巷に溢れているし、大学生協にもあってスキーとかでは使ったこともあったりしますが(ぶっちゃけスキーは安かろう……だったりしますけど)、個人的にはほとんど関心がなくて(海外旅行に行ったことがないのも大きいか)、私は今まで全く旅行会社に行ったことすらありません(笑)。そういうわけで、盲点を突かれた感じです。

もっとも、コースも組まれた団体旅行にはあまり興味はありません。私が行きたい所はまず確実にルートに入らないので…(笑)。気になったのは、新幹線の切符と宿がセットになっているプラン。列車が指定されているというのが多少ネックですが(寝坊のリスクがでかい)、正規料金よりかなり安いのが魅力的ですね。

具体的な使途は学会で京都へ行く時なわけですが…。秋になると割引率が低そうだし競争率も高そうなのでどうなのかはわかりませんが、とりあえずこちらをチェックしておこうかと思います。今年は日本史研に行くつもりはあまり無かったのですが、15世紀がテーマと知って、ちょっと心が揺れています。

とはいえ、問題は「2名1室」なことですが…(笑)。やっぱりこれが一番困る…。一人用のパックってあるのかなぁ。ご存じの方はご教示ください。

ちなみに今度の週末の大阪の方は、ほんとは行きたかったんですが、事情により断念いたします。

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2007.05.24

関戸合戦をまなぶ

多摩センターにある「パルテノン多摩」で開催されていた「関戸合戦~多摩市関戸に残る中世の伝承とその背景~」の企画展を見に行きました。
こぢんまりとした博物館ですが、展示も図録もかなり気合いが入っていて、マニアック心をくすぐられました(笑)。面白かったです。

関戸合戦とは、元弘3年(1333)、上野国新田で挙兵した新田義貞の鎌倉攻めの際に起こった合戦の一つです。
義貞は久米川の陣を出て鎌倉街道を南下。同年5月15日に多摩川左岸の分倍河原合戦で幕府軍に勝利し、翌16日に渡河した先の関戸において北条泰家(北条高時の弟らしいです)軍との間で起こった戦で、顛末は『太平記』に記されています。
分倍河原では幕府軍が一旦新田軍を押し返したそうですが、この関戸では打ち負かされ、鎌倉へ逃げ戻ることとなりました。ここを落とした新田軍は一気に鎌倉へ攻め上ってゆきます。

19sekido18sekidoせっかくなので、その後関戸(現東京都多摩市)へ行きました。京王聖蹟桜ヶ丘駅から鎌倉街道を南側へ進んだ所にあります。現在の旧鎌倉街道は写真のような感じ。道沿いに「古戦場跡」の碑と祠がありました。
多摩川右岸から町田・鎌倉方面に、谷間を登る緩やかな上り坂になった所にあたり、川と道が交叉する流通の要衝であるとともに、狭隘な谷間の入口に当たる軍事の要衝であることもわかります。

20sekido22sekido写真左は道沿いにある「無名戦士の墓」。中世のものとおぼしき宝塔の一部です(積み方は適当)。写真右は関戸集落の中にある観音寺の板碑。ここでは関戸合戦を供養する法要が行われているそうです(大戦後に始まったそうですが)。

29sekidoこちらは関戸の鎮守・熊野神社境内にある「霞ノ関南木戸柵跡」。建暦3年(1213)に関戸の南北に置かれた関所の跡とされ、こちらは南側に当たります(北側は未発掘)。

「霞の関」というのは、鎌倉末期頃成立とされる『宴曲抄』のなかで鎌倉街道上道の一つとして詠まれたものだそうです。このほか、歌枕としてよく使われたそうですが、比定地はほかに現在の埼玉県狭山市と東京都千代田区(ともに現地名は「霞ヶ関」)にあり、見解がわかれています。ただし『宴曲抄』の記載の順序を考えた場合、関戸が最もふさわしいとされています。

山の上が宅地化されてしまい(京王が最も力を入れた桜ヶ丘団地)、なかなか当時の風景をイメージするのが難しいのですが、谷間の集落といった印象はなんとか留めていた感じがします。致し方ないことではありますが、地域の歴史を守ることの難しさを感じたりいたしました。また、地域の方の大変な努力を学ぶこともできました。これからも受け継がれてゆくことを願います。


ちなみに以下は余談ですが、ブログ化後500回目の記事となりました。最近はずいぶんペースがあがりました(笑)。1000回に到達できるようがんばります。

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2007.05.11

「風林火山」絡みの巡見

Shinpu先日、山梨へ巡見に行きました。これで3年連続です(笑)。今回はゼミ企画にて。
今年は大河でも舞台になっているってこともありますし、まぁそういうわけで。ちなみに写真は新府城本丸跡(山梨県韮崎市)です。
一番のメインは山梨県立博物館で開催中だった大河ドラマ「風林火山」特別展「信玄・謙信、そして伝説の軍師」です。毎年(多分)、大河ドラマにちなんだ企画展が開催されるわけですが、今年は山梨県博を皮切りに、新潟県歴博大阪歴史博を巡回するそうです。

一番の目玉と思われるのが、「山本菅助」の名が入った唯一の一次史料(「市河文書」)が今回が初公開ということだそうです。あと、生島足島神社の起請文の一部が原本で展示されていました。
もっとも、山本勘助が主人公であるものの、勘助にまつわる展示はほとんどありませんでした(仕方がありませんが)。しかも武田関係も比較的少ないような感がして、文献史料は大半が「上杉家文書」だったような気がしました(あくまで印象では)。なんか上杉の展示を見に来たような感覚が…。

最後は最近話題の?紀州本「川中島合戦図屏風」関連の展示がされており、その制作と深く関わっている「宇佐美家文書」も展示されていました。もしや…と思って後で図録を買ってみると、解説を書いておられるのは…、なるほど、と(笑)。
この展示について事前に理解しておくためには、↓を読まれると良いのではないかと思います。

異説もうひとつの川中島合戦―紀州本「川中島合戦図屏風」の発見異説もうひとつの川中島合戦―紀州本「川中島合戦図屏風」の発見
高橋 修


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「宇佐美定行」が架空の人物であることは仄聞しておりましたが、なるほどこの人物が「登場」した背景はなかなか面白いものですね。実のところ、「甲陽軍鑑」と並んで、これが一番テーマに副った展示だったかもしれないなぁ、という気もしました。

ほかにいくつか史跡を回りました。明日から名古屋へ参りますので、例によって後日紹介したいと思います。
名古屋ではどうぞお手柔らかに…。

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2007.03.27

初めて若狭へ

Shitsumi先週末に学位授与式がありまして、学位記を抱えて実家へ帰っておりました。
その間、急遽、某合宿のため若狭の小浜へ。中世史では著名な所ですが、私は今回が初めてでした。写真は宿となった志積浦の風景。中世の刀祢の家だったとかで、中世文書を所有しておられる民宿に宿泊。魚がおいしゅうございました。
この合宿は毎年この時期に開催されていますが、私は3年ぶり(…と当日も公言してましたが、実は4年ぶりでした(笑)。前回の参加記事は過去ログ2003.3.30条参照)。久しぶりにお会いする方ばかりなので、なにやら挨拶ばかりしていたような気がします(笑)。一方で、初めてお会いする若手の方も多くて、随分様変わりしたなぁ…といった心境。あんまりさぼると居場所がなくなっていく気がしますね(いや、元々私に居場所があったかどうかはわからないんですが)。

1泊しかしなかったこともあって、あまりじっくりと巡見できなかったので、また改めて行ってみたいと思います。できれば蟹の季節に(笑)。

このほか、今回もヒマを見つけてはいろんな所で写真を撮ってきましたので、追々アップしたいと思います。

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2007.02.28

関東武士の故地へ

Sugaya先日、埼玉県嵐山町にある埼玉県立嵐山史跡の博物館に行ってきました。元々は資料館だった所ですが、今は博物館となっています。
この博物館、畠山重忠の居館跡とされる菅谷館跡に建っています。写真はその館跡にある畠山重忠像(考証怪しめ…)。遺構自体はとても鎌倉初期のものとは思えず、たぶん戦国期に後北条氏が整備したのでしょう。

写真を撮ってきたので、後日改めて紹介したいと思います。ちなみに、カメラをついに新調しました。今回がそのデビュー戦。やっぱり携帯とは比べものにならないですね。しょぼい腕前でもそれなりに見られる写真を写すことができます。

埼玉県の北西部(武蔵国比企郡・児玉郡・秩父郡辺り)は、知る人ぞ知る中世武士の一大拠点です。今回はそこへ行ってきたわけですが、中世武士ゆかりの寺院が今もかなり残っているようです。残念ながら車が無いと行けない所も多いので、また機会があれば今度は車で総ざらえしてみたいところです。
それを受けて、展示もこれらの寺院ゆかりの遺物や、経筒などが展示されていました。文書は残念ながら見るべきものはないですが、鎌倉期の武士の暮らしと信仰を知る上で勉強になります。
ただ、紹介されていた寺院の説明がほとんど無かったのは残念。せめて現在の所在地ぐらいは注記してほしかったです。

ちなみにこの展示、うさたろうさんのブログで知りました(笑)。

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2006.11.12

白河結城氏シンポ

Shirakawaシンポで白河へ。白河結城氏の関連文書を対象とした科研調査の一環として開催されたそうです。室町から戦国にかけての武家文書が分散しつつもかなり大量に残っている珍しい一族だということでした。文書が分散していたためか、研究もあまり進んでいないようなので、これを機に活発になればいいですね。楽しく拝聴。ところで、「白河」と「白川」はどっちを用いるのがお約束なんでしょうか…? 文書もレジュメもその辺あんまり統一性がなかったので、気になりました(って、どうでもいいほど細かい話ですが)。

シンポに行く前に、会場の近くにあるラーメン屋で昼食。白河といえばラーメン、としか浮かばなかったのでまさに渡りに船だったわけですが…。普通の醤油ラーメンを頼んだところ、恐ろしく醤油が濃くて正直微妙…(麺は白河らしい縮れ麺でした)。つけめん食ってるみたいでした。店の売りは味噌ラーメンだったようなので、そっちの方が良かったかもなぁ、と。もっとも、味噌ラーメンは他の人が頼んでいるのを見ると、これでもかっていうほどニンニクが載ってましたが。まぁそれもどうかなと思ったんで、どっちもどっちだったかも。

せっかくだから飲んで帰るのもいいかもなぁ…なんて思っていたんですが、予想通り?新白河駅にはなんにもなかったので、さっさと帰ってきてしまいました(笑)。つっても、白河駅前も微妙だったしなぁ…。
なお、写真は白河駅。なかなか趣のある駅舎でした。駅の向こう側に立派な白河城(中世は小峰城)がそびえているんですが、今の市街地は線路を挟んで反対側(駅舎側)に広がっていたのがちょっと奇妙でした。近代になって駅が反対側にできたせいなんでしょうかね。とはいえ今の市街地も、商店は見られるんですが、寂しい感じ。今の地方都市はどこもこんな感じなんでしょうねぇ。なお、土産は『白河市史』資料編古代・中世。

余談ながら、白河といえば久松松平家が誇る松平定信(養子ですが)。でも町ぐるみで顕彰している雰囲気はなかった感じ。まぁそんなもんか。やっぱり人気ないのかねぇ、このひと。

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2006.09.13

初秋の信州

Chuzenji02Chuzenji03今年のゼミ旅行は長野県の中東部・小県郡を中心とした地域を巡見してきました。この地域の中世建築をほぼ総ざらえという感じで、神社・仏閣の巡礼みたいな感覚。出来うる限り史跡を見ることができて楽しかったです。
写真は上田市の中禅寺にある、長野県内では最古の金剛力士像。平安末期頃の作と推定されています。この寺のあるのは、別所温泉にも近いかの塩田荘。巡見地は、北加賀の方が終われば順次紹介いたします。

天気は、最終日が雨に祟られたほかは、涼しくて快適でした。二日目に泊まった戸倉上山田温泉(千曲市)は古くからの結構有名な観光地だそうですが、私は知りませんでした。実際に行ってみると、確かに観光地としての歴史は古そうです。よく言えばレトロというかトラディショナルというか。意地悪に言えば、さびれて…。ま、でも最近ではかえって珍しく硫黄がプンプンしている温泉らしい温泉で、良かったですよ。

(1)法住寺虚空蔵堂(2)新海三社神社(3)大法寺(4)真田氏館跡(5)真田本城跡(6)真田の史跡(7)国分寺・国分尼寺跡(8)荒砥城跡(9)智識寺(10)村上氏館跡(11)筑摩神社(12)林城跡
塩田荘は→こちら

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2006.09.08

北加賀をあるく

Kenrokuen01参加させてもらっているゼミの合宿で北加賀から能登の日本海側あたりへ行きました。個人行動でこの地域の史跡をいろいろ廻ってきましたので、追々紹介したいと思います。天気は最悪の大雨だったので、行けなかった所がいくつか出てしまったのは少々残念でしたが、おおむね念願が叶って満足です。

ただ…致し方ないこととはいえ、中世を偲ぶ文化財の残存状況が極端に乏しいのは、当地の歴史が逆に濃密であることを考えると、残念といえば残念です(この辺、研究レベルでも障碍になってる気もするしなあ)。もっともこのような中世と近世との明確な“断絶”こそがこの地域の持つ歴史的特徴であり、地域性にも繋がる部分ではあるとも言えるでしょうか。

写真はお馴染みの兼六園の灯籠。平日で天気も良くなかったので、それほど混んでなくて良かったです。地元のタクシーの運転手さんによると、「夏の兼六園は面白くない。冬の方が風情がある」とのことでしたが。夏場は全体的に観光客が落ち込むんでしょうかね。

(1)横江荘荘家跡(2)大野荘(3)金津荘(4)鳥越弘願寺跡(5)倶利伽羅不動寺(6)本泉寺(7)金沢城/番外編:気多大社末森城跡

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2006.08.20

初めての常陸

Kashima04茨城県の旧常陸国地域南部をまわってきました。要するに霞ヶ浦の東側ですが、中世では霞ヶ浦とかその東にある北浦も海だったと考えられていて、現東京湾沿岸と並んで「関東の内海地域」と言われているところです。
現地を訪れてもその独自性をイメージするのは結構難しいんですが、どこへ行っても興味津々。暑かったけど、充実していて楽しかったです。

その翌日は茨城県立歴史館でシンポジウム「中世東国における内海世界」拝聴。元々土地勘があまり無かったので、正直言って聞いても消化しきれないだろうなぁと思っていたんですが、予想に反して、引き込まれて聞き入っておりました。かえって常陸に対する興味が沸々とわいてきたりして、思わず売っていた『茨城県史料』が欲しくなったり(荷物になるので買いませんでしたが(笑))。関東在住のメリットを活かして、いずれ関東もフィールドにするために勉強したいなぁとは思っていたんですが、いいきっかけになりそうです。
常設展も観覧しましたが、わかりやすい展示を心がけているなぁといった感じでしょうか。展示物はやや少ない気もしましたが。

なお、写真は見ての通りアントラーズの氏神常陸一宮の鹿島神宮。折を見て、ほかに撮った写真も紹介したいと思います。

…さて、現実に戻ります(笑)。

(1)長勝寺(2)鹿島城跡(3)鹿島神宮(4)行方あたり

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2006.03.06

うららかな甲斐路を歩く

shingen勉強会の合宿で、約2年ぶりに甲府へ行きました。前回とは違い今回はご同業との巡見なので、行き先もマニアック気味になりました(笑)。
実質的には寺社巡りに近いような行程になりましたが、観光地化している武田神社や恵林寺よりも、マイナー気味な放光寺に個人的には感銘を受けました。詳しくはまた後日ということで…。

甲斐の歴史といえば武田(というか信玄ひとり)しかない、という雰囲気は現地にもありありとしていますが、武田とは直接関係がないけれども魅力的である史跡はやはり少なくないことも、実見できたような気がします。行きたい所に全部行けたわけではないので、またの機会を楽しみにしたいと思います。

それにしても、タイトルにあるように、今回は本当にかなり歩きました。疲労困憊。ああもう若くはないんだなぁ。

放光寺甲斐善光寺東光寺

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2006.02.16

売れっ子作家気分

恒例の冬のゼミ合宿に行って参りました。去年とほぼ同じ所。
今年も私はスキーをせず。ただ去年のように観光するのをやめて、空いた時間は宿で原稿書きをすることにしました。温泉宿で原稿書いたり風呂に入ったりと、なんだか売れっ子作家になったような気分を味わいました(笑)。従事する時間はあまり取れなかったんだけど、いろいろ誘惑の多い自宅でやるよりははかどったように思います。環境は大事です。

リフレッシュして帰宅すると、あまり喜ばしくない郵便物あり。なんつーか、そんなこと言われると元も子もないんだけどなぁ…。今後の方針につき少々難渋。

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2005.11.02

月二度目の京都 後編

tojiin-takauji等持院の足利尊氏木像です。等持院に関するお話はまたの機会に。
さて翌日曜。古文書学会の会場に10時頃着。既に始まっていたので、途中から拝聴。質疑を入れて一人頭30分しか報告時間がないので、いずれの報告もやや駆け足気味。私はといえば、すべての報告を聞き続けると集中力が持たないので、適当に休憩を入れていたりしました。
困ったのが昼食。キャンパス内は日曜なので当然休みなのだが、大学の外に出ても周囲には飲食店が見あたらず。しょうがないので上賀茂神社までバスで出て、真っ先に目に入ったのがまたもや天下一品。さすがに少し飽きてきた。でも今回で唯一食べた京都らしいものだったような(笑)。

勉強になった報告が多かったが、一部「?」というようなものも。まぁその辺鷹揚な所がこの研究会の良さなのかなぁ。私は初めて行ったんですが、他の研究会とは違った独特の雰囲気を感じました。年齢層も高めだったし。ある方の報告でつい質問に立ったが、質問の仕方がまずかったなぁ…。報告者の方には申し訳ないことをしました。
最後まで居ると帰宅が遅くなるので、午後4時半頃に中座。京都駅に直行するも、着いたのは5時半過ぎ。ちと今回の会場は遠かったな…。京都の大学は京都駅から離れている所が多いんだけど(まぁ京都駅そのものが街の外れという所もあるが)、中でも京産大は一番遠い部類なので、遠方からの参加者には少し辛かったです。

さて帰りの新幹線は、「数字の大きい号数を選べ」の私の法則に従い、300番台ののぞみを選ぶと、狙い通りガラガラ(車両は300系だったが…)。日曜夕方であれだけ空いていたのは有り難い。お陰で東京までゆったりできました。しかし中央線が人身事故で遅れているというおまけがついていたけど(笑)。遠征帰りに遭遇すると疲れとイライラが倍増。

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2005.10.31

月二度目の京都 前編

…というわけで、今月二回目の京都行となりました。目的は日本古文書学会に出席するため。
本当は土曜の午後に講演があって、そちらに行くつもりだったんだけど、やはり寝坊してしまい(笑)、京都に着いたのは午後2時半。これでは会場@京産大に向かっても無意味なので、観光に切り替え。この2週間の激務に耐えた自らへの褒美と思うことにして(笑)、嵐山へ行きました。

嵐山は約15年ぶりだったんだけど、随分様変わりしてましたねぇ。個人的には、勘違いした観光地化ぶりは相変わらずだな…と思ったが。前回は下世話な「タレントショップ」が全盛期で幅を利かせていたものの、幸い今はほとんど駆逐された模様。バブリーで下品この上なかった頃に比べるとだいぶ落ち着いた雰囲気が上がったようにも思うが、それでもなんか違うんだよなぁ。まぁしゃあないか。
折角なので天龍寺に行くと、中は行事で拝観不可との連れない貼り紙。おいおい土曜なのに…。庭園は公開していたが、興味ないので(笑)そのまま立ち去る。その後人混みを掻き分けて臨川寺へ行くと、今度は「しばらく拝観は停止します」とでかでかと立て看板。なんじゃそりゃ。すっかり空振り。渡月橋を渡って松尾大社へ行こうかとも思ったが、等持院へ行くことにし、嵐山を去る。ほとんど無駄足だった(笑)。こんなことなら北山へ行くべきだった。

京福で等持院へ。ただ駅を降りても案内がなんもなくて、地図も持っていなかったので少々迷う。受付時間ギリギリに到着。焦った。
目的はなんといっても足利将軍歴代の木像。実物は初めて見たので感動。撮影不可とは書いてなかったので、一体ずつ写真を撮りました。今まで記憶が曖昧だったんだけど、木像が無いのは義量と義栄であることを確認。
等持院を出て北野天満宮にも行きたいなと歩いて北野白梅町まで行くが、そこで日暮れを迎えたため断念。まぁ次の機会に取っておきたいと思います。

今回は堺の知人宅にお世話になることになっていたので、そちらへ向かい旧交を温める。私はお構いなくビールをガブガブ飲んでいただけだったような気もするが…(笑)。我ながら厚かましい。
翌日分は後編にて…。

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2005.10.21

両毛ツアー(12) 箕輪城跡

minowa05最後は箕郷町の箕輪城跡。守護上杉氏の被官で、いわゆる「国衆」長野氏の居城です。16世紀前半に築かれたといわれていますが、正確な築城年代は不明のようです。長野業政が武田信玄の猛攻を退けた事で有名ですね。しかし業政死後の永禄9年(1566)についに落城。長野氏は没落しました。その後は内藤昌豊・昌月が居ましたが、武田氏滅亡後は滝川一益が入り、さらに本能寺後は北条氏邦が入りました。そして天正18年(1590)には井伊直政の居城となり、慶長3年(1598)に高崎移転に伴って廃城となっています。
minowa01というわけで戦国時代に詳しい方にはよくご存じの城なわけですが、今の遺構は多くが井伊氏の支配期に整備されたもののようで、長野氏の時代を偲ばせるものはあまり無いみたいです。
minowa03うーん、写りが悪いですね…。
これにて巡見終了。この後は東京へ戻りました。

さて、二ヶ月近くにわたって史跡ネタを掲載してきましたが、ネタはこれで尽きました(笑)。というわけで以前の更新ペースに戻ります。

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2005.10.19

両毛ツアー(11) 名胡桃城跡

nagurumi08沼田からさらに北へ車を15分ほど走らせ、月夜野町の名胡桃城へ。天正6年(1578)に後北条氏が沼田城を支配に収めた後、対抗する真田昌幸が前線基地として築城したとされています。後に真田昌幸は沼田城を落としましたが、後北条氏の上洛を条件に天正17年(1589)に沼田を明け渡しました。しかしこの名胡桃城はそのまま真田氏のものとして残され、北条方の猪俣邦憲の攻撃を受けたことにより、秀吉の小田原攻めの口実を与えたことになりました。というわけで、後北条氏滅亡の契機となった城とされています。その後しばらくして廃城になったようです。
nagurumi03城跡の中央を国道が横切っていて分断された形になっていますが、遺構はよく残っています。こちらは二の丸。
nagurumi10写りが悪くてすみません…。二の丸から本丸を眺めています。間に大きな堀切があるのがわかります。
nagurumi09こちらは逆に本丸から二の丸方面を眺めたものです。

さて、ここから一気に高崎まで南下。…したものの、昼は看板に導かれて再び伊香保の近くまで戻ってしまい(笑)、水沢うどんを食す。「三大うどん」の一つだそうですけど、知らんかった。味は悪くなかったが、ちょっと値段が張ったかなぁ。
そして、最後の巡見地へ向かいます。

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2005.10.18

両毛ツアー(10) 沼田城跡

白井城を後にして、利根川沿いの国道を北へ。小一時間ほどで沼田着。
numata01というわけで沼田城跡。沼田城はこの地域の領主であった沼田顕泰が天文年間に築いたとされています。間もなく後北条の支配下となり、越後の上杉謙信に対する拠点となりましたが、永禄3年(1560)に謙信が支配下に収めています。永禄13年(1570)に北条氏康の子氏秀(のちの上杉景虎)が謙信と対面したのもこの沼田だったそうです。後には真田昌幸の居城となり、関ヶ原後は子信之が入って、真田氏の支配する時期に天守閣が築かれたそうです(本家は信濃松代へ移り、沼田は分家に)。真田氏の改易後は黒田・本多を経て、元守護家(!)土岐氏が藩主となっています。
numata03というわけで、今の姿は近世城郭のもので、その敷地面積も広くすっかり公園化しています。石垣もあるのですが、中世らしいものはありませんでした。
一方天主台には天守閣の礎石と思われるものもありましたが、全然整備されておらず、案内表示もなにもありませんでした(笑)。中世に関心のある者としてはこれといって目を引くものもなく、さらっと見て回った程度で終わりました。

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2005.10.17

両毛ツアー(9) 白井城跡

shiroi01三日目。天気は悪し。この日はすべて城跡巡りになっているだけに、実に痛い。
伊香保を下りていくと渋川市。ご存じ足利一門で室町時代には九州探題になった渋川氏の故郷ですが、関連する史跡はあまり無いみたいです。というわけで、今回は通過。
そしてお隣子持村の白井城跡へ。この地域は白井氏という在地領主がいたようですが、室町時代には守護上杉氏の被官である長尾氏が入り、支配するようになったそうです。この系統を白井長尾氏と言いますが、その祖とされる長尾景仲が15世紀に築城したと伝えられています。
shiroi03ここも紆余曲折の末後北条氏の支配下に置かれたようですが、前田利家に攻められて開城。その後は徳川家康家臣の本多広孝が入り、整備されて今に残る姿となったようです。以後数家にわたって城主は変わりますが、元和9年(1623)に白井藩の廃藩とともに廃城となりました。
shiroi05本丸から南方を眺めるとこんな感じ。流れる川は利根川支流の吾妻川です。その向こうに見えるのが渋川の市街地。
shiroi06この一画はすべて本丸だったようです。二の丸以下は宅地化・農地化しています。かなり広大な城郭だったことがわかります。白井藩は最終的には1万石の小藩で、とてもこれだけの規模の城を維持することはできなかったのではないかと。周囲にはかなり深い空堀が巡らされていました。

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2005.10.15

両毛ツアー(8) 生品神社・長楽寺

ikushina03次に訪れたのは新田荘故地。まずは生品神社(太田市、旧新田町)。元弘3年(1333)に後醍醐天皇の綸旨を受けた新田義貞が挙兵した所とされています。はじめはわずか150騎だったが徐々に加勢を得て、わずか15日で鎌倉幕府を滅ぼしたと言われています。今は産土神として信仰を集めているようでした。
chorakuji01続いては長楽寺(旧尾島町)。かの世良田地域に建つ寺院で、中世文書を多く伝える所として著名です。本堂は去年建て替えたそうで、非常に真新しいものでした。木造で新しいお堂を見るのはかえって珍しい。
世良田に建ち、近くに徳川の地名があるなど、徳川氏にとっては「発祥の地」として重視された地域で、この長楽寺に残る建物は近世に臨済宗から天台宗へ改宗した後に建てられたもので占められています。ここも中世を偲ばせるものはほとんどないのですが、写真の宝塔(重要文化財)は建治2年(1276)建立の銘があり、中世のものです。
chorakuji02隣には世良田東照宮があります。徳川氏発祥地として寛永17年(1640)頃に建立されたそうです。本殿はこの時新築されたものですが、写真の拝殿(重要文化財)は日光東照宮から移築したものだそうで、元和期のものとされています。
chorakuji03こちらの鉄灯籠(重要文化財)は日本最大のものだとか。元和4年(1618)に上野総社藩主秋元長朝によって造られたそうです。

近くに東毛歴史資料館もあったのですが、既に時刻は午後5時に近かったのでパス。ここから宿の伊香保温泉まで一気に移動しました。伊香保は土砂降り。宿の人によれば伊香保は元々雨が多いそうですが、それにしてもついてない(笑)。あんまり深酒せず、ゆっくり休む。これで二日目終わり。

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両毛ツアー(7) 金山城跡その3

kanayama18ここが本丸です。下の郭と打って変わって、史跡としての整備はほとんどされていません。おそらく神社が鎮座するためでしょう。新田一族の城ということで、新田神社です。
kanayama19本丸の周囲を、藪をかき分けて(笑)入っていくと、当時の石垣があります。関東にあっても、戦国期の城郭で石垣が見られるのは結構珍しいみたいです。でもどうでしょう。この石垣が整備されたのは、時代的には16世紀後半くらいでしょうかねぇ?
kanayama15ところでなぜか、この城は本丸の下にこんなに大きな池があります。先に見た大手口のすぐ脇にも池があって、この二つがそれぞれ「日」と「月」と呼ばれて対になっていたそうです。観賞用とか籠城時の水確保のためとかいろいろ説はあるそうですが、しかし珍しい。
kanayama13この写真はちょっとわかりにくいんですが、金山城の変遷がわかるように敢えてこのように整備せず残してあるそうです。内側の石垣が古いもので、外側に向かって新しくなります。つまり時代を経ることに、外側に新しく石垣を積んで再整備していた様子がわかるわけです。一番内側は石も小さいですが、外へ行くと石も大きくなったりと、その規模の変遷がよくわかります。金山城の歴史は100年強しかないのですが、その間に何度も改修したことがわかります。

金山城はこれでおしまい。さて、ここでようやく全行程の半分くらいでしょうか。あまりのんびりしていると記憶が段々薄れてしまうので(笑)、これから少しペースアップしたいと思います。

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2005.10.14

両毛ツアー(6) 金山城跡その2

kanayama10さて、これより主郭へ。まず「大手虎口」とされた所。安土城を彷彿とさせる立派な大手道があったようです。このように石を敷き詰ると、排水がお粗末だと崩れてしまうので、しっかり排水溝が整備されていたそうで。
kanayama12上から見るとこんな感じ。
kanayama17さらに反対側から。この写真の一番上にある場所が二の丸と考えられているようです。というわけで、この辺りは三の丸とさらに下の郭で、それでいてこれほどの規模が整えられているのは凄いです。
本丸等、残りは次回に…。

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2005.10.12

両毛ツアー(5) 金山城跡その1

kanayama02群馬に入り、太田市の金山城跡へ。新田一族である岩松氏の居城です。応仁3年(1469)に家臣の横瀬国繁に命じて築城した、とされています。しかし実権は横瀬氏(のち改姓して由良氏)に移り、戦国期は同氏の居城として表れます。ここも唐沢山城同様に難攻不落を誇ったようですが、天正期に後北条に明け渡し、小田原落城とともに廃城となりました。詳細はこちら
kanayama03ともかくも、この城跡はビジュアル面で圧巻です。復元整備が積極的に進められており、その規模の大きさを体感できます。
kanayama04
kanayama06今回の写真は縄張りとしては城の外郭部に当たりますが、それでいてこれだけのものが築かれていたというのは驚きです。おそらく廃城寸前の時期のものとは思われますが、頻繁に戦争に見舞われた地域なだけに、城がこれほど大規模化したのでしょうか。

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2005.10.07

両毛ツアー(4) 鑁阿寺

ashikaga01初の足利入り。やはり一度は来ておきたい所だったので、感慨もひとしお。
ところが、休館日でもないのに足利学校が「臨時休館」という事態で中に入れず。一同大ブーイング。なんとか入れないものかと入り口まで行ってみるものの、やはり無理で諦める。
bannaji03というわけで、鑁阿寺へ。元々は源姓足利氏の居館でしたが、足利義兼が建久7年(1196)に持仏堂を建てたのを契機として、後に寺院となりました。写真は大御堂(本堂:重要文化財)。
bannaji05こちらは経蔵(重要文化財)。応永14年(1407)に鎌倉公方の足利満兼が建立したと言われています。
今に残る寺は多くが境内を縮小しているのですが、鑁阿寺は今も結構境内が広く残っていました。平日に来ただけあって閑散としていて、より広さが感じられました。とりあえず初めての参詣を叶えることができて、満足でした。

少し時間が押し気味だったため、長居無用ということで早めに引き上げる。渡良瀬橋を渡りつつ、これにて栃木を後にして群馬へ入ります。

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2005.10.06

両毛ツアー(3) 唐沢山城跡

二日目は今回の行程で比較的天気に恵まれました。鬼怒川から大きく南下して佐野へ。少々効率の悪いルート設定だったのではないか、という疑いも漏れる。
karasawa01そして唐沢山城跡へ。藤原秀郷やその流れを汲む藤姓足利氏の末裔と言われる佐野氏の本拠です。かの上杉謙信や後北条氏から何度も攻撃を受けましたが、ついに落城を果たせなかった堅固な城として著名です。
karasawa09二の丸から本丸を望むとこんな感じ。結構立派な石垣が残っています。ただ、これは佐野氏によるものではなく、その後支配した後北条氏によるものではないかと考えられているようです。縄張りは順次拡張されたにせよ、基礎的なものはかなり古い時代に確定していたようですが、後北条の時代になって大幅な改修が施されたと考えられます。
karasawa02物見の場所からの眺め。なかなか良い眺めでした。
余談ながら、佐野氏は江戸時代に旗本として残りましたが、分家に田沼氏がいます。田沼といえば意次。その息子の意知を刺殺したのがそういえば佐野政言でした。なんか系図の貸し借りを巡るトラブルが原因だったという説があるそうですが、抬頭する分家と、落ちぶれた本家との根深い確執があったんだろうなぁ…などと想像したり。
あと、日本一多い名字の「佐藤」は佐野氏にルーツがあると言われているそうですが、ほんとかなぁ?

さて、その後JR佐野駅の近くでラーメンを食す。うまかったです。しかも安いのが本場らしくて良いです。ただ昼時だったので仕方がないけど、出てくるのに少し時間がかかったため、やや時間ロス。そんなこんなで、いよいよ念願の足利へ向かいます。

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2005.10.05

両毛ツアー(2) 日光再び

宇都宮から高速を飛ばして日光へ。去年ようやく初めて行った地だが、今年もまた来ることに。

日光では自由行動に近い扱いになったので、去年行きそびれた輪王寺と大猷院をメインに回る。
rinnoji01輪王寺は、中世では山岳修験の道場として栄えた歴史を持っているのですが、往時を偲ぶものはやはりあまり無くて、写真の三仏堂(重要文化財)をはじめとして、今の伽藍はすべて近世以降に建てられたもののようです。かの有名な天海が住職となったのがターニングポイントでした。三仏堂も正保2年(1645)に徳川家光によって建立されたものですが、これだけ立派なお堂が建てられたのも、家光の日光に対する並々ならぬ思い入れによるものなのでしょう。
taiyuin02そしてこちらはその子院である大猷院。家光の墓所です。写真はそのうちの二天門(重要文化財)。家光自らの意向ということで規模は控えめなんですが、いかにも墓所というような造りで、いくつもの門をくぐりながら階段を登るといったしくみになっていました。

あと一応東照宮と二荒山神社にも再び行きましたが、今回は家康墓所までは行かず。今回は平日午後だったこともあってか、すごく空いていました。東照宮ではひたすら灯籠の銘を見ていました(笑)。奉納者を憶えているまま書き連ねると…、細川忠興・伊達政宗・伊達秀宗・毛利秀就・松平忠長…などなど。二荒山神社では、去年は見なかった鎌倉期の灯籠(重要文化財)を見ました。
futarasan13この灯籠は「化灯籠」と言われ、銘によれば正応5年(1292)に鹿沼権三郎入道教阿と清原氏女が奉納とありました。今に残る中世の銅灯籠としては最大級だとか。「鹿沼」の名が登場する初めての事例でもあるそうです。

ところで日光の語源は二荒がなまってということなんですが、本当なんでしょうかね? ついでに、「宇都宮」も「一宮」がなまったのだとか。

さて、これらを回ったところで日暮れ。神橋が特別に渡れるということだったが、パスして宿の鬼怒川温泉へ。なかなかいい宿でした。鬼怒川に泊まったのは初めてだったけど、思いの外閑静な感じ。悪い言い方をすれば、随分寂れてますね(笑)。そんなこんなで、一日目終わり。

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2005.10.02

両毛ツアー(1) 飛山城跡

播州編が終わったところで、次は先々週に行ったゼミ合宿の顛末記をば。
合宿初日。東京を朝出発し、一路宇都宮へ。最初に行ったのは宇都宮市の鬼怒川沿いにある飛山城跡です。
tobiyama01この城は永仁年間(13世紀末)に宇都宮氏被官の芳賀氏によって築かれたとされています。以後、戦国期まで芳賀氏の居城となっていました。
国史跡に指定されているだけあって、復元整備もしっかりされています。もっとも逆にしっかり整備されているとかえって想像が膨らまなかったりもしますが(笑)。あいにく連休明けということで、併設の資料館は休館。天気も悪く、眼下に流れる鬼怒川の眺めは圧巻だったのですが、写真の写りは悪くボツ。
tobiyama08というわけでこんなにわかりにくい写真しかないのですが…、奥の林になっている箇所が本丸だと考えられている所です。本丸は川の浸食を受けて半分以上が崩落したと考えられているため、残っているのはごく一部のようです。
haga飛山城の北側に集落があります(今は「道場宿町」)。おそらくここが舟着になっていて、芳賀氏が鬼怒川の水運と関わっていた可能性が考えられます。この集落には芳賀氏の菩提寺である同慶寺があって、今も墓所が残っていました。石の積み方は滅茶苦茶ですが(笑)。

この後宇都宮の二荒山神社とできれば宇都宮城跡へ行く予定だったのですが、市内へ入ると土砂降りだったためパス。昼に餃子を食べて日光へ向かいました。

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2005.09.23

両毛ツアー

kanayama17今年のゼミ合宿は栃木・群馬の史跡巡り。題して「両毛ツアー」。
個人的には、まだ一度も行った事がなかった足利・新田周辺に行けたのが収穫。ただ、足利学校がなぜか臨時休館になっていて、中に入れなかったのは心残り。
事前に祈っていた天気にはあまり恵まれず。やはり日頃の行いが良くないようです(笑)。
携帯で写真を撮ってきたで順次紹介していこうかと思いますが…、天気が良くなかったのもあって写りは輪をかけて悪い。そろそろ本気でデジカメが欲しくなってきた。
なお写真は、今回の旅行で行った群馬県太田市の金山城跡。後日改めて取り上げますが、ここは凄かったです。

さて、これで最後の夏休みの大型イベントは終了。一生記憶に残るような出来事は…、あったかなぁ?

栃木:(1)飛山城跡(2)日光再び(3)唐沢山城跡(4)鑁阿寺
群馬:(5)金山城跡その1(6)金山城跡その2(7)金山城跡その3(8)生品神社・長楽寺(9)白井城跡(10)沼田城跡(11)名胡桃城跡(12)箕輪城跡

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2005.02.21

「衣」のはなし

yuzawa5
写真は越後湯沢の宿から外を見る。なんか変な線が入ってるのはなぜだろう…?

合宿の話続編。当初の予定にはなかったのだが、塩沢町にある鈴木牧之記念館に立ち寄る。牧之関連の展示も良かったのだが、実は興味が行ったのは併設されていた越後上布関連のもの。
小千谷縮」といえば聞き覚えのある人も多いでしょうが、新潟県中越地方は古代からの苧麻(ちょま、からむし)の織物の産地で、特に越後産は高級品として珍重されていました。また現在での一大生産地はこの地域だけです。
そうしたゆかりもあって、永原慶二さんの関連著書ではこの地域が取り上げられていて、塩沢でも聞き取り調査をされたようです。
実はこの時、私は初めて青苧(あおそ)を見ました。しばしば混乱が見られるようですが、カラムシから繊維を取りだしたものが青苧で、カラムシそのものを青苧と言うわけではありません(ここ)。

「衣食住」といえば人間生活の三大要素として人口に膾炙していますが、日本史学の研究においては、実はいづれも極めて不得手な分野でもあります。特に「衣」は、中世においては基本的に売買によって入手できるものではなかったため、店で購入することに頼る現代人にはイメージしづらいものがあります(もちろん私も含めて)。
永原さんの本を含めて、この展示を見て考えさせられるとともに、いかにこの分野に対する知識が無いかを思い知らされました。これを克服するにはある程度ビジュアルで理解するしかなさそうだ…というわけで、これを購入予定。この本、写真が永原さんの本にも引用されているようです。

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2005.02.19

がんばろう新潟

今週も少々多忙。月曜に夜通し飲んでまた朝帰りをやってしまったのも悪いのだが。
時間をみつけて史料めくりに時折通っているのだが、なかなかはかどらない。とりあえず締切のある作業なので、そろそろペースを上げないと。

話は変わって、タイトルのような世間の雰囲気に乗って今年のスキー合宿は越後湯沢へ。私は別行動で周辺の史跡を巡る計画を立てて赴く。初めて上越新幹線に乗ったのだが、行きも帰りも結構混んでいて少々戸惑う。地震の後だからなのか、時期的な問題なのか、スキー客自体は随分少ない模様。
しかし凄い雪の量に驚く。2mはゆうに超えていて、すべての道が雪の壁で覆われているような風情。わけあって急遽レンタカーを借りて廻ったのだが、除雪が行き届いていていたものの、交差点の見通しがすこぶる悪く気を遣う。
巡検では中世文書にも巡り会えて満足。温泉も堪能。経済的事情が許す限り、これからも旅行の機会を多く得たいもの。

来年度はうちのゼミも随分にぎやかになりそうな気配。善哉。バイト先では、私に先んじて新しい道へ進むメンバーが何人か出てきたりと、新年度へ向けた変化を徐々に感じつつある。

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2004.11.25

初日光

初めて日光へ行ってきました。関西出身の人間にとってはなかなか行けない場所なだけに感慨深い。まさに関東在住の特権と言うべきか。

1日目はいろは坂を上って中禅寺湖から華厳の滝へ行き、宿へ。
2日目は宿から日光東照宮と二荒山神社を廻り、宇都宮で昼飯を食って帰京。輪王寺と大猷院は時間の都合上パス。

日曜の午前に東照宮へ行ったところ、凄まじい人混み。日光恐るべし。あれだけ人がいる神社に行ったのはいつ以来なのか記憶にない。その中でも、かの有名な陽明門や眠り猫をしっかり拝むのが出来たのはとても貴重でした。
つっても同行者は専門家でもなんでもないので、誰も見向きもしないような灯籠の銘を食い入るように見つめる私の行動には不審がっていたが…(笑)。元和3年(1617)奉納の銘が入った灯籠がかなり多かったのだが、これはやはり久能山から持ってきたものなのでしょうか?>詳しい方
つーか、拝観料(¥1300)高すぎ。史跡で金儲けするんじゃねぇと少々憤る。しかも解説と称した営業トーク(お守りセールス)が長ったらしくて不快極まりなかった。

ちなみに宿は湯西川温泉という所。私は初めて聞いた所だったのだが、意外と知る人ぞ知る温泉地らしく、凄まじい山奥にあった割にはわりと大きな旅館が建ち並ぶ温泉地だった。安くあげるために民宿に泊まったので風呂はそれほど風情のあるものではなかったが、蛇口のない掛け流しの風呂で満足。ありがちな話だが、平家落人の里であったらしい。

昼飯は栃木らしいもの。行きは東北道の佐野SAで「佐野ラーメン」。味はいまいち(しゃーないか)。帰りは宇都宮で餃子。餃子だけに感動する程ではないが、まあまあ美味かった。

今度は足利へ行きたいと思う。

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2004.10.06

酒の秋?

…ってくらい、最近また酒量が増加。しかも深酒することが多く、さすがに気を遣わないといけないか。

小田原へ茸狩りに行ってきましたが、天気は最悪の土砂降り。
といってもやはり山に入って云々なんて本格的なものが素人にできるはずもなく、栽培されていた椎茸をつまんで採る程度のものだった。まぁそんなもんか。でも初めてやったのでいい経験になった。直後に焼いて食べたが美味。私は元々椎茸は好きな方ではないんだけど、この日だけで数年分の椎茸を食べたような気がする。

その後湯河原の立ち寄り湯に浸かって東京へ戻り、飲み。充実した一日だった…が、やはり朝まで飲んでしまい(笑)体も財布もお疲れ。来月は紅葉狩りか?という話も出る。

週末は日本史研究会の大会で京都へ。また天気が悪そうなのが不安材料。京都へ行くのはかなり久しぶりだけど、観光は多分無理。

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2004.09.19

今年のゼミ旅行

kawaya
↑高天神城のかわやでござる。

遠州・東三河に行ってきました。廻ったのは諏訪原城、高天神城、鵜津山城、野田城、長篠城などの中世城郭や、奥浜名周辺の寺院や神社、あと井伊谷。
城の比率が高かったのでややハード。もう少し涼しければとは思ったが、天気が比較的良かったのは有り難かった。
特にトラブルもなく、無事帰京。

さて夏休み中のイベントはこれで終わり。しばらく日常に追われる毎日に。もちろんその日常とは、やるべきことをやる事であるが…。

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2004.03.17

甲府

2日目は特に行く所を決めていなかったので一同途方に暮れるが、結局私がご案内するってことで、甲府へ。棚からぼた餅。
yama10
こちらは甲府城跡。さすがに将軍家との関係も深いだけあって、結構立派。城跡は現在整備中だったようで、下の曲輪では工事中だった。

yama17
その後武田神社(躑躅が崎館跡)へ寄る。宝物館に展示されていた「御旗楯無」(レプリカだったが)が国宝だったのを初めて知った。

ともあれ無事帰京。

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河口湖

1泊2日で山梨へ。
宿は河口湖。温泉に浸かった後、飲んで食って喋って。
yama05
河口湖から富士山を望む…が、写りはいまいち。

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2004.02.29

初の福島

さて福島の顛末。
スキー合宿でありながらスキーをする予定はなかったのだが、料金にレンタル代やリフト代がすべて込みであったことや、レンタルウェアが思ったよりまともだったので、一日だけ滑ることに。
スキーはまさに10年ぶりで、もちろんまともに滑れるわけもなく…、ヘタクソなだけあって、上手い人ならなるはずもない全身筋肉痛に(笑)。でもまぁ結構愉しみました。

nihonmatsu/P1000011

これは帰りの二本松駅を撮影。雪が降ってました。さて画質は…、まぁまぁか。撮影者の腕からすれば(笑)こんなものでしょう。結局行きも帰りも新幹線利用。
今回、宿の質からすればかなり破格な料金だったのだが(幹事さん偉い)、その分食事が悲惨だった。旅館でコロッケやメンチカツを食うってのはなかなか経験できるものではないと思う。

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