2008.06.19

対馬 おまけ

NishidomariNishidomari_1最後におまけ画像です。
こちらは北端部にある上対馬町西泊近くの海。この海の先が日露戦争の日本海海戦の戦場になった海域になるそうで、それを記念?して、日露友好の石碑が建っていたりしました。

Asowanこちらは中央部の多島海である浅茅湾の風景。…なんですが、天気が悪く霞んでしまっていたので、こんな写真になってしまいました。残念。
天気がよいとこんな風に見えるそうです。

Shimizuyama_18Shimizuyama_19最後は厳原の清水山城跡の山頂(本丸)の写真。大したものではありませんが。本丸自体は非常に狭くて、とても軍勢が駐屯できるような施設があったようには思えませんでした。狼煙台があった程度でしょうかね。

対馬には「ヤマネコ注意」の標識があったり(こちら)、やはりハングル表記の看板が多いなど、やはり独特の雰囲気が感じられました。
というわけで、対馬シリーズはこれにて終了です。

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2008.06.06

史跡写真の目次

史跡関連の記事がかなりたまってきましたので、一念発起して目次を作りました。→こちら
左側の関連リンクの欄にも掲示してあります。

掲載しているのはほとんどがこの2,3年の間に行った所で占められますが、随分偏っている感がしますね。
というか、京都とか、メジャー所がほとんどない…。

今後ともいろんな所へ行けるといいんですが。以前に一度行った所にも再び写真を撮りに行きたいな、とか(笑)、いろいろと妄想が膨らみます。

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2008.05.14

深大寺

Jindaiji_8Jindaiji_1今年のGW中に、深大寺(東京都調布市)に行きました。予想以上の人出で少し面食らいましたが、なんか人並みの休日を過ごせた感じです。
メインはそば、じゃなくて(いや、それもメインですが(笑))、深大寺城跡。16世紀前半に扇谷上杉朝定が後北条氏対策のために築いた城で、都内では珍しくわりと遺構が遺っているところです。詳しくはこちら参照。

Jindaiji_5Jindaiji_21左写真は一の郭(本丸)と二の郭を隔てる堀の跡。結構しっかり遺っています。右写真は二の郭。腰掛けのように利用されている(笑)杭のようなものは、柱穴跡です。

Jindaiji_29もちろん深大寺にも参拝。写真の山門は現存する最古の建築物で、元禄8年(1695)築とされています。ほかの堂舎は幕末に焼けてしまいましたが、この山門だけは遺ったそうです。
本尊は奈良時代のものとされる銅仏(重要文化財)で、ガラス越しに見ることができました。梵鐘(重要文化財)が永和2年(1376)鋳造だったそうなんですが、見逃した…。無念。

ちなみに、わりと有名な?鬼太郎茶屋は素通り。

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2008.05.02

郡内地域散策

Iwadono_16Tsuru_8なんだか恒例化したかのように、今年の春も山梨へ行ってきました。今回は郡内地域をということで、比較的東京寄りの所へ。
メインは岩殿山城(山梨県大月市)。左写真のような断崖の脇を登るわけですが、これがまたきつかったです。気温も高く、途中で熱中症になりかけました…。

その後は小山田氏の本拠地、都留市(昔は「谷村(やむら)」)へ。菩提寺(右写真は伝・小山田信澄の墓)や勝山城跡などへ。私はこの地域について実はあまりイメージがなかったんですが、有名な史料の「勝山記」の勝山ってここのことなのかと同行メンバー間で話していたものの、実は違うらしい(笑)。所蔵している富士御室浅間神社(山梨県富士河口湖町[旧勝山村])とは場所が離れてますしね…。

この地域では富士吉田のうどんが有名ですが(こちら参照)、都留市内で入ったうどん屋もその系統だったのか、すさまじくコシが強くて美味でした。そういや写真撮るの忘れてたなぁ…。

例によって写真を撮ってきたので、紹介は対馬の後に。数ヶ月先になるかもしれませんけれども…。
ちなみに、富士山はまったく見えず。なんとか見えるという人もいたようですが。日頃の行いの違いでしょうか(笑)。

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2008.03.28

移動距離数千キロ

SendaiSendai2先週末は初めて仙台に行きました。
といっても調査で行ったのでくまなく観光するわけにはいかなかったんですが、合間を縫って仙台城跡と仙台市博物館へ。お馴染みの伊達政宗像にやっと出会えました。
今回の調査では、仙台藩についてたいへん勉強させてもらいました。わからないことはまだまだ多いそうですが、今後は私も性根を入れて勉強していきたいところ。

Sasuna_1そしてその後は対馬へ。こちらも巡見調査。知られた史跡はほぼ総なめといった感で、非常に充実した時を過ごすことができました。
こちらは私がしばらく研究対象として手を出すことはないと思いますが…、史料も豊富なので、これからのさらなる研究の進展に期待したいところですね。

対馬へ行く前は開花もしていなかった桜が、帰ってくるともう満開になっていてびっくりしました(笑)。今年の桜は随分とせわしないですね。

そんなこんなで、この一週間で半端じゃないほどの距離を移動しました(笑)。刺戟に満ちた日々でありがたいことです。
しかしこの週末は新年度の準備に追われそうで、非常に地味な日々が…。

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2008.03.13

再び真壁へ

去年の年末に続いて、再び真壁へ行ってきました。
それにしても、つくばエクスプレスはほんと速いですねぇ。最速だと、都内のうちからよりつくばからの方が秋葉原に早く着けるとは…。

今回は単純な巡見ではなく、調査のお手伝い。真壁を流れる桜川の右岸は「谷戸田」型の農耕地域だったそうで(「谷津田」とも。詳しくはこちら)、その耕作状況の聞き取り。
いわば歴史系における現地調査の王道のような感じですが、私は経験が少ないので、たいへん勉強になりました。聞き取りのノウハウを磨いておくことが、調査を成功させる最大の要因ともいえるので、こういう経験ができることは私にとっても財産となります(そういう意味では、今回はほとんど役立たずだったわけですが…)。

ただ、それを自分の研究に活かすためには、自分自身の主体性も必要になってきますが。その際には“交渉力”が必要なわけで、引っ込み思案気味でその辺の能力がいまいちな私には、次なる障壁もまた明確になりました…。

↓この本欲しいんですが、すごい値段がついてますねぇ…。

4404023197景観にさぐる中世―変貌する村の姿と荘園史研究
服部 英雄
新人物往来社 1995-12

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2008.02.27

三浦半島で春一番

Uraga_6Miura_7先日初めて三浦方面へ行ってきました。少し風が強かったですが、天気に恵まれてよかったです。舟盛りも堪能できて満足々々。でも、むしろ煮魚の方が感動的でした(笑)。
帰りに土産を買ったら、業者の所在地が「沼津」…って、いいのかよそれで。
帰りは横浜で昼間っからがっつり酒盛り(笑)。それにしてもよく飲んだなぁ。
廻ったところはまた後日。ちなみに左写真は浦賀の塔明堂跡(神奈川県横須賀市)。

ようやく試験の採点も終わり、これからは半月ほどは自分の時間を確保できそう(今週はまだやや多忙だけど)。というわけで、原稿に取りかかっているわけですが。少しは進んだものの、まだまだ荒削りというか…。我ながら論理展開が荒っぽい。これから洗練するのがむしろ難儀かなぁ、といった感じ。完成できるのかなぁ? すでに枚数を大幅に超過しているのが最大の問題…。

今週はこの後、いろんな人の研究に学ぶ期間といった感じ。どんどん吸収したいところです(パクるというわけではない(笑))。

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2008.02.19

再び武蔵嵐山へ

Ookura11Sugiyama去年に引き続いて埼玉県嵐山町の埼玉県立嵐山史跡の博物館へ行ってきました。企画展「後北条氏の城―合戦と支配―」を見るためです。
そのついでに(というか、こっちがメイン?)、また周辺史跡巡りと相成りました。前回は徒歩だったので行ける所は限られていたのですが、今回は車でまわれたので、新たにいくつか行くことができました。そのうちの一つが、右写真の杉山城跡。

左写真は大蔵館跡にある板碑。「あれ?前に来た時はこんなのあったっけ?」と思って撮ってきたんですが、しっかり前回行った時の写真に収まっていました(笑)。ちなみに元徳3年(1331)の年号が入っています。

道中は二度も交通事故をみかけたりと、なかなか波乱含みというか…。ま、我々は無事でなによりでしたが。
新たに行った所はまた改めて紹介したいと思います。

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2008.01.26

厳しき鞆の浦問題

折から問題になっている鞆の浦(広島県福山市)の埋め立てと架橋の件について、下記のようなメールが届きました。


みなさま

寒さ厳しきおりから、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。いつもご支援いただき誠にありがとうございます。
毎回ご報告させていただいております「鞆港埋立架橋問題」ですが、早ければこの2月にも国の認可及び県の許可を受け、春にも工事が着工してしまうおそれがあるという、非常に厳しい状況を迎えております。
そのため、このたび再度署名活動を開始いたしました。今度は、「証拠書類」として裁判所へ提出することも予定しております。裁判官より適切な判決を仰ぎ、裁判の勝利を勝ち取るためにも、この問題の重要性を訴える大きな世論の後押しが必要です。これは、支援くださるみなさまのお力をお借りしなければ達成できません。
お忙しいなかとは存じますが、よろしければ今一度、鞆の浦の奮起にお力添えいただけましたらと存じます。
100万人を目指すこの署名に、ぜひご協力をお願い申し上げます。
ご協力いただける方は、用紙をお送りいたしますのでお申し出下さい。また、下記アドレスより様式をダウンロードしていただくことも可能です。

また、2月3日(日)午前10時より、福山駅前で該当署名活動を行ないたいと思っております。お近くにお住まいでご協力いただける方は、ぜひご参加くださいますようお願いいたします。

NPO法人 鞆まちづくり工房(以下略)

(1)署名用紙のダウンロード
 http://www.vesta.dti.ne.jp/~npo-tomo/syomei/index.html#top
(2)署名送付先
 〒720-0201 福山市鞆町鞆5 NPO法人鞆まちづくり工房事務局(※FAX番号略)

経緯については、こちらが詳しいです。利便性の向上を求める地元の要望も少なからずあるようなのでなかなか難しい問題なのですが、数百年来の「美観」を賞されてきた景観が今消えようとしているというのは、やはり忍びないわけで…。

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2007.12.16

真壁の史跡

Makabe1Makabe2Makabe3_2先日、茨城県桜川市(旧真壁町)の桜川市歴史民俗資料館で展示されていた中世文書を見に行きました。目玉は二つの文書群でした。
まずは「加茂部文書」。同市内(旧岩瀬町)にある鴨大神御子神主玉神社(長い…(笑)。読みは「かものおおかみのみこかみぬしたまじんじゃ」らしい)の宮司家に伝来した中世文書群で、中世前期の官宣旨案が含まれていました。ほかに永享12年(1440)3月4日の足利持氏の子・安王丸代官景助なる人物の奉書案がありましたが…、なんだか怪しげ(笑)。
もう一つは「真壁長岡古宇田文書」。長岡氏は常陸平氏一族の真壁氏の一族で、長岡郷(現桜川市[旧真壁町])を本拠とした一族だそうです。中世文書は全部で35点。生の中世文書を見るのはやはり楽しい。

その後昼食を取り、近くの真壁城跡へ(写真)。現在は国史跡に指定されており、発掘作業が進められていました。
言わずと知れた真壁氏の城館です。真壁氏は常陸平氏の大掾(だいじょう)氏の一族で、大掾多気直幹の子である長幹が真壁郡真壁郷に住んで真壁氏を名乗ったとされています。中世を通して常陸の在地領主として生き抜いた存在として、研究面でも注目され続けた一族です。戦国期には佐竹氏と後北条氏との間で巧みに生き残りましたが、結果的には関ヶ原合戦の後、佐竹氏とともに秋田へ移住しました。
かなり大規模な城館遺跡です。遺構自体は17世紀にかかるかもしれません。なお真壁氏移封後は、浅野長重(長政の子)が数年の間居城としていました。その後は稲葉正勝の居城となりましたが、寛永5年(1628)に転封となり、廃城となったそうです。

Makabe4こちらは城の近くにある真壁氏の墓所。五輪塔の規模が大きく、立派でした。

Makabe6荘園となっている地域(真壁荘)の本木という所(桜川市[旧大和村])に、大規模な中世居館遺跡があります。その先に見えるのは筑波山。…天気が良ければ絶好の眺望だったんでしょうけどねぇ。
Makabe5Odajoそして石造物たち。左写真は祥光寺(同市[旧大和村])にある多宝塔。建仁2年(1202)の年号が確認できました。
右写真は真壁氏のライバル?小田氏の本拠であった小田城跡(つくば市)にある五輪塔。小田城といえば北畠親房が『神皇正統記』を書いた所として有名ですが、ここへ来た時はもう日が暮れていたので、この写真だけ撮りました。ぱっと見ではよくわからないと思いますが、かなり巨大で、高さは2mを越えています。

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2007.11.28

忍城と成田氏をまなぶ

Gyoda1Gyoda2先週、行田市郷土博物館の企画展「忍城主成田氏」を見てきました。成田氏に関係する文書が多く展示されていて、見応えがありました。丁度大河ドラマで成田氏が登場したらしく、平日にもかかわらずわりと多くの方がおいででした。
忍(おし)城跡に行くのは今回が初めてでした。城跡の方は…まあ仕方がないか、という感じ。立派な復元?天守閣あり、公園あり、ではありましたが。
最近、行田名物として話題?の「フライ」「ゼリーフライ」を食べたかったんですが、下調べもなにもしていなかったので、店を見つけられず。ゼリーフライの店は公園のすぐ脇にあったんですね…。残念。

その後、成田氏関連の史跡をいくつか廻りました。左写真は熊谷市にある龍淵寺の成田氏墓所。忍城からは少し離れていますが、かつてはこの辺りが成田氏の本拠地だったようです。
右写真は行田市(旧南河原村)の観福寺にある板碑群。ほかに、13世紀の年号のある2基の巨大な板碑(こちら)が覆屋の中にあり、一括して国史跡に指定されているようです。

中世ではないですが、あとはさきたま古墳群に行くべき感もありましたが…、時間がなくパス。またこんど。

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2007.11.26

金山遺跡探訪

Img_0674Img_0673この三連休は岩手の金山開発関連の調査に行ってまいりました。やはりの雪景色。一応無事ではありましたが、一度見事に車をスピンさせる恐怖体験もしっかりやってしまいました。やはり慣れない雪道は恐ろしい…。

そのさなか、一日だけ金山遺跡調査に同行させていただきました。地元で熱心に活動されている産金遺跡の研究会の方々に案内されて、いくつかの金山遺跡を探訪。写真はそのうちの一つで、岩手県大船渡市にある盛富金山遺跡です。詳しくは右写真の案内看板をどうぞ。

私は発掘された後の行方(貨幣)にのみ関心が行っているわけですが、こうして鉱山での産出活動の様子を実見できたことは望外の喜びでした。しかも素人が見ただけではとても発掘の痕跡とはわからないものばかりで、地道に活動されている当地の研究会での活動の意義の大きさも教えられました。調査自体としても当然でしょうけれども、私自身としては、鉱山開発に関して今後いろいろ勉強してみたいなぁという思いに駆られるひとときでした。
ちなみに、調査の様子が地元の新聞・東海新報で取り上げられました(2007.11.25付)。ネット上にも掲載されています(いつまで公開されているかはわからないので、記事へのリンクは張っていません)。ただこの記事、「中世移行期」となっているのは少し問題です…(笑)。


しかしそれにしても、忙しすぎる…。抱えている原稿にちっとも着手できません。まずいまずい。なんとか年末には建て直したいところですが。

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2007.10.10

川越へ

Kawagoe1先日の連休中、川越に行きました。街中を歩くのは初めてだったんですが、観光地としての盛況ぶりは凄いですね。人が多くてびっくりしました。写真は川越城の本丸御殿。

目的は川越市立博物館の企画展「後北条氏と河越城」。複製や写真パネルが結構多かったのはやや残念でしたが、本物の文書がたくさん展示されていて勉強になりました。この秋は関東各地の博物館で中世の企画展が目白押しで、個人的には嬉しい限り。できれば全部行けたらなぁと思うのですが。

Kawagoe2Kawagoe3こちらは城下町の喜多院にある中世の板碑。左側が暦応年間(1340年頃)、右側が延文年間(1360年頃)のものです。市博の常設展に同じものがあってどっちが本物か区別がつきませんでしたが(笑)、さすがにこっちが本物でしょうか。

Kawagoe4これは道すがらあった板碑の残欠。「…州古尾谷庄」の字が読めるので、中世のもので間違いないでしょう。さすがに埼玉は板碑が多いですね。

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2007.09.24

苦楽の秋

Shiga暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので。彼岸の中日からとても過ごしやすくなってありがたい限りです。
いやはや、なんとか〆切仕事のめどが立ちました。うち一つは〆切を一ヶ月勘違いしていたので、その精神的重圧がきつかったです。

といっても、まだ心は晴れません。授業の準備が全然手つかず…。不安ばかりが先に立つのですが、それもこれも、見合った準備を全然していないため。この半月ほどは、精神的にもやや不安定な感がしています(自覚しているだけましかもしれませんが)。ケセラセラと行きたいところではありますが…。

一方でこの半月にかけては、いろんなことがありました。そのうちの一つが、恒例のゼミ旅行。今年は滋賀県方面とあいなったわけですが、私の好みでルート設定をさせてもらったため、行くところがマニアックに(笑)。同行者にご満足いただけたかどうかは心許ないですが、私は大変充実した旅となりました。訪問地はまた追々ブログで連載していきたいと思います。…なんだかすっかり史跡紹介がメインになってしまってますが(笑)。
ちなみに写真は小谷城跡(滋賀県湖北町)から見た琵琶湖と竹生島です。

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2007.09.04

初めての岩手と宮城

Honedera1Honedera2なかなか東北へ行く機会が無かったのですが、このたび初めて岩手と宮城に足を踏み入れました。

といっても調査に付いていったので、ほとんど観光はできませんでしたが…。運良く教育委員会の方に、岩手県一関市の骨寺村荘園遺跡を案内してもらいました。いい景色でした。 今は平泉と一緒に世界遺産登録を目指しているとのことで、熱心に運動をされているようです。先日、イコモス(国際記念物遺跡会議)の人がやってきて、見学していったそうですが…、はたして。

その後は近くの厳美渓に行ったんですが、団子とお茶が籠に乗って降りてくる所って、ここだったんですね。テレビでよく見るんですが、場所がどこだかよく覚えていなかったもんで(笑)。ほかの人が買ってるのを見ましたが、私は買わず。

調査地がこれまたすごい山奥で、車で30分近く走らないと何もないという所でした。何日もいるとその環境に慣れてしまい、東京へ帰ってきたら人の多さに閉口する始末。田舎暮らしは大変だと思うけど、のんびりしてて羨ましかったです。 連泊した気仙沼に近い海沿いのペンションでは、季節柄、サンマがたくさん出てきました。まあ美味かったですが、ほかのいろんな魚も食べたかったなぁ、という感も…。

宿の人がこれまた熱狂的な楽天ファンで、いろんな意味で某球団は惨敗だな、と思い知らされた次第です。口が裂けてもどこのファンかを言えなかったほど(笑)、それはすごい迫力でした。地域密着も言うのは簡単ですが、なかなか定着させるのは難しいでしょうから、この浸透ぶりには素直に感心しきりでした。

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2007.08.08

真夏の四国

先週末は松山へ行って参りました。学部時代のゼミのOB会のため。でも、遠方からのこのこ出かけていくのももう私くらいしかいなくなったのかもなあ…などとちょっと寂しさも(過去ログを読み返してみると、前回行った4年前[2003.10.10条]も同じようなことを書いているな…)。
それはさておき、懐かしい話を交えながら、楽しく過ごさせていただきました。今度は是非どこかで泊まりがけの大宴会をお願いしたい(笑)。

01manno途中寄った満濃池(香川県まんのう町[旧満濃町])。ちなみに満濃池は、中世では上賀茂神社領でした(史料上も、「~庄」ではなく「万濃池」と書いてあります)。どういう所領経営をしていたのかはよくわからないんですが。水利権とかだったりしたら面白いけど、一帯の地域を所領とする普通の荘園だったんでしょうかね。

46yuzukiこれは松山市の湯築城跡。今回は道後に泊まりました。旅館の湯は本館と違ってぬるめで良かったです(笑)。私、本館の湯は熱すぎてダメなんですよねえ。

15amazaki今回は初めて「しまなみ海道」を通って帰りました。写真は大三島から見た甘崎城跡。一度渡ってみたいんですが、機会に恵まれません。干潮になると道ができるという話もありますが、実際のところどうなんでしょうか。天智天皇の時代からあるとされますが、中世では海賊衆の今岡氏や来島村上氏の支配した城だったようです。

例によって?ほかにいろんな所に行きましたので、追々ご紹介したいと思います。ラインアップとしては↓の予定(変更あり)。

(1)善通寺・弥谷寺(2)本山寺(3)伊予国分寺(4)道後 宝厳寺・石手寺(5)菊間 加茂神社(6)大島の石塔(7)大山祇神社(8)生口島の史跡(9)因島・金蓮寺(水軍城)

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2007.06.17

パックツアー侮り難し

昨日の某旅行番組でパックツアーの話をやっていましたが、意外と使えるんだなぁと感心しました。
実際パンフレットは巷に溢れているし、大学生協にもあってスキーとかでは使ったこともあったりしますが(ぶっちゃけスキーは安かろう……だったりしますけど)、個人的にはほとんど関心がなくて(海外旅行に行ったことがないのも大きいか)、私は今まで全く旅行会社に行ったことすらありません(笑)。そういうわけで、盲点を突かれた感じです。

もっとも、コースも組まれた団体旅行にはあまり興味はありません。私が行きたい所はまず確実にルートに入らないので…(笑)。気になったのは、新幹線の切符と宿がセットになっているプラン。列車が指定されているというのが多少ネックですが(寝坊のリスクがでかい)、正規料金よりかなり安いのが魅力的ですね。

具体的な使途は学会で京都へ行く時なわけですが…。秋になると割引率が低そうだし競争率も高そうなのでどうなのかはわかりませんが、とりあえずこちらをチェックしておこうかと思います。今年は日本史研に行くつもりはあまり無かったのですが、15世紀がテーマと知って、ちょっと心が揺れています。

とはいえ、問題は「2名1室」なことですが…(笑)。やっぱりこれが一番困る…。一人用のパックってあるのかなぁ。ご存じの方はご教示ください。

ちなみに今度の週末の大阪の方は、ほんとは行きたかったんですが、事情により断念いたします。

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2007.05.24

関戸合戦をまなぶ

多摩センターにある「パルテノン多摩」で開催されていた「関戸合戦~多摩市関戸に残る中世の伝承とその背景~」の企画展を見に行きました。
こぢんまりとした博物館ですが、展示も図録もかなり気合いが入っていて、マニアック心をくすぐられました(笑)。面白かったです。

関戸合戦とは、元弘3年(1333)、上野国新田で挙兵した新田義貞の鎌倉攻めの際に起こった合戦の一つです。
義貞は久米川の陣を出て鎌倉街道を南下。同年5月15日に多摩川左岸の分倍河原合戦で幕府軍に勝利し、翌16日に渡河した先の関戸において北条泰家(北条高時の弟らしいです)軍との間で起こった戦で、顛末は『太平記』に記されています。
分倍河原では幕府軍が一旦新田軍を押し返したそうですが、この関戸では打ち負かされ、鎌倉へ逃げ戻ることとなりました。ここを落とした新田軍は一気に鎌倉へ攻め上ってゆきます。

19sekido18sekidoせっかくなので、その後関戸(現東京都多摩市)へ行きました。京王聖蹟桜ヶ丘駅から鎌倉街道を南側へ進んだ所にあります。現在の旧鎌倉街道は写真のような感じ。道沿いに「古戦場跡」の碑と祠がありました。
多摩川右岸から町田・鎌倉方面に、谷間を登る緩やかな上り坂になった所にあたり、川と道が交叉する流通の要衝であるとともに、狭隘な谷間の入口に当たる軍事の要衝であることもわかります。

20sekido22sekido写真左は道沿いにある「無名戦士の墓」。中世のものとおぼしき宝塔の一部です(積み方は適当)。写真右は関戸集落の中にある観音寺の板碑。ここでは関戸合戦を供養する法要が行われているそうです(大戦後に始まったそうですが)。

29sekidoこちらは関戸の鎮守・熊野神社境内にある「霞ノ関南木戸柵跡」。建暦3年(1213)に関戸の南北に置かれた関所の跡とされ、こちらは南側に当たります(北側は未発掘)。

「霞の関」というのは、鎌倉末期頃成立とされる『宴曲抄』のなかで鎌倉街道上道の一つとして詠まれたものだそうです。このほか、歌枕としてよく使われたそうですが、比定地はほかに現在の埼玉県狭山市と東京都千代田区(ともに現地名は「霞ヶ関」)にあり、見解がわかれています。ただし『宴曲抄』の記載の順序を考えた場合、関戸が最もふさわしいとされています。

山の上が宅地化されてしまい(京王が最も力を入れた桜ヶ丘団地)、なかなか当時の風景をイメージするのが難しいのですが、谷間の集落といった印象はなんとか留めていた感じがします。致し方ないことではありますが、地域の歴史を守ることの難しさを感じたりいたしました。また、地域の方の大変な努力を学ぶこともできました。これからも受け継がれてゆくことを願います。


ちなみに以下は余談ですが、ブログ化後500回目の記事となりました。最近はずいぶんペースがあがりました(笑)。1000回に到達できるようがんばります。

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2007.05.11

「風林火山」絡みの巡見

Shinpu先日、山梨へ巡見に行きました。これで3年連続です(笑)。今回はゼミ企画にて。
今年は大河でも舞台になっているってこともありますし、まぁそういうわけで。ちなみに写真は新府城本丸跡(山梨県韮崎市)です。
一番のメインは山梨県立博物館で開催中だった大河ドラマ「風林火山」特別展「信玄・謙信、そして伝説の軍師」です。毎年(多分)、大河ドラマにちなんだ企画展が開催されるわけですが、今年は山梨県博を皮切りに、新潟県歴博大阪歴史博を巡回するそうです。

一番の目玉と思われるのが、「山本菅助」の名が入った唯一の一次史料(「市河文書」)が今回が初公開ということだそうです。あと、生島足島神社の起請文の一部が原本で展示されていました。
もっとも、山本勘助が主人公であるものの、勘助にまつわる展示はほとんどありませんでした(仕方がありませんが)。しかも武田関係も比較的少ないような感がして、文献史料は大半が「上杉家文書」だったような気がしました(あくまで印象では)。なんか上杉の展示を見に来たような感覚が…。

最後は最近話題の?紀州本「川中島合戦図屏風」関連の展示がされており、その制作と深く関わっている「宇佐美家文書」も展示されていました。もしや…と思って後で図録を買ってみると、解説を書いておられるのは…、なるほど、と(笑)。
この展示について事前に理解しておくためには、↓を読まれると良いのではないかと思います。

異説もうひとつの川中島合戦―紀州本「川中島合戦図屏風」の発見異説もうひとつの川中島合戦―紀州本「川中島合戦図屏風」の発見
高橋 修


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「宇佐美定行」が架空の人物であることは仄聞しておりましたが、なるほどこの人物が「登場」した背景はなかなか面白いものですね。実のところ、「甲陽軍鑑」と並んで、これが一番テーマに副った展示だったかもしれないなぁ、という気もしました。

ほかにいくつか史跡を回りました。明日から名古屋へ参りますので、例によって後日紹介したいと思います。
名古屋ではどうぞお手柔らかに…。

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2007.03.27

初めて若狭へ

Shitsumi先週末に学位授与式がありまして、学位記を抱えて実家へ帰っておりました。
その間、急遽、某合宿のため若狭の小浜へ。中世史では著名な所ですが、私は今回が初めてでした。写真は宿となった志積浦の風景。中世の刀祢の家だったとかで、中世文書を所有しておられる民宿に宿泊。魚がおいしゅうございました。
この合宿は毎年この時期に開催されていますが、私は3年ぶり(…と当日も公言してましたが、実は4年ぶりでした(笑)。前回の参加記事は過去ログ2003.3.30条参照)。久しぶりにお会いする方ばかりなので、なにやら挨拶ばかりしていたような気がします(笑)。一方で、初めてお会いする若手の方も多くて、随分様変わりしたなぁ…といった心境。あんまりさぼると居場所がなくなっていく気がしますね(いや、元々私に居場所があったかどうかはわからないんですが)。

1泊しかしなかったこともあって、あまりじっくりと巡見できなかったので、また改めて行ってみたいと思います。できれば蟹の季節に(笑)。

このほか、今回もヒマを見つけてはいろんな所で写真を撮ってきましたので、追々アップしたいと思います。

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2007.02.28

関東武士の故地へ

Sugaya先日、埼玉県嵐山町にある埼玉県立嵐山史跡の博物館に行ってきました。元々は資料館だった所ですが、今は博物館となっています。
この博物館、畠山重忠の居館跡とされる菅谷館跡に建っています。写真はその館跡にある畠山重忠像(考証怪しめ…)。遺構自体はとても鎌倉初期のものとは思えず、たぶん戦国期に後北条氏が整備したのでしょう。

写真を撮ってきたので、後日改めて紹介したいと思います。ちなみに、カメラをついに新調しました。今回がそのデビュー戦。やっぱり携帯とは比べものにならないですね。しょぼい腕前でもそれなりに見られる写真を写すことができます。

埼玉県の北西部(武蔵国比企郡・児玉郡・秩父郡辺り)は、知る人ぞ知る中世武士の一大拠点です。今回はそこへ行ってきたわけですが、中世武士ゆかりの寺院が今もかなり残っているようです。残念ながら車が無いと行けない所も多いので、また機会があれば今度は車で総ざらえしてみたいところです。
それを受けて、展示もこれらの寺院ゆかりの遺物や、経筒などが展示されていました。文書は残念ながら見るべきものはないですが、鎌倉期の武士の暮らしと信仰を知る上で勉強になります。
ただ、紹介されていた寺院の説明がほとんど無かったのは残念。せめて現在の所在地ぐらいは注記してほしかったです。

ちなみにこの展示、うさたろうさんのブログで知りました(笑)。

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2006.11.12

白河結城氏シンポ

Shirakawaシンポで白河へ。白河結城氏の関連文書を対象とした科研調査の一環として開催されたそうです。室町から戦国にかけての武家文書が分散しつつもかなり大量に残っている珍しい一族だということでした。文書が分散していたためか、研究もあまり進んでいないようなので、これを機に活発になればいいですね。楽しく拝聴。ところで、「白河」と「白川」はどっちを用いるのがお約束なんでしょうか…? 文書もレジュメもその辺あんまり統一性がなかったので、気になりました(って、どうでもいいほど細かい話ですが)。

シンポに行く前に、会場の近くにあるラーメン屋で昼食。白河といえばラーメン、としか浮かばなかったのでまさに渡りに船だったわけですが…。普通の醤油ラーメンを頼んだところ、恐ろしく醤油が濃くて正直微妙…(麺は白河らしい縮れ麺でした)。つけめん食ってるみたいでした。店の売りは味噌ラーメンだったようなので、そっちの方が良かった